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どうしてこんなにも甘くて優しいキスが出来るのだろうか。 どうしてこんなにも頼りがいのある抱擁が出来るのだろうか。 泣いてしまうほどの甘い優しさだったから、香穂子は余計に切なくなった。 唇を離しても、吉羅は抱擁を解こうとはしない。 「…台無しにしてしまいました…」 まともに吉羅の顔を見ることが出来なくて、香穂子は俯いたまま呟いた。 「台無しにはしてはいない」 「自分がとても子供だってことに気付きました。本当に、どうしようもないですよね…。わがままで、子供で、 吉羅さんを困らせてばかりで…」 声がうわずり、何処からか涙が溢れて来てしまう。 こんな湿っぽい女を、吉羅が好きになってくれるはずもない。 本当に惨めで堪らなくなり、香穂子は肩を震わせた。 吉羅は黙って聴いている。 肯定も否定もしない態度で、ただじっと聴いていた。 「ドレスも台無しですね。申し訳ないです。制服に着替えて帰らないと…」 先ほどから話しているのは自分だけ。きっと呆れ果てて、吉羅は何も言えないのだろう。やはり子供より 、年上の女性が良いと思ったに違いない。 エレベーターに乗り込むと、直ぐに静かに止まる。 示した階は、レストランより一つ下の階だった。 「行くぞ。制服に着替えなさい」 「…はい…」 これで完全に嫌われてしまったと思いながら、香穂子は吉羅の後ろについていった。 ふらふらとしていたからか、吉羅は香穂子の手をしっかりと握り締めてくれる。 その力強さに、余計に涙が零れ落ちた。 吉羅が連れていってくれたのは、フロアの一番端にある部屋。 セミスィートのそこは、広くてゆったりとしていて、制服を着替えるには、余りにも勿体ないスペースだった。 部屋に連れられて入ると、応接セットに吉羅は腰を下ろした。 香穂子を見つめる瞳は、いつものようにクールで、何を考えているのかが解らない。 「クローゼットのなかに制服が入れてある。バスルームはあちらにある。メイク落としなども用意がされている。シャワーを浴びて、着替えて来なさい」 「はい」 香穂子はクローゼットのなかに、綺麗にプレスをして掛けられていた制服を取り出すと、それを抱き締めたくなった。 「…ごめんなさい…。迷惑ばかりかけてしまって…」 まともになんて見られない。 香穂子がバスルームに向かおうとした瞬間、力任せに抱き締められてしまった。 「…っ! 吉…っ!」 それ以上は言葉を発することが出来ないほどに、強く抱き竦められる。泣き出してしまいそうになるぐらいの抱擁に、香穂子はこころが締め付けられるのを感じた。 「…私は…、君を子供なんて思ってはいない…。むしろ、その逆だ…。君が、最近、余りにも女だから…。…私は、妙な嫉妬心を描いていたのかもしれない…」 吉羅の切羽詰まるような苦悩する声に、香穂子の全身は潤む。 息が出来ないほどのロマンティックなときめきというのは、このようなことを言うのだろうか。 「…制服姿の君を見て、何とか理性を保ってた…。まだ学生だから、生徒だから…と。なのに君はあっさりとそれを壊してしまうんだよ…」 吉羅の大きくて綺麗な指先が、香穂子の胸元を鮮やかにかすめていく。 肌が細胞レベルで震えてしまい、このまま立っていることなんて出来ない。 首筋に楔を打ち付けるように唇を強くつけられた。 「…んっ…あっ…!」 一体、誰がこんな艶やかな声を出しているのだろうと思ってしまうほどの声が、唇から漏れた。 「…香穂子…、私がパーティに連れていかなかったのは、他の男の視線に曝される君を見るのが嫌だったからだ。私は態度とは裏腹に、独占欲の強い人間だからね…」 腕の力が、情熱的な優しさへと変化して行く。 