*ふたりの距離感*


 吉羅は、香穂子と会うための口実にして、甘いスウィーツを用意して、理事長室でつい待ってしまう。

 香穂子と会うだけで、逆に幸せな気持ちにさせてもらっている。

 本当は、香穂子が吉羅を、癒してくれている。

 だがそれは言ってはならない事実のような気がした。

 今はまだ駄目だ。

 香穂子は学生で、しかも、自分が運営する学校法人の生徒なのだから。 

 それはどう考えてもまずいことだった。

 放課後になり、吉羅は少しばかりソワソワとしてしまう。

 香穂子が早くここにやってこないかと、其ればかりを考えてしまう。

 仕事をしているようで、いつも以上に手がつかない。

 こんなことなんて今までなかったというのに。

 吉羅はつい、時計を気にしてしまう。

 こんなことを、桐也に見られてしまうと、最悪だ。

 きっと、香穂子のことばかりを考えていると思われてしまうだろうから。

 元気の良い足音が響いてくる。

 それが、極上の音楽だと感じてしまうだけで、かなり問題があるような気がした。

 元気の良いノック音が聴こえる。

「吉羅理事長、日野です」

「入りたまえ」

 吉羅はわざと落ち着きを払ったように返事をすると、香穂子がやって来た。

「失礼します、理事長」

 香穂子が部屋に入ると、途端に冷たさを帯びていた空間は、一気に暖かいものになった。

「日野君、ヴァイオリンの調子はいかがかね?」

「推薦入試に向けては順調ではありますよ」

 香穂子の明るい前向きな言葉に、吉羅はつい頷く。

 香穂子は最近、実技面でもしっかりしてきていると、吉羅は様々な講師から聞いている。

 入試には心配のないレベルであることを。

 ただ、理事長のお気に入りと、陰口を叩かれていることもあり、香穂子にはそれらを凌駕するぐらいに頑張って欲しいというのが、吉羅の想いだった。

 香穂子のために、学院内では、なるべく素っ気ない態度を取るようにしているものの、それには限界がある。

 吉羅自身が、香穂子を愛しすぎているきらいがあるからだ。

 愛しくて、愛しくてしょうがなかった。

 香穂子の為に冷たくしようとしても、なかなかそういうわけにはいかない。

 吉羅自身が香穂子に会いたくて、しょうがなかった。

「日野君、では、成果を聴かせてはくれないね?」

「はい」

 香穂子は緊張しているのに、何処か楽しそうな表情をする。

 とても良い表情だ。

 それと同時に、なんて魅力的なのだろうかとも思った。

 聴く度に、香穂子のヴァイオリンは上手くなっている。

 上達ぶりは、誰にも追随出来ないだろう。

 それぐらいに、香穂子のヴァイオリンはどんどん素晴らしいものになっている。

 香穂子の成長は誰よりも早い。

 これを見逃さないようにするには、そばにいるしかないのではないかと、吉羅は思った。

 香穂子のヴァイオリンは、吉羅を癒して、心結が満たされる。

 こんなにも満たしてくれる相手は、他にはいないと、思わずにはいられない。

 香穂子がいれば、それだけでエネルギーが充ち溢れてくるのだ。

 香穂子がヴァイオリンを退く表情も、とても美しくて、吉羅はつい熱中してしまいそうになる。

 本当にいつまでも見つめていたいと、思わずにはいられない。

 香穂子はヴァイオリンを弾き終ると、清々しさと少しばかりの不安を滲ませながら、吉羅を見つめた。

「まだまだだが、悪くはない。推薦入試なら問題はないだろう。まあ、推薦入試ぐらいは軽々と突破をして貰わないと、困るのだけれどね」

 吉羅はなるべくクールに呟くと、香穂子を見つめた。

 香穂子はほんの少しだが、ホッとしたような表情をしていた。

「さてと受験生には脳の栄養が必要だろう。準備をしたから食べたまえ」

 吉羅は、理事長室の奥にある小さなパントリーにある冷蔵庫から、スウィーツを取り出す。

「紅茶は私が淹れますね」

 既に何度か使っているからか、香穂子は紅茶を上手に手早く淹れてくれる。

 午後ののんびりとしたロマンティックなひとときだ。

 吉羅にとっては最高に癒される瞬間だ。

 目の前には愛しているたったひとりの少女がいるのだから。

 だが、香穂子は間もなく少女ではなくなる。

 確実に大人の女性になっていっているのだから。

 来年にはもう高校生ではなくなってしまうのだから。

「理事長、いただきます。秋らしいケーキですね。美味しそうです」

 香穂子は本当に嬉しそうな、顔をしている。

 可愛くてしょうがない。

 つい見つめてしまう。

「理事長、食べないんですか?」

「ああ。食べるよ」

「美味しいですよ」

 香穂子が美味しそうにケーキを食べているのを見ているだけで、吉羅はほんのりとした幸せを感じる。

「だけど、この調子だと、受験までに太ってしまいそうですよね」

「君は少しぐらい太ったほうが良いのかもしれないけれどね」

 吉羅が言うと、香穂子は恥ずかしそうに、自分の身体を見ている。

「そんなにボリュームがないでしょうか……?大人の女性のようにはいかないですね……」

 香穂子は溜め息を吐きながら見つめている。

 その姿がまた可愛い。

 香穂子の内面が好きであるから、吉羅はどのような香穂子であっても、この気持ちは変わらないのだが。

「どのような君も君だろう?だから、そんなことは気にしないで大丈夫だ。しっかりと食べて、頭の栄養にしなさい」

 吉羅はさらりと言ったが、折角、甘いものという言い訳が見つかったのに、それがなくなり香穂子と会えなくなるのが嫌だった。

「そうですね!

 甘いものは頭でしっかりと消費をしてくれるので、大丈夫ですね」

「そうだね。だから安心して食べなさい」

「はい!」

 香穂子の食べっぷりからしても、太るというのは考えられないのだが。

 こうして、香穂子と紡いでいく時間が、とても貴重で幸せだ。

 吉羅はそう思いながら、香穂子をありのまま見守る。

 香穂子にいつ、この気持ちを伝えれば良いのだろうか。

 ずっと見守らなければならないのだろうが。

 香穂子を手に入れたい。

 香穂子を自分だけのものにしたい。

 香穂子に気持ちを伝えることが許されるのだろうか。

 吉羅は香穂子をつい食い入るように見つめてしまう。

 手を伸ばしても届かない小鳥なのだろうか。

 ずっとそばにいて掴まえていたい。

 吉羅は深く考えながら、ただじっと香穂子を見つめていた。



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