2
ふたりとも送った後、車の中でふたりきりになった。 「理事長、わざわざすみません」 香穂子は本当に申し訳ないと思いながら、吉羅を見た。 「私はドライブが好きだからね。ドライブだと思って楽しんでいる」 「私も、ドライブは大好きです。特に吉羅さんにドライブに連れていって貰えるのが」 香穂子は素直な気持ちを言葉に紡ぐ。素直になると、ごく自然に笑みが浮かぶ。 「こうして君をドライブに連れていくのは楽しいよ」 吉羅も笑みを浮かべてくれるのが嬉しい。香穂子は、幸せなドライブだと思った。 「日野君、時間は大丈夫かな?」 「はい。両親が有休を取って今日からバス旅行に出ていますから、帰ってもすることはないんです。それに私は私ももう未成年ではないので、余り干渉されなくなりました」 「…そうか…。もう君も二十歳か…」 吉羅は感慨深げに呟いている。 時間半確実に流れているということだ。 「はい」 吉羅はフッと寂しそうな笑みを浮かべる。 「…私も年を取るものだね…」 「理事長は出会った特によりももっと素敵になっていますよ」 本当にそう思っている。 吉羅は年を重ねるほどに素敵になっている。 年々、香穂子の想いが深くなるのもそのためだ。 吉羅に早く追いつきたいと思っているが、いつもそれ以上に吉羅が素敵になるものだから、香穂子は追いつけなかった。 「…では。少しばかりドライブでもしようか? 横浜のバールならまだ開いているから、そこで仕切り直しをしよう」 吉羅の提案が嬉しくて、香穂子は笑顔で1も2も無く頷いた。 「今日は有り難う。先輩の話を聞けば、彼らも勉強になると思うからね」 「今日は楽しい時間を過ごせました。私も原点を思い出した気分です」 「それは、良かった」 吉羅は笑みを唇に滲ませて頷く。 「今からのドライブは、何だかご褒美のようで嬉しいですよ」 「こんなご褒美で良ければいつでも準備するよ」 「嬉しいです」 香穂子にとっての一番のご褒美は、吉羅とこうして過ごすことなのだということを、隣にいる大好きな男性は知っているだろうか。 香穂子はふとそのようなことを思う。 「もうすぐ横浜だ」 「何だかもっと走っていたいですね」 吉羅と一緒ならば、一晩中でもドライブをしていたいなんて思っていることを、恐らくは知らないだろう。 「ではバールで少し休憩を取った後に、車を走らせようか」 「本当に! 有り難うございますっ」 吉羅とならば本当にずっとそばにいるだけで退屈になることはない。 車はみなとみらいを走り抜けていく。 お馴染みの観覧車も摩天楼が麗しい夜景も、吉羅と一緒に見るだけで、とっておきの光景になる。 それは奇蹟にしか思えない。 本当に素晴らしい光景だ。 「…吉羅理事長、有り難うございます。明日からまた頑張れそうです」 「それは良かった。君は学院にとっては大切な人材だからね」 吉羅の言葉には何処か親愛の情が感じられる。以前ならば、反撥もしただろうが、これが吉羅流の親愛の表現だと解ってからは、笑顔で受け入れることが出来るようになった。 今やどのような表現で、ひねくれた情を表してくれるのかが楽しみになってしまっている。 吉羅のこのような愛情を受け止めることが出来るのは自分しかいないと香穂子は思っている。 本当にそうだろうと思った。 車をバールの駐車場に置いて、ふたりは中に入った。 吉羅はアルコールを飲むわけにはいかないので、やはりカプチーノを頼んだ。 香穂子も同じものにする。 「こうして落ち着いてカプチーノを飲むのも良いですね」 「そうだね。落ち着く」 吉羅は静かに言うと、カプチーノに口をつける。 「…日野君…、君はいずれは海外に行く計画はあるのかね?」 「…あ…。住むとかは考えてはいません。勉強するにも、学院のプログラムはかなり充実していますから、先ずはあのプログラムを使いこなさなければならないです。まだそこまで充分ではないんですよね。私は」 香穂子は落ち着いた笑みを浮かべて吉羅を見た。 すると吉羅は、何処か安堵をしたようなまなざしを向けて来た。 「…それは良かった…。学院としては、君は大事な人材だからね。君には充実したカリキュラムで、大学にいる間はしっかりと勉強して貰いたいからね」 「有り難うございます。本当にカリキュラムが充実しているので、沢山のことを吸収出来て嬉しいです」 「君のお陰か、大学の志望者数は増えているからね。少子化の時代にはとても有り難いことだと思っているよ」 「学院のカリキュラムの良さは、音大を目指す生徒たちには常識になっていますよ」 「それは君がしっかりと勉強して貰うために過ぎないよ」 「…え…?」 もしそうならばこんなにま嬉しいことはないのに。 香穂子は華やぎを表情に滲ませながら、吉羅を見た。 「…それは本当ですか…?」 香穂子がドキドキしながら訊いてみると、吉羅は「こんなことを嘘吐いてどうなるかね?」と、呟いた。 吉羅の言葉が嬉しかった。 「有り難うございます。私、頑張りますね。もっともっとヴァイオリンを上手くなれるように頑張りますね。底のないことですけれど、とても嬉しいです」 香穂子が一生懸命言うと、不意に頭を撫でられた。 「…あ…」 子供にするような行為であるのにとても甘くて、香穂子はドキドキした。 ときめきを誤魔化すようにカプチーノを慌てて飲むと、蒸せてしまった。 「吉羅理事長、今日の子たちはイチオシの子たちですか?」 「ああ。彼らにも頑張って育って貰わなければね」 「そうですか」 かつて自分がして貰ったのと同じように、吉羅に目を掛けて貰っているのだろう。 「こうしてたまに外に連れていってあげるのですか…?」 「いいや。外に連れて行くのは今のところ君だけだがね」 吉羅の言葉に香穂子は驚いて目を見開く。 何だか特別だと思われているようで、とても嬉しかった。 「有り難うございます。とても嬉しいです。理事長の“特別”みたいで」 「君は私にとっては“特別”だよ。ファータを何時でも一緒に見ることが出来る唯一のひとなのだからね」 確かに吉羅の言う通りだ。 ファータを常に見ることが出来るのは、確かに香穂子だけなのだから。 それだけでも絆はある。 吉羅とはずっと確実に繋がっていられる。 そう思うと、嬉しかった。 「そう思って頂けて嬉しいです。いつまでも理事長の“特別”でいられるのは」 素直にそう思う。 どのような形であれ、大好きな男性の“特別”でいられることは。 「…では日野君、君にとって、私は“特別”かね…?」 吉羅の質問に香穂子はドキリとする。 勿論、“特別”だ。 しかも超がつくぐらいの。 「…特別です。理事長は」 香穂子は生真面目に言うと、柔らかな笑みを浮かべた。 いつものようにニコニコして、元気には言えなかった。 これはしっとりとした気持ちであるからだ。 「…それは…、私が学院の理事長であるから、“特別”なのかな…?」 まるで探るように言う吉羅に、香穂子は耳まで真っ赤になるほどに甘く緊張してしまう。 「それは…、理事長だからというわけではありません…」 今にも消え入りそうな声で、香穂子は呟く。 すると吉羅は、香穂子の心を射るように見つめた。 「…では…、私をずっと君の“特別”にしてはくれないかね? 私は君をずっと“特別”にするつもりだよ…」 吉羅の言葉に恋心が沸騰した。 |