*蜜よりも*


 大人の男性を好きになんてならかったら良かった。

 そんなことを考えてしまう。

 同級生だとか、ほんの少しだけ年上や年下なら良かったのに。

 相手は一回り以上年上だなんて。

 全く、どこをどうして、そんなにも歳上のひとを好きになってしまったのだろうか。

 いつ結婚したとしてもおかしくはないひと。

 それゆえに胸を苦しくさせる。

 香穂子にとっては、手を伸ばしても届かない年の差。

 相手が独身であることは解っているけれども、本当にそれだけなのだ。

 恋人が本当はいるのだとか、そのようなインフォメーションは一切ない。

 ただ、土曜日だけは香穂子の時間だ。

 ただし午後だけだが、高校生の頃から、一緒にランチを取っている。

 それが香穂子にとっては、大切なことになっている。

 素晴らしきことに。

 香穂子にとって、吉羅と一緒に過ごすことは何よりも素敵な時間になっている。

 大学生になっても、土曜日だけは予定は入れない。

 どのような魅力的なお誘いがあっても、総てお断りをしているのだ。

 香穂子の徹底ぶりに、天羽は笑いつつも見守ってくれている。

 香穂子が吉羅をずっと好きだと言うことは、解っているのだから。

 土曜日のランチは約束をしているわけではない。

 いつも吉羅が公園に誘いに来てくれるのが正しい。

 香穂子にとっては、吉羅との時間は貴重だから、約束がなくても、時間を空けて、それなりの格好をして公園で練習するように、心がけていた。

 今日も、香穂子はヴァイオリンの練習を行う。

 ヴァイオリンで音楽学部に行けたのは、吉羅がバックアップしてくれたからだ。

 それは本当に感謝をしている。 

 香穂子は、吉羅に逢ってランチが出来ることを楽しみにしながら、ヴァイオリンの練習に励んでいた。

「日野くん」

 いつものように落ち着いた素敵な声が響き渡り、香穂子は期待を込めて振り返った。

「理事長……、こんにちは……」

 吉羅の姿を見た瞬間に、香穂子は激しくテンションが下がるのを感じる。

 吉羅と一緒に、ナチュラルでエレガントな大人の女性が立っていた。

 透明感があり清楚なのに、とても艶やかで美しい。

 正に万人が第一印象で、美しいと素敵だと思ってしまう女性だ。

 男性にも受けは良いだろうが、女性にも受けは良さそうな、そんな雰囲気を持っている。

 顔もスタイルも雰囲気も綺麗だなんて、ズルすぎる。

「日野くん、一緒にランチは如何かね? 君のことを話したら、彼女が是非に一緒にランチを取りたいと言ってね」

 吉羅は何でもないことのようにさらりと言うが、香穂子にとってはとんでもないことだった。

 吉羅とお似合いのとても綺麗なひとと、こうして一緒に過ごすなんて。

 胸に杭を打ち込まれたドラキュラのような、そんな悶絶する苦しみを感じた。

 苦しすぎる。

 どう考えても。

 息が出来ないぐらいに苦しくて、香穂子はひきつった笑いしか出来なかった。

 だが、ことわれない。

 相手がどのような女性なのか、見極める必要があると、香穂子は感じずにはいられなかった。

 息が出来なくて、このままどうして良いのかが、香穂子には上手く分からない。

 ただ、作り笑いをしながら、真っ直ぐ吉羅を見た。

「有り難うございます。ご一緒させて下さいね」

 香穂子は笑顔になると、吉羅を見上げた。

 本当は、泣きそうなのに。

「そうか。君にとって彼女は将来的に良い人脈になると思うからね。色々と話すと良い」

「有り難うございます。お邪魔しますね」

 香穂子は、心の中がブリザードに覆われるのを感じながら、あくまで笑顔を崩さなかった。

「さあ、行こうか」

「はい」

 香穂子はふたりの後ろをトボトボと歩く。

 何だか惨めな気持ちになる。

 自分だけ、違う世界の住人のような気がするから。

 そう。

 そんな表現が本当にピッタリなのではないかと、香穂子はつい考えてしまった。

 吉羅の車の助手席のドアが開けられて、香穂子はそこは自分のシートではないと感じた。

「乗らないのかね?」

 吉羅は乗るように気遣ってくれたが、香穂子は女性をあえて見た。

「どうぞ。私はヴァイオリンがあるので、後ろに乗ります」

 香穂子は拗ねるような気持ちを抱きながら、バックシートに腰を下ろした。

 静かに車が走り出す。

 いつもならば、吉羅が運転をする姿をじっくりと眺めながら、ドライブを楽しむのに、今日はそんな気持ちにはなれなかった。

 我ながら、なんて素直ではないのだろうかと、思わずにはいられなかった。

 素直に大好きなひとを祝福することが出来ないなんて、なんて心が狭いのだろうかと、香穂子は感じてしまう。

 余計に落ち込んでしまう。

 恋をしたら、恋する相手が愛するひとと結ばれたら、祝福をすることが出来るような、素敵な女性になりたいと、心が広くて美しいひとになりたいと、ずっと思っていた。

 なのに実際にはなれない。

 それは子供だからだろうか。

 香穂子はそんなことを思ってしまう。

 胸が苦しくて痛くて、しょうがなかった。

 どうしてこんなにも心が狭いのだろうかと、そればかりを考えた。

 レストランに到着し、香穂子は一歩後ろに歩いてついて行く。

 ふたりは歩いているだけでもお似合いだと思ってしまう。

 レストランに到着すると、吉羅と女性は並んで座った。 

 香穂子だけが一人で向かい側に座る。

 みずからそうしたとはいえ、何だか仲間外れになった気分になる。

 拗ねた気持ちになってしまう。

「日野さんはヴァイオリンを専攻されているのね。私はかつてフルートを専攻していたのよ。今はプレイヤーではなく、主に音楽関係のプロモートを生業にしているけれどね。だから、あなたをプロモートしたいって思っているわ。暁彦さんと、先ほど、あなたのヴァイオリンの音色を聞かせて貰ったけれど、とても良かったわ!初めてのコンサートは是非、私にプロモートさせてね」

「有り難うございます」

「私こそ、有り難うだわ。あなたのような原石を発見出来たもの!」

 女性は話をするととても感じがよく、香穂子は憧れずにはいられない。

 吉羅と釣り合うわけが解るような気がした。

 ふたりは完璧な存在。

 完璧にお似合いだ。

 香穂子は更に吉羅との距離を感じる。

 吉羅暁彦が選ぶのはこのような女性だと思った。

 届かない。

 香穂子は心が益々沈んでゆき、泣きそうになる。

 折角のランチ。

 美味しい筈なのに、香穂子は味を全く感じなかった。




Top Next