後編
神南に招待をされて神戸に来たのは、アンサンブル演奏をするためだ。 会場は、千秋の祖父が道楽で建てたという、クラシック専用ホールだった。 全国大会優勝校として、恥のない演奏をしなければならない。 午前中は、かなでは練習に集中した。 素晴らしい演奏を、神戸の人々にも聴かせたい。 かなでにはその強い想いだけがあった。 そして、誰よりもかなでが大好きな男性に、より成長をした姿を見せたかった。 遠距離恋愛だからこそ、成長をしっかりと見せなければならないと思う。 それゆえにヴァイオリンに集中することが出来る。 ライバルから恋人へ。 だからこそ、より成長した姿を見せたかった。 みっちりとした午前中の練習が終わった。 くたくたになるまでヴァイオリンを弾いた。 午後からはいよいよ自由時間だ。 蓬生が来てくれる。 それだけで嬉しくて、厳しい練習の疲れが吹き飛ぶような気がした。 「かなでちゃん」 練習していた元町のスタジオから出ると、蓬生が車で待ち構えていた。 「蓬生さん」 かなでは直ぐに蓬生に駆け寄ると、にんまりと笑った。 「お待たせしました。そちらの練習はいかがでしたか?」 「それは秘密やな。まあ、楽しみにしといて。絶対にがっかりはさせへんから」 「はい」 かなでは、蓬生の笑顔を見ると、益々神南の演奏が楽しみになった。 それでも負ける気は絶対にない。 「負けないから」 「ああ。楽しみにしとう」 「はい」 お互いにフッと微笑みあった後、蓬生はかなでを車へとエスコートしてくれた。 「行こうか、かなでちゃん」 蓬生に車に乗せて貰い、ドライブを楽しむことにした。 「何処に行くんですか?」 「ナイショ。俺の大好きなとこ。かなでちゃんよりは好きやないけど」 さらりと甘い言葉を囁くものだから、かなでは恥ずかしさと嬉しさを同居させる。 「海!」 車を走らせていくと、キラキラと輝く海が見えてきた。 「瀬戸内の海もええもんやろ?」 「はい」 蓬生はご機嫌そうに笑みを浮かべる。その横顔を見ているだけで、かなでは幸せな気分になった。 車が着いたのは商店街の近くだった。 「ここは明石の魚の棚。ええ魚介がぎょうさん買えるんや。だけどオススメはたまご焼き。明石焼きとも言とうけど」 本場の明石焼きなんて食べたことがなかったから、かなでは楽しみでしょうがなかった。 蓬生がオススメだという明石焼きの店に行くことになった。 「うわあ! ダシにつけて食べるんだ」 たこ焼きをイメージしていたが、ソースではなく、直接だしをつけて食べるのが、かなでには新鮮だった。 「美味しそうだね」 「じゃあ食べよか」 かなでは箸を使って明石焼きを掴んで、ダシに入れて口に放り込む。 フワッとした食感とジワッとしたダシの美味しさに、かなでは驚いてしまった。 「美味しい! ふわふわとプリプリとじゅわー」 「流石はヴァイオリニスト。音で表現しとう」 蓬生は楽しそうに笑っている。 その笑顔を見ていると益々、明石焼きが美味しくなる。 かなではこんなにも美味しい粉物を食べたことはないと思いながら、味わった。 「イカ焼きも美味しいから」 蓬生が注文してくれたイカ焼きは、たまごの生地の中にイカが刻まれたものが入っていた。 「こんなイカ焼き初めて!」 かなでが感嘆の声を上げると、蓬生はフッと微笑んだ。 「ホンマに美味しいやろ? イカ焼き言うたらこれや」 関西の粉物は本当に美味しいと思いながら、かなではどんどん平らげていく。 「お好み焼きも美味しいから一枚頼も」 本当に粉物のフルコースのように、かなではどんどん食べていく。 「美味しかった!」 ついペロリと全部平らげると、蓬生はくすりと笑った。 「かなでちゃん、口の横にソースとかつぶしがついとう」 蓬生は綺麗な指先を伸ばしてくると、かなでの唇の横についたソースとカツオ節を取ってくれた。 