後編
大地にしっかりと手を握り締められると、かなでの心は熱くて甘い想いに満たされる。 この手を離したくはない。 ずっと近くで握り締めていたい。 かなでは、大地の手をギュッと握り返すと、決意を固めてにっこりと笑った。 大地と離れたくない。 横浜から他には行きたくない。 今は大地のそばにいて、ヴァイオリンを頑張っていきたい。 かなでは、ようやく素直になることが出来た。 自分にとって素直な道はひとつだけ。 それがベストだ。 かなでは迷いのない瞳を大地に向けると、華やいだ笑みを浮かべた。 自分がこんなにも恋に対して情熱的だとは想ってはいなかった。 これは新たな発見だ。 恐らくは、かなでが相手だからこそ、ここまでの行動が取れたのだろう。 大地にとって、かなでは、“ファム・ファタール”。 運命の女。 これ以上の相手はいないと思っているから。 かなで以上の相手とは、二度と出会えないだろう。 それが解っているからこそ、大地はかなでを離せなかった。 何処にも行って欲しくはなかった。 こんなにも誰かを求めるなんてことは、未だかつてなかったから。 かなでが真直ぐ見つめて来る。 決断出来たのだろう穏やかな瞳だ。 横浜に残って欲しい。 ずっとふたりで支えあって生きていきたい。 今はそばにいることが必要なのだ。 お互いにとっては。 だからこそ、かなでには横浜にいて欲しい。 わがままなのは解っているが、あえてそれを通したかった。 「大地先輩、こちらまで来て下さって有り難うございます。私、とっても嬉しいです」 かなでは相変わらず爽やかな笑みを浮かべている。 本当に眩しいほどの笑みだ。 かなでを見ているだけで、太陽が心に注いだような、きらめいた気持ちになる。 やはりかなでがいなければ、心はどんよりと雲に覆われてしまう。 かなでがいなければ、暗い気持ちになる。 「…こちらこそ、急に押しかけてきてごめん。君にはどうしても伝えたいことがあった。君が進路を決めるまでにどうしても」 心臓の鼓動が焦るようにドキドキとする。 大地はかなでを真直ぐ見つめた。 「横浜に残って音楽の勉強を続けないか?それが君にとっては良い方法だと、俺は思っている…。少なくとも…、俺は…、君に横浜にいて欲しいと思っている」 大地はそこまで言うと、覚悟を決めるように、深呼吸をした。 かなでを見つめると、穏やかで何処か嬉しそうな光を瞳に滲ませている。 「…ひなちゃん、進路は決まったのかな?」 「はい!」 迷いないかなでの返事に、大地は呼吸を整えるように努力をする。 「…そうか…。それで、どうするのかな?」 大地は、苦しい気分で、かなでを見る。 自分の合格発表を見るよりも苦しいと、大地は思わずにはいられなかった。 「…私、学院大学に行きます。横浜にこのまま残ります!」 かなでの言葉には、最早、悩みなどは一切ないようだった。 清々しい声で、キッパリと大地に宣言をしてくれている。 それが大地には飛び上がるほどに嬉しかった。 「…ひなちゃん…」 ここまで来たかいがあったと思う。 かなでの結論を聞くのを、待ってはいられなかったからだ。 かなでも嬉しそうに笑っている。 その笑顔は、明るい太陽のように輝いていて綺麗だった。 「有り難う! ひなちゃん…!」 嬉しい感情が一気に爆発してしまい、大地はかなでを力強く抱き締める。 絶対に離さない。 その想いを込めて、大地は思い切り抱き締めた。 このままグルグルと回転してしまいたくなるほどだ。 かなでがこれからもそばにいてくれる。 大地にはこれが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。 大地が息が出来なくなるぐらいに抱き締めてくる。 こんなに喜んで貰えるなんて、かなでは思ってもみなかった。 ずっと一緒にいたい。 こうしてずっと抱き締めて貰いたい。 かなでの中で、熱い想いがわきあがる。 横浜に残ると素直に決めたことが、かなでは益々正解のように思えてからなかった。 大地と一緒にいれば、お互いに切磋琢磨して、磨きあえるに違いない。 