前編
3年生になり、進路を決めなければならない時期にきていた。 進路なんて、遠い先のことのように思っていたのに、こんなに近いところにあるなんて、思ってもみなかった。 かなでは、正直、どうしようかと、迷っている。 このまま横浜にいて、学院の大学に進むのか。 それとも海外を含めた他のところに進むのか。 学院に残れば、大好きなひととも一緒に過ごすことは出来る。 同じ横浜で、そばにいながら勉強をすることが出来る。 それともヴァイオリンのことを考えると、このままよりも海外に視野を広げたほうが良いのか。 また、両親からは地元にも良い音楽大学があるからと、帰って来いといったニュアンスで言われている。 迷い過ぎて答えが出ない。 大好きなひとのそばにいたいだけで学院を選べば、夢を応援してくれる大好きなひとは、逆にがっかりしてしまうのではないかとも、思ってしまった。 担任から受け取った学院大学の資料を読みながら、かなでは溜め息を吐いた。 内部推薦でいけばそれだけヴァイオリンに集中が出来る。 いくら内部推薦だからといって、侮ることが出来ないのが星奏学院の恐ろしいところなのだが。 大好きなひとに相談すべきなのだろうか。 かなでは、大学の資料を見ながら、溜め息を吐いた。 「…本当に難題だよね…」 溜め息を吐きながら、かなでは大学の案内を閉じた。 親からは地元の音楽大学の資料が送られてきていて、それを見ながら、溜め息を吐いた。 かなでは気分転換のために、外に出ることにした。 このまま部屋で湿っぽいことを考えていても、埒はあかないから。 出掛けるタイミングで、メールが届いた。 ひなちゃんへ。 久し振りに時間が空いたんだ。 逢わないか? 元町のドトールで待っている。 大地 大好きなひとからのメールに、かなではつい表情を綻ばせてしまう。 直ぐに返事をする。 大地先輩へ。 今から散歩をするところだったので、直ぐに行きますねー。 かなで メールを送ると、また新しいメールが届いた。 かなでちゃん。 今年のゴールデンウィークは帰っていらっしゃいね。 母より 母親から、ゴールデンウィークの帰省の催促だ。 春休みはバタバタし過ぎて帰ることが出来なかったから、ここは帰らなければならないだろう。それに進路のこともきちんとしなければならない。 明日にでも、帰省のためのチケットを買いにいかなければならないと、ぼんやりと思っていた。 ドトールに行くと、大地が爽やかな笑顔で待ってくれていた。 「ひなちゃん!」 「大地先輩!」 かなでは笑顔で手を振った後、大地のそばに走っていく。 「ごめんね、突然、呼び出してしまって。時間が空いたから、君に逢いたかった」 「私も大地先輩に逢いたかったです」 かなではにっこりと笑うと、少し高いスツールに腰を掛けた。 「ひなちゃん、ゴールデンウィークは何か予定がある?」 「帰省しなくちゃならないんです。進路のことも親と相談しなくてはならないですから…」 かなでが苦笑いを浮かべながら言うと、大地は些か残念そうに微笑んだ。 「そうか…。ラ・フォル・ジュルネに誘おうと思っていたんだけれど、今年ばかりは仕方がないね。ひなちゃんも本腰を入れて進路を考えなければならない時期に来ているからね…」 「私も行きたかったんですが、今年ばかりは…。それに、今年のコンクールに備えて、早目に決着を着けておきたくて…」 本当に、心置きなくヴァイオリンと全国大会に集中する環境を整えておきたかった。 「そのほうが良いね。コンクールが終わるのは夏の終わりだからね。響也は?」 「響也は、もう学院大学に進むことは決めているみたいです。だけど、取りあえずらしいです。留学も視野に入れているみたいですけれど」 「…そうか…」 大地は頷きながら、ちらりと探るようなまなざしでかなでを見てくる。 「…ひなちゃんは…、どうしようかと思っているのかな?」 