*一緒に上がりたい*


 月森と久々にヴァイオリン談義に花を咲かせる。

 ヴァイオリンの話をするだけで、香穂子はこころが華やいで、楽しい気持ちになる。

 同年代で先を行く者の話を聞くと言うのは、本当に楽しいし、勉強にもなった。

 つい笑顔になる。

「日野くん、彼女を送らなければならないから出るよ」

 吉羅が冷たい声で話しかけてきた。

 吉羅の声は冷たすぎて、香穂子はこころが凍えた。

「理事長、日野は俺が責任を持って送りますから、ご心配なく」

 月森がさらりと言い、吉羅に冷たい一瞥を投げる。

 もう高校生の頃の眼差しではない。

 すっかり大人の眼差しになっている。

「おっと、蓮さんも暁彦さんも、俺がいることをお忘れなく。俺が香穂子を送っていく。誰よりもしがらみがないから、良いだろう? 蓮さんは、これから演奏仲間やクライアントと話をしなければならないだろうし、暁彦さんは彼女を送らなければならない。だったら俺が適任」

 確かに衛藤ならば、気兼ねなく帰れるかもしれないと、香穂子は思った。

「だったら、衛藤くんに送ってもらいます」

 香穂子が言うと、その言葉を遮るように、吉羅が厳しい視線を向けてくる。

「桐也、お前はまだ未成年だから、私の保護下にあることを忘れないように。だから君たち三人は私が責任を持って送って行く」

 吉羅はピシャリと言い放つと、月森と香穂子を見た。その眼差しは、冷たい月を秘めているかのように見えた。

 ここまで吉羅が冷たくなるのが解らない。

「吉羅理事長、日野たちは勉強にきています。ウィーンや海外の状況を知りたいでしょう。そして俺も、今の日本のヴァイオリンについて、生の声がほしい。その貴重な時間をみすみす失うわけにはいかないのではないでしょうか」

 月森は冷静な語り口ながらも、明らかに吉羅に挑戦しているように思えた。

 二人からは、互いに違う雰囲気ではあるが、冷たい炎が静かに燃え盛っている。

「……しょうがない。高校生がいることも考えて、三十分だけだ」

 吉羅には譲歩したほうなのだろう。

 たが、たとえ三十分だけであっても、月森から話を聞けるのは貴重だった。

「有り難うございます、理事長」

 かほこが笑顔で礼を言うと、吉羅は不本意そうではあったが、認めてくれていた。

 それからは、懐かしい話というよりは、これからに向けて参考になるとても濃密な時間となった。

 このような時間を持つことが出来て、香穂子は心から感謝した。

「日野、明日も来るなら、また時間を取ろう」

「有り難う、月森くん!もっとヴァイオリンのことを教えてね!」

 月森から聞くヴァイオリンの話は本当に参考になり、興味深い。

 香穂子は瞳をキラキラさせながら、頷いた。

「お前は本当にヴァイオリンが好きなんだな」

 月森は何処か困ったような笑みをフッと浮かべる。

「本当に好きだよ」

 香穂子が真っ直ぐ言うと、月森は温かな笑みを浮かべながら、しっかりと頷いてくれた。

「じゃあ、明日、今日の続きを」

「うん、有り難う、月森くん」

 月森から貴重な話が聞けるのは、香穂子にとっては有意義だ。

 明日が楽しみになってきた。

「日野くん、そろそろ時間だ。帰るよ」

 香穂子が月森とずっと話をしていると、吉羅はピシャリと言ってきた。

 やはり、あまり遅くなると、女生徒の親に迷惑がかかってしまうからだろう。

 吉羅らしい気遣いではあるが、何故だか女生徒がひいきをされているように見えて、香穂子はどんよりとした気分になった。

 

 車に乗ってからも、吉羅は冷たい態度を突き通す。

 特に香穂子に対してだ。

 自意識過剰になっているかもしれないが、切なかった。

 先ずは女生徒の家、そしてその近衛藤を送り、香穂子がラストになる。

 なんだかぎこちない雰囲気が車のなかを覆っている。

 暗い雰囲気のなかで、香穂子は何も話せなかった。

 吉羅もまた無言のままだ。

 気まずい。

 ちらりと吉羅を探るように見ても、いつも以上にクールな表情を崩さなかった。

 なにか話し掛けようとしても、そんなことは出来ないのではないかと感じるほどの雰囲気を醸し出している。

 心のなかで溜め息が出た。

「日野くん、明日も月森にのコンサートに行くのかね?」

「明日の分は元々取っていた分なんですよ。しっかりと勉強してきます」

 まだまだ月森とは並べない。

 だからこそそれ以上になれるように、しっかりとやってゆくしかないのだ。

 それを香穂子は誰よりも分かっているからこそ、月森の演奏は何度も聴きたかった。

「月森くんの演奏は、聞くたびにとても勉強になります。だからこそ、何度も聴いて、吸収したいと思います。それが、ヴァイオリンが上達する方法のひとつだと考えています」

 香穂子は決意を秘めて言う。

「君は本当にヴァイオリンが好きなんだね」

「はい。大好きだから頑張れます」

「がむしゃらにやるのは良いが、身体を壊したら、本末転倒だ」

 吉羅の声がいつにも増して険しくなる。分かっている。

 吉羅は姉の美夜のことを思い出しているのだろう。

「大丈夫ですよ。ちゃんと息抜きは出来ています。吉羅理事長がよくドライブに連れていって下さるでしょう?あれは、私にとっては最高の息抜きですから」

 少なくとも香穂子にとっては最高の気分転換だ。これ以上ないくらいの。

「そうかね……」

 吉羅がほんのりと笑ったように、香穂子には見えた。

 それがとても魅力的だ。

「だったら、また、週末にドライブに行くかね?今週土曜の午後はいかがかな。この日ならば、都合はつく」

「本当ですか!すごく嬉しいですよ!」

 まさか吉羅から誘って貰えるなんて思ってもみなくて、香穂子は飛び上がる程に嬉しかった。

 吉羅に誘われるのはいつも嬉しい。

 最近、そのお誘いが遠のいていたので、ずっと不安と寂しさを抱えていた。

「ならば、土曜日の午後に臨海公園での待ち合わせは、いかがかな?」

「有り難うございます!すごく嬉しいです!」

 先程まで不安でしょうがなかったのだが、それもいっきになくなった。

 踊り出したくなるぐらいに嬉しくて、香穂子はつい笑顔になった。

「では、土曜日に臨海公園で」

「はい」

 約束出来たのが嬉しくて、香穂子は笑顔で表情を崩した。

 先程まであんなにも暗い車内が、一気に明るくなったように思えた。

 もう少し一緒にいたい。

 そう思っても、車は無情にも香穂子の自宅前に到着する。

「では、日野くん、土曜日に」

「はい、土曜日に……」

 香穂子は夢見心地で吉羅の車から降りる。

 嬉しくてしょうがない瞬間だった。

 



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