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明日はいよいよ本番だ。 緊張をするというよりは、心が引き締まった気分になった。 わくわくしているところもある。 あれほどまでのメンバーと、アンサンブルで切磋琢磨することが出来るのだから、当然だと思った。 かなでは思い切り伸びをすると、明日へと気合いを入れた。 不意にドアをノックする音が響く。 「ひなちゃん」 「大地先輩」 かなでがドアを開けると、大地がにっこりと微笑みながら立っていた。 「今、良いかな?」 「はい、どうぞ」 かなでは笑顔で大地を部屋に向かい入れた。 「明日はもう本番だろう? どうしているのかと思ってね。緊張してる?」 大地は優しいまなざしを向けてくれる。その暖かさを汲みながら、かなでは笑顔になった。 「いいえ、大丈夫ですよ」 「流石はひなちゃんだね。度胸がついているのは、ヴァイオリニストには向いているね」 「有り難うございます」 かなでが笑顔で返事をすると、大地は頭をくしゅりと撫でてくれる。 「有り難うございます」 「うん。それでこそうちのファーストだよ」 大地はかなでの柔らかい頬に触れてくる。 こうしてほんのりと甘い行為をされると、鼓動が激しいダンスを踊り出す。 「明日…ベストの演奏をしますね。頑張りますからよろしくお願いします」 「こちらこそ、ひなちゃん」 ふたりはそっと寄り添いながら、僅かな時間をリラックスにあてる。 大地がいればきっと大丈夫だ。 その安堵がかなでに自信を与えてくれている。 「みんながいれば大丈夫です。演奏は上手くいきますよ」 「そうだね。きっとそうだ。仲間がいるから上手くいく。星奏のアンサンブルメンバーも勿論だけれど、全国大会を闘ったメンバーみんなが、素晴らしい仲間だからね」 「はいっ!」 大地といると、大きな心でしっかりと支えられているような気分になる。 大地はその名前の通りに大きな心を持っていると、かなでは感じずにはいられなかった。 大地と肩を並べて、宝石よりも麗しい神戸の夜景と、夜空を見上げる。 生憎、月は見えないけれど、幾つか見事な星は見られる。 大地と見る景色はどれも素晴らしいけれども、特にふたりきりで見ていると、かけがえのないものに変わった。 「ひなちゃん、有り難う…」 大地はかなでに、さり気なくて愛情と優しさが滲んだ声で語りかけてくれる。 「大地先輩…」 かなでが見上げると、大地は優しい表情で見つめてくれた。 「ひなちゃんがいてくれたからこそ、奇蹟のような夢が叶えられたんだよ。ひなちゃんがいてくれたからこそ、最高に素晴らしい気持ちになれたんだよ…。本当に有り難う…。こうしてここにいて、幸せな気持ちでいられるのは、ひなちゃんのお陰だから…。君がいたからこそ、俺は頑張ることが出来たんだよ。ひなちゃん、この夏に経験出来たことは俺にとってはかなりのプラスになった。これから頑張れる力や勇気や元気を貰ったような気がするよ」 大地は誠実な愛情が溢れた落ち着いた笑みを浮かべながら、魅力的な声で囁いてくれる。 それが嬉しかった。 「…大地先輩、私こそいっぱい有り難うです。ヴァイオリンの迷子になっていた私を、いつも見守ってくれたんですから。時には厳しくしてくれたから、私は頑張れたんですよ。またヴァイオリンで目標を見つけられたのも、先輩がいたからです。有り難うございます」 お礼を言っているうちに、かなでは胸がいっぱいになり、泣きそうになった。 胸が熱くて甘くてどうしようもない。 かなでは、大地に涙目で見つめた。 このひとがいるから、いつでも頑張ることが出来るのだ。 「…ひなちゃん、明日、上手くいくように、おまじないをしようか?」 「はい…」 おまじない。 それがロマンティックなものであることは、直ぐに想像出来る。 とっておきの甘いロマンティックがありますように。 かなではそれだけを思った。 大地はスッと甘く目を細めると、そのまま唇を近付けてくる。 これこそとっておきのおまじないだ。 かなでは甘くて幸せな気持ちに満たされながら、そっと目を閉じた。 きっと甘くて堪らないマジックで満たされる。 大地に両手で優しく頬を包み込まれたまま、唇が重なった。 全身にロマンスの魔法が流れ込む。 こんなにも素敵なおまじないなんて他にない。 かなでは幸せな気分に浸りながら、思わず鼻歌を歌いそうになった。 甘い、甘い、おまじないの後、ふたりは照れくさい笑みを浮かべながら見つめあう。 「…足りない…?」 「足りない」 大地がくすりと笑いながら言うと、かなでも笑いながら頷く。 何度も何度も、ヴィオラの王子様と、ヴァイオリンのお姫様のキスは続いた。 いよいよ本番だ。 かなでたちの出番は一番最後だ。 客席やステージの袖で、みんなの演奏に耳を傾ける。 表向きは勝負がかかっているわけではないけれども、誰もが真剣勝負だ。 それゆえに熱い想いや研ぎ澄まされた洗練を感じずにはいられなかった。 かなでたちも、同世代の素晴らしい演奏を聴いて、かなり刺激される。 やはりライバルの演奏というのは良いカンフル剤になる。 かなでは、切磋琢磨出来る仲間たちがいて、本当に良かったと心から思った。 東金と土岐の素晴らしきツインヴァイオリンも、至誠館のチームワーク溢れる演奏も、何もかもが素晴らしい。 感動してしまい泣きそうになった。 同時に、もうすぐ楽しかった神戸の旅も終わってしまうことが、残念に思えてならなかった。 「我々の番だ」 律の一言に気持ちが引き締まる。 かなでは背筋をしっかりと伸ばすと、深呼吸をする。 このメンバーで合同演奏会をするなんてことは、これがラストチャンスなのかもしれないから。 かなではヴァイオリンと音楽の世界に集中すると、素晴らしき世界を奏で始めた。 この一瞬、一瞬を忘れない。 永久に忘れることはないだろう。 かなではヴァイオリンを奏でながら、このかけがえのない時間をプレゼントしてくれた人々に、心からの感謝を贈った。 演奏が終わった瞬間、溢れるような情熱に満たされた拍手がホールを渦巻く。 こんなにも温かくて素敵な拍手を貰えるなんて、思ってもみなかった。 「…嬉しいです…」 みんなと演奏が出来たこと。 みんなと競演が出来たこと。 そして温かな拍手を頂けたこと。 それらが、かなでに更なる感動をもたらしてくれた。 こんなにも素敵で、素晴らしくて、幸せなことはない。 だからこそ音楽は素敵なのだ。 だからこそ音楽を止めることなんて出来やしないのだ。 かなでが感動の余りに感きわまって涙ぐんでいると、大地がそっと肩を抱いてくれた。 優しくて温かいのが嬉しい。 かなでが感動に浸っていると、他校のメンバーが声を掛けてきてくれた。 「みんなで一緒に演奏しようぜ。ラプソディ・イン・ブルー。構わないだろ?」 東金の提案に誰もが頷いたのは言うまでもなかった。 大アンコールということで、全員でご機嫌なガーシュインのナンバーを奏でる。 相応しいナンバーだとかなでは思う。 肩の力を抜いた楽しい演奏は、いつまでも続いて欲しかった。 楽しかった神戸の旅も終わった。 帰りの新幹線で、かなでは大地に肩を借りてのんびりと眠りにつく。 「ご苦労様、ひなちゃん」 大地の声を遠くに聞きながら、かなでは素晴らしく幸せな気分で夢を見ていた。 |