大地にやんわりと訊かれて、かなでは一瞬、答えに詰まった。 曖昧に笑った後、かなではわざと視線を宙に向けた。 「…親には地元に戻って来いと言われています。地元には音楽を勉強出来る高校はなかったので、横浜に出してくれましたが、大学はあるんです。だからそこの入学案内をわざわざ送ってくれたんです…」 正直言って、余り乗り気ではないせいか、つい表情に出てしまった。 「…そうか…。ひなちゃんは、どこで勉強をしたいのかな? 君の表情を見ていると、余り乗り気ではなさそうだ」 大地は少し厳しさを含んだ声で言うと、かなでを見た。 「…色々な選択肢から選ぼうと思っています。余り時間はないですが、キッパリ決めようと思っています」 「そうだね。俺は君が選んだ進路を歓迎するよ。君が一番だと思うものを選べば良い。君にとってベストを選ぶべきだよ」 「有り難うございます」 自分にとってのベスト。 かなではその言葉を心に刻み付けながら、笑顔で頷いた。 「有り難うございます。自分にとってベストを選びますね」 「うん、それが一番良いよ」 大地は笑顔で返事をしてくれた後、進路についてはそれ以上は何も言わなかった。 横浜に残らなくても、大地は何ともないのだろうか。 ふいにそう思い、かなでは胸が切なく痛くなった。 大地と一緒にいる時間はとても楽しかった。 ふたりで薔薇を見に行ったり、ランチを食べたり。 そばにいるだけで、幸せでたまらない気持ちになった。 かなでは、やはり大地のそばにいながら勉強したいと思う。 だが同時に、大地がそれほど執着をしていないところが、痛かった。 ゴールデンウィークの帰省チケットも確保し、かなではヴァイオリン中心の生活に没頭する。 まだまだ進路の悩みは尽きないが、ヴァイオリン中心の生活だと、胸が痛めようなことを考えずにすむと思った。 いよいよゴールデンウィーク。 かなでは故郷に向かう。 ゴールデンウィークはのんびりするというよりは、この先を決める緊張感がある。 1年前までは、こんなにも音楽中心に物事を考えてはいなかった。 全く真剣でなかったと言っても良い。 かなでは、音楽については半分諦めた生活を送っていた。 目標も張り合いもない日々。 思えば生きている意味すらも見出だしてはいなかった。 それが横浜に行き、数々のライバルや仲間と出会い、恋をして、人生が大きく変わってしまった。 明るく拓けたと言っても過言ではなかった。 だからこそ、このチャンスを活かして羽ばたきたい。 それにはどうするべきか、かなでは一番解っていた。だからこそ、田舎に帰ってきちんお決着をつけなければならない。そう重い、背筋を伸ばして、寮を出た。 寮を出ると、大地が手持ちぶたさで待ち構えていた。 「大地先輩…」 「せめて東京駅まで送らせてくれないかな?」 大地はフッと笑うと、かなでの手をしっかりと取る。 「有り難うございます。送って下さって嬉しいです」 「うん、じゃあ車で送るよ」 「はい」 この春大地は運転免許を取得し、かなでをドライブに連れていってくれるようになった。 かなでにとっては楽しみのひとつになっている。 大地は助手席のドアを開けてくれ、かなでは車に乗り込んだ。 車は一路東京駅へと向かう。 「響也は帰らないの?」 「響也は昨日の夜行バスに乗って一足先に帰っちゃいました」 「そうなんだ」 大地はいつものようにポーカーフェースを崩すことなく、ハンドルを握る。 いつもなら心地好いドライブなのに、今日は何処となく切なくて重い空気が漂っていた。 かなでは思わず溜め息を吐きそうになる。 いつものように会話を弾ませることなく、駅に到着した。 大地はかなでの手を引いて、わざわざホームまで見送りに来てくれた。 「いつ帰ってくる?」 「4日です」 「気をつけて帰るんだよ」 「はい」 他愛ない話をしている間も、大地は手をギュッと握って離さない。 その強さに恋を感じた。 |