とろとろにとけてしまうような抱擁に、香穂子の躰から力が抜け落ちていった。 「君は誰よりも女だ。それを自覚しなさい…」 吉羅は苦しげに掠れた声で囁くと、香穂子を自分に向き直らせる。 「私にとって、君は女だ。子供だとか大人だとかは関係ないんだ。君は、私を一番引きつける異性なんだ」 吉羅は香穂子の顎を持ち上げると、鋭利な角度から唇を重ねてきた。 些か暴力的なキスではあるが、ロマンティックが沢山溢れている。 舌を絡ませあい、お互いの唾液を交換し合う。生々しいのに、どうしてこんなにも薔薇色の素敵が溢れているのだろうか。 お互いにしっかりと抱きあい、その体温を共有する。 恋人たちに許された最高のコミュニケーションではないかと思った。 息が続かないほどキスを続けて、唇を離した後も、再び貪るようにキスを繰り返す。 躰が熱くて苦しい。なのに気持ちが良いだなんて不思議な感覚もあるものだと、香穂子は思った。 唇が艶やかに腫れ上がってしまうほどにキスを続けた後、吉羅は苦しそうに躰を離した。 「吉羅さん…?」 吉羅の表情を覗き込むと、苦しそうに香穂子の視線から逃れようとしている。 「…覚悟が出来ていないうちは、ダメだな…」 「吉羅さん、何の覚悟ですか…?」 香穂子は何のことかが全く理解することが出来ずに、小首を傾げた。 「…その無防備さが…罪なんだ…」 背筋がゾクリとしてしまうほどのまなざしで見つめられたかと思うと、強く抱き締められた。 「…あっ…っ!」 吉羅の手が、一気にドレスの胸元から入り込んでくる。 「あっ…!」 嫌ではなかった。 だが細胞が化学変化を起こしたようにざわついたせいで、戸惑いを隠すことが出来ない。 「…吉…羅さん…っ!」 無防備な胸元に直に触れられた瞬間、躰が硬くなった。 細胞の総てが緊張の余りに震えているような気がする。 「…香穂子…」 まるで放心したような声が聞こえたかと思うと、静かに手が離された。 「…吉羅さん…」 吉羅は溜め息を軽く吐くと、静かに香穂子から離れる。 「…すまない」 「だ、大丈夫です」 「その声じゃ、大丈夫ではないだろう?」 吉羅は苦笑いを浮かべると、香穂子の肩を一度だけ叩いた。 「…着替えて来なさい。送るから」 きっとこの反応を子供だと思ったに違いない。 また大人と子供の間の溝が出来てしまう。 香穂子は瞳の奥が沸騰するように熱くなるのを感じた。 「…子供だから…止めたんですか…?」 「…そうじゃない」 吉羅は苦しそうに呟くと、香穂子の頬を大きな手のひらで包み込む。 「君が余りに大人の女だからだ」 「…吉羅さん…」 吉羅は香穂子に微笑みかけると、頬を何度か撫で付けてくれた。 「自然に準備が出来るようになる。だから、その時まで楽しみは取っておこう」 吉羅の深い声と、慈しみが溢れた深みのある声に、香穂子のこころは蕩けて素直になる。 「…はい…」 素直に返事をすると、香穂子はようやく笑うことが出来た。 「じゃあ着替えて来ますね」 「ああ」 香穂子はようやく無理に背伸びをすることなく、ゆっくりと歩くことが出来るような気がした。 香穂子が着替え終り、吉羅もシャワーだけを浴びて、ふたりはセミスィートを出た。 「これだけに使ったら勿体ないですね」 「まあ、たまには構わないだろう」 仲良く手を繋いでふたりはホテルを出て、駐車場へと向かう。 車に乗り込んで一息吐くと、以前よりもずっとずっと絆が深まったような気がした。 いつか。こころの準備が出来たら…。 隣りに座る吉羅の甘い横顔を見つめながら、香穂子はまたひとつ大人へのステップを上がったような気がする。 一歩ずつ大人への階段をエスコートしてくれるのは、横にいる大好きなひとでありますように。 きっと違いない。 香穂子は確信を持ちながら、吉羅の肩にそっと甘えた。 |