ホワイトデーだなんて、バレンタインデーに比べるとあまり重要ではないと思っていた。 だが、いざ、ホワイトデーできちんと返さなければならない立場に立たされたら、重要なイベントのように思えてくる。 それは、恋をする相手の素晴らしい笑顔を見てみたいから。 それだけのために、色々と考えてしまう。それがまた、ドキドキしたり、甘い気分になったりして楽しかったりもする。 お返しだなんて、何をして良いかが解らない。こんな行事なんて、今まで経験したことなどないし、ましてやどのようにして良いか解らない。 知らなかったと言えば、望美は笑って許してくれるだろう。 甘いチョコレートケーキとはにかんだキスのお返し。 同じようにたっぷりと甘いプレゼントを渡せば良いのだろうか。 望美に何を欲しいかと訊くのもしたくなくて、知盛はひとりで悶々と考えていた。 望美と手を繋いで鎌倉駅近くを歩いていると、ビルの壁に貼ってあるポスターが目に入ってきた。 “今年のホワイトデーは、手作りで。チョコレートのお返しに、甘いクッキーはいかがですか?” 思わずポスターを見入りながら、こんなプレゼントは悪くないと思う。 望美の笑顔が見たい。 そのためなら、何でも出来る。 「ちもちゃん?」 「ああ…、行こう…」 「甘いものでも食べたいの?」 「…いいや、行こうか…」 折角のホワイトデーとやらなのだから、プレゼントは内緒にしたい。どうせなら驚いたような笑顔が見たいから。 知盛はほくそ笑みながら、持ち前の記憶力でポスターの内容を覚え込む。 「何笑っているのよ?」 「…何もない…」 「何だかいやらしいな」 望美が知盛から何を考えているのか探ろうとしているが、勿論言うつもりなどなかった。 「…行くぞ」 「ねぇ、何を考えてたの?」 「秘密…だ」 「もう、ケチっ!」 望美が拗ねる表情をするのが実に愛らしいと思う。 このように誰かを熱くて甘い気持ちを抱くなんて思ってもみなかった。 たったひとりの誰かを真剣に思うなんて、自分には出来そうにないと思っていたのに、目の前の少女は、その考えを覆してしまった。 それが最近心地好いと思うとは、随分変わってしまったと思う。 ふたりで手を繋ぎながら歩くだけで、こんなにも幸せで甘い。 このような感情を教えてくれた望美に、日頃の想いを伝えたかった。 ホワイトデーのクッキー教室。それがどんな食べ物なのかは分らないが、それで望美が喜んでくれるならば、それで良かった。 ホワイトデーのクッキー教室にひとりで参加をするのが武士としての名折れのように思えて、将臣を引き込んだ。 ふたりでエプロン姿になるのは流石に滑稽だ。 「あはは! 天下の戦闘マシーンのちもちゃんが、エプロンをすると迫力があるなあ」 将臣は瞳に涙を浮かべながら、知盛の姿を存分に楽しんでいる。 「…何がそんなにおかしい…」 冷たい氷のようなまなざしで睨み付けたつもりでも、途端に恥ずかしさの熱で溶け出してしまい、全く効果がない。 「…笑うな…」 「いや…、マジでお前のこのギャップのある乙女な姿をみんなに見せてぇなーと」 腹をグニャグニャに捩りながら笑い続ける将臣に、知盛は眉間をひくひくと脈打たせる。 近くに剣があれば、斬って捨てたい。こんな男。 いつもは知盛がからかうことが多いが、こうしてからかわれるのがたまらなく腹が立つ。 望美のためでなければ、絶対にこんなことはしないというのに。 「…笑ってないで…、早く手を動かせ…」 キラリと、練り棒を将臣に突き付けると、途端にからかいの含んだ笑みは消える。代わって現れるのは引きつった笑みだけだ。 「…手を動かせ」 「へい、へい」 大の男の力で生地を練り込むと、直ぐに滑らかなものが出来上がってくる。 生地に触れると、望美の肌を思い出してしまい、思わずじっと見てしまった。 「おい知盛、何を硬直しているんだよ? どうせスケベなことでも考えていたんじゃねぇか?」 将臣の絶好調な指摘に、知盛は思わずムッとしてしまう。こんなにもムッとしたのは久し振りかもしれない。 「…俺はおまえじゃないからな…、そんなことは…考えない」 「何を言ってるんだ、ムッツリのくせに」 全くこの男は、このようなことしか考えられないのではないだろうか。本当に頭が痛くなる。 目の前にある生地を手に取ると、思わず将臣の顔にぶつけたい衝動に駆られた。 「…ぶつけてやろうか?」 「けっ、結構でございますっ! ったく、冗談が通じねぇ相手は困るぜ…」 「何か言ったか…?」 「めっ、滅相もございませんっ!」 将臣は頭を何度も横に振って否定し、その姿はどこか滑稽だった。 「はい、それではガス高速オーブンのなかにクッキーを入れて下さい!」 講師の女性の指示に従って、将臣とふたりで作ったクッキーを、オーブンのなかに入れて焼く。 望美が喜んでくれたら良い。今の望みは本当にそれだけだ。 あの無邪気な笑顔を想い浮かべるだけで、こころの奥が甘い痛みで疼く。 凛とした強い部分と、愛らしく無邪気な部分が同居した、最高の女。 きっと一生かかっても総てを知ろうだなんて困難なことだろう。 だからこそ、本当にこころから欲しいと思ったのかもしれない。 クッキーが焼き上がるまでの間、知盛はまるで宿直でもするかのように、びったりとオーブンの前に張り付いた。 望美へのプレゼントなのだから、ちゃんと焼き具合も確かめてみたい。 焼き上がる様子を見るのは意外に楽しくて、時間を忘れられた。 「綺麗に焼き上がったようですよ! オーブンから出して冷ましている間に、ラッピングとメッセージに準備をしましょう!」 講師の言われた通りに、知盛は神妙な顔をして、メッセージを書く。 想いは総てこのクッキーに込めているから。 ホワイトデー当日、どうしようもないぐらいに緊張しながら、望美とのデートに出掛けた。 喜んで貰えるだろうか。 こんなに緊張をして不安になったのは、生まれて初めてなのかもしれない。 「ちもちゃんー!」 望美はいつものように明るくバタバタと走ってやってくる。 その姿を見るだけで、喉がからからになるぐらいに緊張してしまった。 「お待たせ!」 いつものように望美は知盛の腕をしっかりと取って歩いていく。 「…今日はホワイトデーとやらだな…。お前に…やる…」 どうしてプレゼントをして良いか分らなくて、結局は押しつけるようにしてしまった。 「有り難う…!開けるよ。だって待てないんだもん」 夏の陽射しよりも眩しい笑顔を浮かべると、望美は早速箱を開け始めた。 「クッキーだね…! 有り難う!食べて良い?」 「…勝手にすれば良い…」 喜ぶ望美に、知盛は妙に照れくさい気分になってしまう。 「いただきまーす」 望美は本当に嬉しそうに言うと、早速、クッキーを囓り始めた。 「美味しいよ! マジで!」 望美の絶賛する声に、知盛の唇にも思わず笑みが浮かんだ。 「…本当か…?」 「うん。味見してみる?」 望美はニッコリと微笑むと、軽くキスをしてきた。 甘い甘いキス。 こんなに甘い幸せはないと思いながら、知盛もまたとっておきのキスを返した。 |