前編
星奏学院高校オーケストラ部の二連覇がかかる全国大会ファイナルを、香穂子は客席で聴いていた。 相変わらず感動的な音楽を奏でてくれる。 特にファーストヴァイオリンが、より暖かみのある音にしている。 香穂子は後輩たちの音を熱心に聴きながら、ロマンティックで温かな気分に浸っていた。 横には夫である理事長の吉羅、そしてかつてのアンサンブル仲間たちも、一緒に聴いている。 何かに賭ける青春というのは、なんて素晴らしいのだろうかと、香穂子は思わずにはいられない。 一瞬の煌めきを見せてくれているかなでたちに、心からの拍手を送っていた。 「素晴らしいです、暁彦さん…」 「そうだね…。彼らの音楽には、ひとを感動させる温かさがあるからね…。審査員受けがするというよりは、観客受けをする演奏だね。それがヴァイオリンニストとしては、最も大切なものなのだけれどね…」 「そうですね…」 吉羅としっかりと手を握り締めながら、香穂子は幸せな気分になる。 音楽は聴いていてひとに温かさと愛を与えてくれるものだ。 香穂子は、学院の生徒たちの音を聴いて、そう思わずにはいられなかった。 かなでがステージで演奏をしているのを、大地はOBとして舞台袖で見ていた。 去年の夏よりも更に良くなっている。 技術的なものは勿論だが、暖かみという点でも広がりが出て来ている。 かなでには、音楽を通じて夢を見せて貰っている。 自分もその夢を共有することが出来て嬉しかった。 こうして舞台袖でかなでの演奏を聴いていると、また独占したくなってしまう。 大地はそんなことを想いながら、ファイナルの演奏に聞き入っていた。 かなでの演奏を聴くだけで甘く満たされた幸せな気分になる。 そのお礼に、こうして遠くから見守ることしか出来ない。 だが、かなでが最高の演奏をして戻ってきた時に、ギュッと抱き締めてあげられるように。 大地はそう思って待ち構えた。 盛大な拍手のなか、かなでたちが戻ってきた。 「ひなちゃん、よくやったね」 「大地先輩!」 かなでは先ず最初に、大地のところにやってきてくれる。 きらきらと輝いている。 かなでは最近更に美しくなった。 来年の夏はもっと輝かしくなるだろう。 そう思うと、かなでが遠くなるような気がして堪らなかった。 だが、かなではいつものように人懐っこい笑みを浮かべて、大地だけに笑みをくれる。 その瞬間、遠いと感じていた距離が、一気に近く感じた。 「演奏、物凄く良かったよ」 「有り難うございます。大地先輩が見守って下さっていたから、のびのび温かい演奏が出来たんだと思います」 大地とかなでとの仲は、オーケストラ部でも公認であるせいか、誰もがしょうがないとばかりに甘い苦笑いを浮かべていた。 いよいよ発表だ。 客席にいた香穂子は、かなでたちが優勝するのに疑わなかった。 吉羅とふたりで、固唾を飲んで見守る。 コールをされたのは星奏学院で、吉羅と一緒に大いに喜び合った。 既に祝賀会パーティの準備をしていたから、余計に嬉しくもあった。 表彰式が行われたが、香穂子は、席を外した。 ベビーシッターに任せている子供たちの様子を見に行くことと、祝賀会パーティの準備があるからだ。 先ず、香穂子はベビーシッターと遊んでいた子供たちを連れて、一旦、パーティ会場であるホテルへと向かった。 その後、かなでの為に、ドレスアップの準備をした。 香穂子が子供たちの世話をしていると、かなでが控え室にやってきた。 日野香穂子がいる控え室に向かうように言われて、かなではドキドキしていた。 「失礼します」 「どうぞ」 優しい声変わり聞こえてきて、安心しながらかなでは中に入る。 「小日向さん、お久し振り」 「お、お久し振りです」 二人目の子供を出産してから、更に綺麗になったのではないかと、かなでは思わずにはいられない。 「小日向さん、ヴァイオリンソロ部門と、アンサンブル部門の二冠おめでとう。私たちからのささやかなお祝いです」 香穂子はそっと箱を手渡してくれる。 かなでは驚いて、香穂子を見た。 「ドレスよ。あなたは特に白いドレスが似合うから」 「有り難うございます」 「榊君とワルツを踊るなんていかがかしら?」 香穂子に言われると、ロマンティックな気分になるから不思議だ。 「あ、有り難うございます」 「では着替えをしてね。ヘアメイクもこちらで手配をしているから」 「有り難うございます」 香穂子が美しい魔法使いに見える。 かなでは早速、パーテーションの奥で着替えることにした。 ドレスはとてもシンプルなのに気品があり、とても華やいだ気分になれる。 かなでは感謝をしながら袖を通した。 かなでがドレスに着替え終わり、パーテーションから出ると、香穂子が授乳しているのが見えた。 なんて綺麗なのだろうかと思う。 思わずうっとりと見惚れてしまっていた。 授乳をしている姿がこんなに綺麗なひとは、他にいないのではないかと思う。 「小日向さん、準備は出来たみたいね」 「はい」 かなではゆっくりと香穂子に近付いていく。 「可愛いですね…。本当に…」 「ええ。幸せな気分になれるわ」 香穂子の姿を見ていると、かなでまで幸せな気分になる。 いつか。日野香穂子のようにヴァイオリンと、家庭を、幸せなかたちで両立することが出来るだろうか。 そうなれば幸せなのに。 かなでは憧れのまなざしで、じっと香穂子を見ていた。 「赤ちゃんって良い香りがしますね」 「そうね。ふんわり幸せな香りね」 香穂子の言葉に、かなではなるほどだと思った。 「さてと。小日向さんが綺麗になる番ね。暁彦さんと私からのプレゼントよ。スーツを着た、あなたの大好きなひとを驚かせないとね」 香穂子はにっこりと微笑むと、メイクアップ担当を呼んでくれた。 プロの手によって綺麗にされて、ドキドキときめく。 髪も綺麗に整えられて、かなでは夢を見ているみたいだ。 いつもなら制服でお呼ばれすることも多いだけに、かなではシンデレラにでもなったような気分になった。 綺麗にして貰い、かなではうっとりとした気分になる。 「有り難うございます。何だか最高のプレゼントを頂いたようです」 かなでが笑顔で呟くと、香穂子は笑顔を見せてくれた。「さて、パーティに出ましょうか」 「お子さんは?」 「ベビーシッターをお願いしているの。ただし、挨拶が終わるまでの間だけ。後は私が面倒を見るのよ」 香穂子は笑顔で言ったが、少しばかり切ないようだった。 本当に母としてもヴァイオリニストとしても理想的な女性だ。 香穂子は、いつかこのようになれたら良いのにと、思わずにはいられなかった。 香穂子がベビーシッターに子供たちを委ねた後、ふたりでパーティ会場に向かう。 既にスーツ姿を着た大地が吉羅と待っていた。 響也も一緒で、ふたりとも何処か居心地が悪そうだ。 「主賓のみんなとお客様は会場に入ってドリンクでも飲んでいて?」 「はい、有り難うございます」 香穂子に言われて、三人で会場に入る。 「理事長と一緒にいると落ち着かないんだよな。威圧感がある」 「同感だね」 響也の言葉に、大地は大いに頷いていた。 かなではくすりと笑いながらふたりを見る。 「確かにそうだね」 ちらりと吉羅夫妻を見る。 本当に幸せそうで、香穂子は微笑んでいる。 憧れのふたりだと、かなでは心底思った。 |