「有り難う…」 恥ずかしいけれど、嬉しくて、かなでは頬を紅に赤らめながら、つい微笑んだ。 「どう致しまして」 蓬生の魅力的な笑顔に、かなではつい嬉しくて、はにかむように笑った。 粉物を堪能した後、車は再び神戸方面へと向かった。 「かなでちゃんに、シンデレラになってもらわんとね」 「え?」 蓬生はフッと微笑むと、車を立派な靴専門店の駐車場に停めた。 「本番の為のガラスの靴を俺に選ばせて」 「はい」 ガラスの靴。 本当にまるでシンデレラだ。 かなではうっとりとした気分で、店へと入っていった。 シンデレラの靴。 まさにその名前がピッタリの、デザインが優美で作りがしっかりとしている靴が並んでいる。 白い何のへんてつのないものが、かなでは気になった。 「…このハイヒール、気品があって素敵…」 「かなでちゃんに似合いそうや。これにしよ。サイズが大丈夫か見てみて」 「はい」 何故か吸い寄せられたプリンセスのようなハイヒール。 かなではついうっとりとしてしまう。 蓬生は、まるでシンデレラに出て来る王子様のように跪くと、かなでに靴を履かせてくれた。 本当にシンデレラに、いやそれ以上のお姫様になったような気分になる。 かなではついうっとりとしてしまった。 「…綺麗…」 「かなでちゃんにはピッタリやね。ホンマにシンデレラの靴やわ」 蓬生の大人びた笑みに、かなではフッと頬を赤らめて微笑む。 本当に幸せな気分だった。 シンデレラの靴を蓬生からプレゼントをされて、かなではロマンティックな気分になる。 「昔から京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、神戸の履き倒れっていうんや。靴は神戸が誇る産業。スウィーツだけやないよ」 「へえ…」 故郷の誇るものをプレゼントしてくれた蓬生の気持ちがとても嬉しい。 「私も故郷で自慢出来るものをプレゼントしますね!」 「有り難う、かなでちゃん。俺はあんたのヴァイオリンが聴けたら、それで幸せやから…」 「蓬生さん…」 蓬生の言葉が嬉しくて、かなでは益々素晴らしい演奏をしなければならないと思った。 「さてと、ええ時間やから、定番のとこに行こか」 蓬生は車を北野方面に走らせる。 定番スポット。 かなではある意味楽しみだった。 蓬生が連れていってくれたのは、金星台と呼ばれる場所だった。 ヴィーナスブリッジと呼ばれる橋が整備されていて、そこからは神戸の街を一望出来た。 「綺麗…!」 今は夕焼けの時間で、オレンジ色の空が輝いている。海と明石海峡大橋がオレンジ色に輝いていて素晴らしかった。 「さてとその前に、この南京錠をあのハートに飾ろ。恋人同士が上手くいくっていわれとう」 「やりましょう」 こんなロマンティックな都市伝説ならば大歓迎だ。 かなでは蓬生と名前を書いた後で、ハート型に南京錠を飾った。 「これで上手く行く。離れてても大丈夫」 「はい」 本当にそのような気分になって来るから不思議だ。 再び、ヴィーナスブリッジから、ふたりは神戸の街を眺めた。 オレンジからパープルへ、そしてロマンティックな闇へと変わる。 神戸の街にダイヤモンドよりも麗しい灯が灯り初めて、豪華な宝石よりもロマンティックな夜景が現われた。 こうして蓬生と夜景を眺めているだけで、ロマンティック過ぎて泣きそうになる。 「…また、一緒に見にこよ」 「はい…」 ごく自然に蓬生に抱き寄せられて、かなでも甘える。 ロマンティックと甘酸っぱい切なさで胸がいっぱいになった。 「かなでちゃん…、約束しよか。また来よう」 「はい」 ふいに蓬生の顔が近付いてきて、甘くて深いキスが下りて来る。 甘い、甘い約束。 約束は叶える為にあるのだと、かなでは強く感じていた。 |