後編
神南に招待をされて神戸に来たのは、アンサンブル演奏をするためだ。 会場は、千秋の祖父が道楽で建てたという、クラシック専用ホールだった。 全国大会優勝校として、恥のない演奏をしなければならない。 午前中は、かなでは練習に集中した。 素晴らしい演奏を、神戸の人々にも聴かせたい。 そして大好きなひとに、どれほど成長が出来たか。 花のある演奏が出来るようになったか。 それを知って欲しかった。 かなでにはその強い想いだけがあった。 誰よりもかなでが大好きな男性に、よりヴァイオリニストてして成長をした姿を見せたかった。 遠距離恋愛だからこそ、成長をしっかりと見せなければならないと思う。 それゆえにヴァイオリンに集中することが出来る。 ライバルから恋人へ。 だからこそ、より成長した姿を見せたかった。 みっちりとした午前中の練習が終わった。 くたくたになるまでヴァイオリンを弾いた。 午後からはいよいよ自由時間だ。 千秋が来てくれる。 それだけで嬉しくて、厳しい練習の疲れが吹き飛ぶような気がした。 「かなで」 練習していた元町のスタジオから出ると、千秋がリムジンで待ち構えていた。 「千秋」 かなでは直ぐに千秋に駆け寄ると、にんまりと笑った。 「お待たせしました。そちらの練習はいかがだった?」 「まあまあ、だな。お前たちには負けないから、しっかりと良いものを見せてくれ」 「もちろんだよ」 かなでが力強く返事をすると、千秋は満足とばかりに頷いた。 相変わらず大層なリムジンに乗せられて、神戸の街を走り抜ける。 「先ずは中華街で飲茶を楽しもう。その後は、須磨に出ようと思っている」 「楽しみ」 「楽しみにしていろ」 車は中華街の高級中華料理店前で停まった。 高級だと言われているだけあって、物凄く美味しかった。 中国茶も大量に飲んだので、随分と油は緩和された。 もちろんそれは、気休めなのかもしれないのだが。 たっぷりと飲茶を食べた後は、須磨へと向かった。 「お前にどうしても見せたいものがある。楽しみにしておけよ」 「はい」 千秋が見せたい物。 それは何だろうか。 車が到着したのは、広い駐車場。 その向こうには優美で広い公園がある。 「行くぞ、かなで」 「はい」 千秋はかなでの手を強く引くと、そのまま公園へと向かった。 「わあ!」公園に入るなり、余りにも豪華な雰囲気に、かなでは大きく感嘆の声を上げる。 まるで外国の映画に出て来るような大きな噴水と、見事な花壇が見える広い庭園だ。 「何だか映画に出て来るみたいで凄い!」 「ここは元々はひとが住んでいたんだぜ?」 「私邸だったの!?」 「ああ。俺のひいひい祖父さんが建てた邸宅が残ってる。お前に見せてやる。ここ自体は皇室の離宮だったところなんだが、ひいひい祖父さんの家が文化財として移設されている」 余りにスケールが違う話で、かなでは目を丸くする。 本当にかなりのセレブリティなのだと、かなでは感じずにはいられなかった。 「俺は誰よりもひいひい祖父さんに似ているらしい。皆が言うからそうなんだろうけれど、それ以来この場所が俺の原点のような気がしてな。だから、どうしてもお前をここに連れて来たかった」 千秋はかなでに優しくて甘い笑みを浮かべてくれる。 そのまま手を引いて、公園の奥へと歩いていく。 かなでは、とっておきの場所に案内されるのが嬉しかった。 公園の一角に時間が優雅に流れている場所がある。 時の流れとは別次元に存在しているのではないかと、思ってしまうほどだ。 「何だかとてもロマンティック」 「この奥がひいひい祖父さんの家だ」 一際優美に輝く洋館が見えてきた。 異人館通りにある洋館よりも気品に満ち溢れている。 「ここが家。今は保全のために見られないけれどな」 「この家が…」 優美さと力強さを感じる見事な邸宅だ。 かなでは外側からでも充分にその力を感じた。 「お前にじっくりと見て欲しかった。俺は何か迷うことがあると、この場所に答を探しに来るんだ。答なんて何にもないはずなのに、不思議とスッキリする。それから暫くして、答がどこからともなく見つかったりするんだよ。俺の精神的な柱のような家だな」 千秋は心からの愛情が滲んだ声で呟きながら、邸宅を見上げる。 この場所は千秋にとってはとっておきの場所なのだ。 そこに連れていって貰えたことを、かなでは嬉しく思った。 不思議と色々な力をこの家から貰うことが出来る。 神戸での演奏もきっと大丈夫。 素晴らしいものになると予感していた。 公園を後にして、リムジンは一路元来た場所に向かう。 神戸の地理はとても分かりやすい。 かなででもどの方向に走っているかが解った。 「神戸は分かりやすい町の作り」 「ああ。海側が南、六甲山が北だから分かりやすい。迷子になりにくい土地柄だな」 「そうだね。あ、北野方向に向かっている?」 「ご名答。今からお前が好きそうなとっておきの場所に案内をしてやるよ」 「有り難う」 千秋が言うとっておきの場所。 かなではわくわくしながら、神戸の町並を楽しんで見ていた。 リムジンは、山手の、神戸の街が一望出来る場所に停まった。 「ここから最高にロマンティックな神戸が楽しめるぜ。さあ、来いよ」 「うん!」 千秋と手を繋いで向かったのが、ヴィーナスブリッジ。 「ここから見る夜景は最高だ。横浜も良い街だが、この夜景の素晴らしさは神戸が上だな」 千秋自慢の夜景というのはさぞかし素晴らしいものなのだろう。 「その前に、お前とまたここに戻って来たいから、まじないをしないとな。俺はまじないなんて信じない質だが、お前とならばやってみたい」 千秋のストレートな言葉に、かなでは真っ赤になりながらも、心から嬉しく思った。 「この南京錠に名前を書いてここに飾ると、いつまでも幸せでいられるらしい。何処にでもある都市伝説だが、やってみる価値は充分にあるはずだ」 「そうだね。やってみたい!」 「だろ? だったらこれに名前を書こうぜ」 千秋はニヤリと笑みを浮かべると、南京錠を差し出してくれる。 かなではそこに自分の名前を書く。 千秋も書いて完成だ。 ふたりは南京錠を丁寧にハート型のモニュメントに飾った。 「おしまいだ」 「これでいつまでも幸せ」 「ああ。離れていてもお互いに心を通じ合わせられる」 千秋はかなでの手をギュッと握り締めた後に、フッと甘く微笑む。 ふたりは見つめ合うと、身体は遠くにいても、心は離れることはないと、確信していた。 「かなで、素晴らしいショーが始まるぜ」 「うん」 ふたりはヴィーナスブリッジで寄り添いながら、夕暮れの神戸を見つめる。 空はオレンジに彩られた後、パープルになり、やがて素晴らしき闇がやってくる。 神戸の街に灯った灯が宝石となって見事な輝きを見せた。 ひとが作った人工の星屑、人工の宝石箱。 その輝きに、かなではただ魂を吸い寄せられた。 見事過ぎる美しさだ。 「…綺麗…」 かなではただこれしか言えなかった。 「俺の最高に自慢の景色、気に入ってくれた?」 「はい」 「また、一緒に見よう…」 甘くて低い千秋の声がかなでをうっとりとした幸せに導いてくれる。 また一緒に見られるように。 ふたりは祈りを込めて、甘い甘いキスをかわした。 願いはきっと叶う。 |