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秘密、ひみつ、ヒミツ。 どう書いても、甘くて危ない香りがする。 秘密の基準はひとが決めるものだから、正しいのか正しくないかは、判断に迷うところ。 大好きな男性がいます。 だけど本人には勿論ナイショにしている。 秘密の香りがたっぷりとするからだ。 言ってしまえば、バッサリと切られて、この恋は終わってしまうかもしれない。 そんなことが怖くて、いつもビクビクしている。 ずっと恋の海に泳いでいたいから。 こうして一緒にいたいから。 だから黙っている。 内緒の恋をしているひととは、週に一度は食事をしている。 決って土曜日。 これはもう一年以上になる。 主に話題はヴァイオリンのこと。 パトロンのように見守ってくれているから当然の話題ではあるが、それ以外の話題も話してみたい。 だが一向にあちらから出ないのは、ヴァイオリンの話だけをすれば良いとぐらいに思っているからだろう。 当然といえば当然だ。 それに歳の差もかなりある。 妹ぐらいにしか思ってくれていないことも解ってはいる。 だがそれだと余りにも切ない。 子供としか思ってくれていないことも知っている。 いくら大人びて見せようと背伸びをしても、全く相手にされないのだから。 綺麗にお化粧を始めても、吉羅は何も言わないのだから。 香穂子は向かい合わせで座っている大好きなひとをじっと見た。 相変わらずクールで、香穂子を恋愛対象に思っていないことは、瞳を見ればよく解る。 「日野君、どうしたのかね?」 「何でもありません」 香穂子が軽く視線を外すと、吉羅は僅かに眉を上げた。 「…そうなのかね。まあ、良い」 吉羅はクールに大人の対応をするだけで、香穂子のことを少しも女として思ってはいないことを、あからさまに表情に出す。 恋愛対象に見られていないことは解ってはいる。 こんなにも歳が離れているのだから、しょうがないとも。 だがやはり、それは辛い。 香穂子にとって、吉羅は唯一無二の恋愛対象だというのに、相手はからきしダメだ。 香穂子は食事をしながら、心の中で溜め息を吐いた。 どうしたら吉羅のこころに入り込めるのだろうか。 「日野君ももう大学生か…。早いものだね。君はまだまだこれからだからね。しっかりとヴァイオリンを頑張りたまえ。まだまだ成長していかなければならないからね」 「はい。先ずはみんなに追いつかなければならないですから、前をしっかりと見て頑張らないとダメですね」 「そうだね」 香穂子は、ヴァイオリンを一生懸命頑張れば、吉羅は微笑んでくれるのだろうかと考える。 もっとヴァイオリンが上手くなれば、吉羅と更に近付くことが出来るだろうかとつい考える。 吉羅への恋が、ヴァイオリン成長への原動力になっているのは、確かだった。 食事をしていると、ふと、吉羅に見つめられていることに、香穂子は気が付いた。 まるで香穂子の本質を見極めるかのように、真摯なまなざしで見つめて来る。 冷たい情熱を宿したまなざしに、香穂子はドキドキしてしまう。 まなざしが揺れる。 息が出来ないほどに見つめられて、香穂子はくらくらしていた。 本当は、ただ見つめられているだけなのに、恋をしてくれているのだろうかと、つい錯覚してしまう有様だ。 「…君も大学生か…。どうりで大人びて来るはずだね…」 吉羅はまるで独り言のように呟くと、何故だか寂しそうに笑った。 「理事長と出会った頃よりも、少しは成長したでしょうか?」 香穂子が素直に訊いてみると、吉羅は僅かに唇を歪めた。 「そうだね…。君は成長しているよ。少なくとも私の目にはそう映っているけれどね」 淡々と話す吉羅ではあるが、珍しく香穂子の成長について話してくれる吉羅が嬉しかった。 「有り難うございます」 香穂子は嬉しさを表情に表したが、吉羅は静かに黙っていた。 やがてデザートの時間になり、香穂子は無邪気な表情で、ついデザートを食べてしまう。 ごく自然に笑顔になるぐらいにデザートは嬉しかった。 「デザートを食べると、いつも通りの笑顔になるね」 吉羅はフッと優しい笑みを浮かべて話す。 やはり子供扱いをされているのだろう。 それが切なかった。 「…君はこうして無邪気に笑っているほうが良いね」 吉羅はさり気に言う。 「デザートは美味しいですから」 「確かにね…。こうしてデザートを食べている君は以前と同じだからホッとするよ」 吉羅が珍しいことを言うものだから、香穂子は驚いてしまった。 「吉羅さん、私はいつもと同じですよ。何も変わりません」 「…そうかな…」 吉羅のほんのりと甘い低い声に、香穂子はドキリとさせられる。 胸が小刻みに震える。 「…本当にずっと同じなんです…私は…」 本当にずっと同じだ。 吉羅に恋をしていることも、少しも変わってはいない。 「…君は気付いていないだけだ」 吉羅はなまめかしい声で言うと、フッと香穂子を見つめた。 また吉羅に深く恋をしてしまう。 恋心が沸騰してしまう。 ドキドキし過ぎて、何もかも見えなくなるではないか。 恋をするだけでも秘密なのに、あからさまに恋心を告げてしまいそうになる。 理事長と生徒。 世間の目から見れば、禁忌な関係には違いない。 ただ、もう香穂子も大学生になり、自己責任が求められる歳になっている。 自分の意志で恋をしているのだから、誰にも止められない。 本当にそんな覚悟を持ってしまいそうだ。 「…何も変わりません…」 香穂子はまるで呪文を言うかのように呟く。 吉羅はといえば、ただクールに香穂子を見つめているだけだった。 楽しくも甘くて、そして切なかったランチタイムが終わる。 これで一週間で一番楽しみにしている時間が終わりを告げる。 「…日野君、今日はこれから時間があるかね?」 吉羅からの珍しい引き止めに、香穂子は鼓動が激しく弾むのを感じる。 「じ、時間ならあります!」 「だったら、ドライブでもしないかね?」 「はい、ドライブは大好きです」 「だったら行こうか」 吉羅にエスコートをされて車に乗り込む。 今日はいつも以上にドキドキしてしまう。 「海でも見に行こうか」 「嬉しいです! 海が見たいです」 吉羅の海が見られるなんて、本当にロマンティックだ。 うっとりとしてしまう。 香穂子は、吉羅を視線で追いながら、運転する様子を見ていた。 「どうしたのかね?」 「吉羅さんが運転するのを見るのが好きなんです」 どんな素晴らしい景色よりも、香穂子は素敵だと思う。 綺麗でカッコ良くて、ついうっとりと見つめてしまう。 「景色は楽しまないのかね?」 吉羅は苦笑いをしながら言う。 「景色よりも今は吉羅さんが運転するのを見たいんです」 まるで恋の告白のようだ。 言ってから、香穂子は真っ赤になってしまった。 「そう…」 吉羅はいつものようにクールなままだ。 それもまた良いのかもしれない。 車は、海辺のパーキングに停まり、香穂子はそこを降り立つ。 「わあ…!」 海が春色に光って綺麗だ。 香穂子は思わず歓声を上げて見つめた。 「…日野君…」 低い声で名前を呼ばれて、振り返った瞬間、腕の中に閉じ込められる。 一瞬、何が起こったかが分からなかった。 「…あ、あの…」 「…私は君が好きだ…。秘密の恋をする気はあるかね…?」 真っ直ぐ射抜くように見つめられて、香穂子は甘い緊張に躰を固くする。 ただ、首だけが縦に動いた。 「秘密の恋が…したいです…」 |