お互いに成長しあえるに違いない。 そして。 大地の誰よりもかけがえのないひとでありたかった。 かなでは強く想うと、大地を真直ぐ見た。 「大地先輩、来て下さって有り難うございます。私の背中を押して下さって有り難う…。これで迷うことなく、横浜に残ることが出来ます。本当にどうも有り難うございます」 かなでは嬉しくてつい涙ぐんで笑ってしまう。 祖父と大地がいたからこそ、妥協することのない未来を選ぶことが出来たのだから。 「…ひなちゃん…。俺こそ有り難う…。横浜に残る決断をしてくれて。ひなちゃん、本当に大好きだよ…」 「…大地先輩…」 かなでは嬉しくて、頬をほんのりと紅く染め上げて、上目遣いで見つめる。 そのまま大地の頬を捕らえられると、柔らかく目を閉じた。 大地の唇が重なる。 ロマンティックな気分でキスを受けながら、かなでは本当に幸せな気分になった。 大地とキスをするだけで、天国にいるような幸せな気分になれる。 こんなにも幸せな気分にさせてくれるのは、大地しかいないとかなでは感じていた。 大地がいるからこそ、こうして幸せな気分を味わえるのだから。 唇が離れた後、お互いに照れくさい幸せに包まれながら微笑み合う。 かなでは、スッキリと満たされた気分になった。 大地がいるからこそ、本当に幸せな気分でいられるのだ。 「大地先輩、向日葵の季節にはまだ早いですけれど、うちの周りを案内しますね。綺麗な花が沢山見られますから」 「有り難う…。ここにも綺麗な薔薇が咲いているんだね。夢中で気付かなかった」 大地が苦笑いを浮かべると、かなでもまた苦笑いを浮かべた。 「本当に。大地先輩、ツツジも綺麗ですから見に行きましょう」 「ああ」 ふたりはしっかりと手を繋いで、のんびりと花畑を散歩する。 本当に、天国の花園にいるような気分だ。 「これから横浜も薔薇が綺麗な季節だよ。山下公園、港の見える丘公園の薔薇はそろそろ見ごろだよ。モモを連れて一緒に見に行こう」 「はい!」 初夏に大地と薔薇を見に行けるなんて、今からウキウキしてしまう。 今までよりもずっとずっと綺麗な薔薇が見られることだろう。 大地と見る花は格別に違いない。 「夏はこのあたりは向日葵が綺麗なんです。今年は帰れないですけれど」 「来年は一緒に見よう。この先もずっとここの向日葵と横浜の薔薇をずっと一緒に見よう」 「はい!」 かなでは将来もそうなれると信じながら、大地に高らかに返事をした。 手を繋いで、ふたりで微笑み合いながら散歩を楽しむ。 お互いに、取った手を離さないように、しっかりと手を握り合っていた。 「突然押しかけてしまってごめん」 「嬉しかったです。それにうちの家族は大地先輩を気に入ってますし。信頼しています。律と響也からも色々と聞いてますから」 「良かった」 ふたりは他愛ない話をしながら、散歩を楽しんだ。 ヴァイオリン工房に戻ると、祖父と両親が待っていた。 かなでの結論をもう既に解っているようだった。 かなでは真直ぐ両親を見つめる。 迷いないまなざしだった。 「おじいちゃん、お父さん、お母さん…。私のわがままを許して下さい。横浜でヴァイオリンを後四年、勉強させて下さい」 かなでが躰を深々と折り曲げてお辞儀をすると、両親は半ば諦めたような表情になった。 「そう言うと思っていたわ…」 母親は頷くと、大地とかなでを見る。 「後四年間、しっかりと勉強しなさい」 「有り難う、お母さん…」 かなでは涙をぽろぽろと零すと、もう一度頭を下げる。 大地も同じように頭を下げてくれた。 「大地君、かなでのことを宜しくお願いします」 「有り難うございます」 まるでお嫁に行くような心境だ。 だが、それはまだ先のこと。 「大地君、かなでや律、響也を宜しく頼むよ」 かなでの祖父はしみじみと呟く。 「はい」 「今日はうちでお泊まりなさいね」 母親は、大地の人柄を信頼しているからか、笑顔で言う。 「有り難うございます」 かなでと大地はお互いの顔を見つめて微笑みあう。 ベストな選択が出来た。 かなでも大地もそう思った。 |