*はじめてのハイヒール*


 まさかそのようなペナルティがあるとは思わなかった。

 キスのペナルティ。

 香穂子は驚いて目を見開く。

 キスされるのは、全く嫌ではない。

 ただ、それがあまりにも突然で、目を見開く。 

「……驚いたのかな?」

 吉羅はあくまで冷静に声をかけてくる。きっと香穂子が嫌がらないと知っていて、キスをしたのだろう。

 かなりの確信犯なのかもしれない。

「驚きました……けど……」

 香穂子はどのように話して良いのかが分からなくて、吉羅を探るような眼差しで、見つめた。

「……嫌では、なかったのかな?」

 吉羅は艶やかな声で言うと、真摯な眼差しで香穂子を見つめている。

「……それは……」

 キスをするのが嫌ではないと、はっきりとは言えなくて、香穂子は言葉を濁すことしか出来なかった。

「……良かったら、私に教えてはくれないかな?」

 吉羅の声と眼差しが、艶やかで魅力的過ぎて、素直な気持ちが頭をもたげてくる。

 素直に、吉羅からのキスは、むしろ嫌ではなく、ときめいてしまっていると、素直に言えなくて、どうして良いのかが分からなくなる。

 色々と考えてしまうと、顔だけが真っ赤になってしまい、それ以上のことを言えそうにはなかった。

「……耳まで真っ赤だけれど、何かあったのかな?」

「何もありません」

 からかわれている。そう思って、香穂子は顔を上げた。

 すると吉羅は真剣な表情で、香穂子を見つめている。

「君は、私にキスをされたのが、嫌か嫌じゃないのか。それだけでも教えては貰えないか?」

 吉羅が不安そうに見つめてくるなんて、思ってもみなかった。

「……嫌じゃ……ないです」

 今にも消え入るような声で香穂子が言うと、吉羅はいきなり抱き締めてきた。

「……良かった」

 吉羅は香穂子を抱き締めながら、視線を向けてくる。

「君が愛しくなければ、こうして誘ってはいない」

「理事長……」

「早く言わなかったから、お仕置きだよ」

「……あ、あの……」

 吉羅は、唇を重ねてくる。

 キスをすると、何も考えられなくなる。

 ドキドキすることすら、忘れてしまうほどだ。

 吉羅と深い口づけを交わすと、本当に愛されているような気持ちになる。

 吉羅は唇を離すと、香穂子を見つめた。

「……私のこと、軽蔑するかね?」

 香穂子は首を横に振る。

 すると吉羅は僅かに微笑んだ。

「それは良かった……」

「理事長が、生徒にちょっかいを出してしまうなんて、私は理事長失格だな。それに、大人としても失格なのかもしれない……」

 吉羅は自虐気味に笑うと、香穂子から抱擁を解いた。

「私は、理事長を軽蔑しないですし、大人失格だとも思ってはいません……。むしろ、ずっと、こうして欲しかった……」

 香穂子は吉羅を真っ直ぐ見つめながら、迷うことなく呟いた。

 吉羅を素晴らしいと思ったことはあっても、軽蔑なんて一度もしたことはなかった。

「私はずっとこうして貰いたかったです。それが、叶わぬ夢だと、ずっと思っていました」

 香穂子は夢見るような気持ちで吉羅を見つめる。

 本当にずっとそう思っていたのだから。

「これからも、こうして一緒に出かけないかね?君がもう少し大人になるまでは、この状態は足踏みしなければならないけれどね……」

 吉羅はくすりと笑うと、改めて香穂子を抱き締めてくれた。

「香穂子、改めて私と付き合ってはくれないかね?」

 吉羅は、初めて“香穂子”と呼んでくれる。それが、嬉しくて、胸の奥がほんのりと温かくなった。

「はい」

 香穂子はしっかりと力強く返事をする。

 吉羅と恋人同士になれる。それは香穂子にとっては、何よりもの幸せ。

「秘密にしなければならない間は、しばらくは、君を困らせたりするかもしれない。だが、どのようなことが遇っても、私は君を護るから」

「理事長……」

「理事長の肩書きは止めて貰いたいかな。なんだか、君との距離を感じてしまうからね……」

「では、どうやって呼べば良いですか?」

「暁彦」

「え……?」

「私を名前で呼んで貰いたいかな」

 吉羅を名前で呼ぶ。

 想像しただけで恥ずかしくて、香穂子は思わず固まってしまう。

「あ、あ、あの、理事長をいきなり、名前で呼ぶのですか?」

 いきなりのハードルの高さに、香穂子は狼狽えた。

「そうだ。理事長だとかで呼ばれたら、私は返事をしないからね。そのつもりだ」

 吉羅は譲るつもりなどないとばかりに、キッパリと言い放つ。

「返事をしないなんて……」

 なんて殺生なのだろうかと思う。

 これには香穂子もどうしようか思案する。

 大好きな大人の男性を、名字で呼べないのが、心苦しかった。

「吉羅さん。で、良いですか?」

「香穂子、恋人同士が、名字で呼びあうことは、あまりないと思うが、いかがかね?」

「それは、そうですが……」

「では、君はなんと呼ばれたい?」

「香穂子、ですが……」

 やはり、愛するひとには名前で呼ばれたかった。

「だったら、私も同じだ」

 吉羅にキッパリと言い切られて、香穂子は追い詰められる。

 これはもうしょうがない。

「……では、吉羅さん……」

 香穂子が上目遣いで、吉羅にお伺いを立てるように言ったが、納得しない。

「ダメだ。それは名字だ」

 吉羅にキッパリと拒絶をされると、それなりに辛い。

「では、では、では……」

 吉羅の名前を口にするだけで、香穂子のドキドキは最高潮に達する。

ド キドキし過ぎて、どうしようもない。

「君は、恋人の名前ひとつ、呼べないのかな?」

 吉羅の顔を見ると、香穂子の反応を楽しんでいるようにしか、見えない。

「あ、暁彦さん……。で!」

 香穂子が早口で言うと、吉羅は納得したように薄く笑った。

「暁彦さん、ね。悪くないかな」

 これだから大人は困る。

 そんなことを思っていると、いきなりキスをされた。

 香穂子は固まってしまう。

「……君をこれからはしっかりと守ってゆく。だから、背伸びなんてしなくて良い。これから、君が大人になる手助けを、私がしたいから……ね。だから名前を呼ぶのも、その一環だ……」

「暁彦さん……」

 再び、ふたりでしっかりと抱き合ってキスをする。

 背伸びを今はしなくても良い。 それが香穂子には心地好い。

「背伸びをしなくても、いずれハイヒールは似合うようになる」

「はい」

 愛する吉羅に見守られて成長する。

 そうすれば、きっと素敵な大人の女性になれると、香穂子は確信していた。



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