後編
ひとを冷静に見るのには慣れている。 いくら色目を使われても揺らがない自信が大地にはあった。 大地は、得意のひと付き合いで上手くあしらいながら、早くコンパから帰りたいと願った。 かなでの風邪が酷くなっていなければ良いのにと、大地は思わずにはいられない。 かなでのことばかりを心配してしまう。 こんなにも誰かを求めることはなかったのにと、大地は思わずにはいられなかった。 たとえどのような美女が誘惑をしてきても、乗らない自信がある。 それは最高に恋をしている相手がいるから。 大地は、楽しむふりをして、コンパを早々に切り上げようとしていた。 ようやく切り上げて、元町中華街の駅に着いたのは、十一時を回っていた。 勿論、かなでが起きている筈もないし、起きていたとしても、電話には出てくれないかもしれない。 高校生の寮であるから、菩提樹寮はかなり規則が厳しい。 消灯は十一時なのだ。 大地は致し方がないと思いながら、せめてかなでにはメールだけでも送りたかった。 ひなちゃんへ。 風邪で気分が悪そうだったけれど、大丈夫かな? 明日、寮に様子を見に行くよ。 大地 大地はメールを送った後、自宅までの通り道でもある、菩提樹寮前までやってきた。 かなでが使っている部屋の電気は既に消されてしまっている。 大地は甘い気分でかなでの部屋の窓を見つめながら、「おやすみ…、ひなちゃん…」と、小さく呟いた。 大地は、明日はかなでのお見舞いに行こうと思いながら、家路へと向かった。 翌朝、大地は久し振りにモモの散歩をした。 いつもの時間に菩提樹寮の前を通ったが、かなではいなかった。 その代わり、ニアが立っていた。 「小日向かなでなら、風邪薬が効いたのかまだ寝ている…。今日は出てこない」 ニアの淡々とした言葉に、大地は心配で沈んでしまう。 やはり風邪は悪化してしまっていたのかと思うと、いたたまれなくなった。 「そうか…。有り難う…」 「どう致しまして」 「後でお見舞いに行く」 「そうしてやってくれ…。喜ぶ筈だ…」 「ああ。後で行くよ」 大地が菩提樹寮から離れようとすると、豆柴のモモは離れがたいようで、くーんと哀愁を帯びた鳴き声を出す。 いつも、かなでと一緒に散歩をしているから、逢えなくて寂しいのだろう。 よく遊んでくれるかなでを気に入っているようだから。 最近、かなでにずっと逢えていないから、それもあるのだろうと、大地は思った。 「モモ、行くよ。また直ぐにひなちゃんには逢えるから」 大地が説得をすると、渋々ではあるが、モモはゆっくりと歩き出した。 ずっとかなでに心を残しているようだ。それは、大地も同じことだった。 モモといつもの散歩コースを歩いても、いつものように楽しいわけじゃない。 いつもならば、本当に跳ね上がりたいと思うぐらいに楽しいというのに。 モモも大地も、今日の散歩は物足りなかった。 理由は解っている。 かなでがいないからだ。 本当にふたりしてかなでに夢中なのだということを、改めて思い知らされる気分だった。 かなでに夢中だ。 彼女がいなければ、モモも自分も全く楽しくないのだということを、思い知らされた格好だ。 大地は素早く家に戻ると、直ぐに見舞いに行く支度をした。 どれくらい眠っていたのか、全く見当がつかない。 まだ躰は怠くて重いが、昨日ほどではなくなっている。 ほんのりと楽になってはいる。 かと言っても余り無理は出来ない。 今日一日おとなしくしていれば、明日には元気になれるだろうとかなでは思った。 「小日向、良いか」 ノックと共にニアの声が聞こえる。 「どうぞ」 かなでが躰を起こすと、ニアが部屋に入ってきた。 「小日向かなで、先ほど豆柴と榊大地に逢ったぞ。二人ともお前がいないからか、かなりがっかりしていた…」 「大地先輩とモモが…」 朝の散歩にちゃんと立ち寄ってくれたのが嬉しく思うのと同時に、少しだけ寂しい気分にもなる。 早起きして、ふたりに逢いたかった。 「…そうなんだ…。逢いたかったな…」 「榊大地が、お前の見舞いに来るらしい。最小限はきちんとしていたほうが良いのではないか?」 ニアの言葉にかなでは慌ててベッドサイドにある手鏡を手に取り、状態を確認する。 せめて髪を綺麗に梳かして、顔を洗わなければならない。 食欲はないから、せめてこれだけはしようと思った。 恋する乙女心がむくむくと湧き上がってきて、何とか最低限の身支度が出来た。 「榊大地ならば、お前がどのような格好をしても気にならないとは思うが…」 からかうようにニアに言われて、かなでは恥ずかしくなったが、やはり大好きなひとの前では綺麗にしたかった。 大地は、霧笛楼に立ち寄りケーキを買い求めた後、近くの花屋で、ピンクの薔薇が可愛らしい花束を買い求めた。 良い香りがして、癒される。そしてかなでのように可愛らしい。 大地はケーキと花束を持って、菩提樹寮へと向かった。 楽譜を読み込むまで回復はしていないから、かなではぼんやりとしていた。 すると優しい足音が聞こえて来る。 大地だ。 意識し始めた途端に、かなではドキドキが止まらなくなってしまった。 ノックが部屋に響く。 「ひなちゃん、榊だ。中に入っても良いかな?」 「どうぞ」 華やいだ気分で声を出したつもりだが、かなでの声は鼻声のせいでおかしな響きになる。 「お邪魔します」 大地がドアを開けて、そっと中に入って来てくれた。 大地の顔を見るだけで、一気に気分の悪さは吹き飛んでくれる。 かなでにとっては、何よりもの特効薬だった。 「ひなちゃん、具合はどうかな?」 大地は心配そうに顔を覗き込んでくれる。 「昨日の夜よりは随分とマシです」 微笑んでみたが、余り威勢があるとは言えなかった。 「今日はゆっくり休むんだよ。モモも心配して、君にお見舞いに大好きなミルクガムを持っていってくれと、咥えて来たんだよ」 大地は苦笑いを浮かべながら、さり気なくかなでの頬に触れた。 「顔色も良くないし、熱があるようだね…。余り長居をしないほうが良いかな…」 大地には何処にも行って欲しくない。かなではつい、大地の手をしっかりと握り締めて、声を出した。 「そんなことないです…!」 「…ひなちゃん…」 「大地先輩には…、そばにいて欲しいです…」 「うん、有り難う」 大地はしっかりと頷くと、かなでが心配しないようにと手をしっかりと握り締めた。 「…大地先輩、モモちゃんと先輩とで、朝の散歩に行きたかったです」 「うん、また良くなったら行こう。俺も、もうすぐ忙しさは取り敢えずは一段落するから。今までなかなか一緒に過ごせなかったから、一緒にコンサートに行ったりしよう。取り敢えずは来週だね」 「はい。それまでには絶対に良くなりますね」 「ああ」 大地とこうして手を握っていると安心して、不安なんて何処かに行ってしまう。 かなではつい笑顔を浮かべた。 どうして住む世界が違うのかと思ったのだろうか。 こうして手を繋げば、いつでも同じ世界を共有することが出来るのに。 かなでは未熟さを感じながら、不安が一気に消えるのを感じる。 「ひなちゃん、本当に助けが必要な時は、俺を頼って良いから…」 「はい、有り難うございます。大地先輩も、私をうんと頼って下さいね」 「うん。そうさせて貰うよ」 大地はフッと笑うと、かなでの手を両手で包み込む。 やさしい温もり。 感じていた壁は自分が築いていたこと。 やさしい壁はやさしい温もりで壊せば良いのだと、かなでは思った。 |