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指定されたオフィスまで来たところで、香穂子は深呼吸をする。 とうとう逢えるのだ。 ずっとずっと見守ってくれていた、香穂子の本当の大切なひとに。 香穂子は緊張する余りにどうして良いかが解らなかった。 ゆっくりと背筋を伸ばして、香穂子はノックをする。 「失礼します、日野香穂子です」 名前を名乗ると、ゆっくりとドアが開いた。 出てきたのは、あしながおじさんの秘書らしき初老で品のある女性だった。 「まあ日野香穂子さん!お待ちしていましたよ。どうぞこちらへ。待ち侘びていらっしゃいましたよ」 「有り難うございます」 女性はにこやかに笑うと、香穂子をゆっくりと誘ってくれる。 全面の窓が見えて、そこから黄昏色の陽が真直ぐ入ってくる。 あしながおじさんの姿が見えたが、余りにもの眩しさに、香穂子は思わず目をすがめた。 あしながおじさんのシルエットは、本当に美しい。 モデルなのではないかと思うぐらいに、完璧にバランスが取れていた。 ずっと年老いた男性だと思っていたのだ。 実際にはかなり若い。 香穂子は、鼓動がスローモーションになって鳴り響く。 ゆっくり、ゆっくりと歩いて近付くと、とうとうあしながおじさんの姿が映し出してくる。 黄昏色がとても似合う男性が見えて、香穂子は心臓が停まってしまうのではないかと思った。 大好きな男性が目の前にいる。 吉羅暁彦だ。 「日野君、私が君の“あしながおじさん”であることに気付かなかったのかね?」 吉羅は目を柔らかく細めると、優しく愛が滲んだまなざしを向けてくれる。 香穂子は泣き笑いを浮かべながら頷いた。 「…そういえば…、そうですね…。いっぱい、疑うところはあったような、なかったような…。あなたがいて良かった」 香穂子は苦笑いを浮かべながら、また嬉しくて涙ぐんでしまった。 「君に逢いたくてワイナリーに頻繁に行っていた時は、バレると思っていたんだがね?」 吉羅はあくまでも優しい笑みを浮かべて、香穂子を見つめてくれた。 吉羅を見つめるだけで、胸がいっぱいになる。 苦しいのに幸せで、だけどほんのりと苦い。 吉羅には、恋愛相談を、一切出来ないだろう。 香穂子を妹のように見てくれていたのは、“あしながおじさん”だからだ。 あしながおじさんだからこそ、いつも見守ってくれていたのだ。 「吉羅さんが…いつも兄のように見守って下さっていたから…、こうして頑張ることが出来たんです…。本当にどうも有り難うございます」 香穂子は涙を零しながら、吉羅に微笑みかけた。 その瞬間、吉羅に力強く抱き締められた。 息が出来ないほどの力強い抱擁に、香穂子は鼓動を早める。 「兄と思って見守っていたなら、私は…こんなことはしない…。君はどうなのかね? 私に女性として抱き締められたいか? それとも妹として抱き締められたいか? どちらかね? …私は、君をひとりの男として抱き締めているよ…」 「…吉羅さん…」 逞しい胸にしとかりと抱き締められて、香穂子は甘くて喘いだ。 鼻孔をくすぐる吉羅の香りに、香穂子は酔っ払ってしまいそうになった。 吉羅に女として見て貰いたい。 それが香穂子の望みだ。 吉羅は香穂子の頬を両手で包み込むと、視線を合わせてくる。 「今まで君が高校生だったから…私は言えなかった。君とはかなり禁忌な関係になってしまうところだったからね…。だが…、君は高校生ではなくなった…。だから、ようやく告げることが出来るよ…。私は君を誰よりも愛しいよ…」 吉羅の真摯な言葉とまなざしに、香穂子はその場で泣き崩れてしまいそうになる。 こんなにも幸せな告白を聴いたことなど、今までなかった。 冬休みに吉羅が香穂子の告白を戸惑った理由も、ようやく理解することが出来た。 「…吉羅さん…。…私も…あれから気持ちは変わっていません…。あなたが大好きです。それだけです…」 「香穂子…」 吉羅はホッとしたかのように息を吐くと、香穂子の名前を初めて呼んでくれた。そしてゆっくりと唇を近付けてくれる。 唇が重なる。 こころから夢見ていた瞬間に、香穂子は涙が一粒零す。 本当にこんなに幸せな瞬間は、他にないのではないかと思った。 吉羅の唇は、香穂子の唇をしっとりと包み込むように重ねられる。 やがてそこに情熱が集まり、沸騰しているのかと思うほどに熱くなった。 激しさを増し、唾液や熱を交換し合う。吉羅が相手だからこそ出来ることなのだと、香穂子は強く実感した。 唇を放されて、息が激しく乱れる。それをあやすように吉羅がふわりと抱き締めてくれた。 「…君を…愛しているよ」 「私も吉羅さんを愛しています…」 香穂子は堂々と言うと、吉羅をしっかりと抱き締めた。 「有り難う、香穂子」 「私こそ、吉羅さんには沢山の有り難うを言わなければなりませんよ」 香穂子は泣き笑いを浮かべるように言うと、吉羅の胸に顔を埋めた。 暫く、ふたりでしっかりと抱き合った後、応接セットに向かい合わせに座り、様々な話をする。 香穂子はこころを完全に晴天にさせながら、吉羅との会話を楽しんだ。 話し終えた後、吉羅は香穂子にジュエリーボックスを差し出す。 「出来たら左手薬指にはめて欲しい…」 吉羅がボックスを開けると、そこには美しく輝くダイヤモンドリングがあった。 「…私は…君を離せないし、離したくはない…」 「吉羅さん…」 こんなリングまで貰えるとは思ってもいなくて、香穂子は益々泣きそうになった。 「左手薬指にはめて構わないかな?」 「お願いします…」 吉羅は頷くと、香穂子の左手を取り、そのまま薬指にリングをはめてくれる。 こころがジンとなり、喜びが込み上げてきた。 涙を流して吉羅を見ると、強く抱き寄せられた。 「有り難う。もう離さないからそのつもりで」 「私もあなたを離しませんから…」 香穂子が涙がいっぱいの瞳で見つめると、吉羅は静かな笑みで頷いてくれた。 「香穂子、これからもサポートをさせて欲しい。ふたりで一緒に、君の夢を叶えよう」 「有り難うございます。だけどもう私の夢はひとつ叶っているんですよ」 香穂子はにんまりと笑うと、吉羅を真直ぐ見つめた。 「あなたと一緒に人生を歩いていくことが私の夢だったんですから」 香穂子はにっこりと微笑むと、吉羅をしっかりと抱き締めた。 「愛しているよ。君を一生離さないから…」 吉羅の低く甘い声に、香穂子もまたにっこりと微笑む。 「私もあなたを離さないですから」 私の大切な愛しいあなたへ。 どう手紙で書いて良いかが解らないぐらいに、幸せに興奮しています。 まさか! あなたが私の“あしながおじさん”だなんて、思ってもみませんでした。 あなたをあしながおじさんだと知った瞬間、私は本当に蕩けてしまうぐらいに幸せでした。 あなたで良かったと。 あなたが私のあしながおじさんで良かったと。 本当に嬉しかったです。 本当に私は何故か気付かなかったんです。 私はあなたがあしながおじさんであることを、一度も疑ったことはなかったんです。 だけど、細かいところを検証すれば直ぐにあなたがあしながおじさんだということが解りましたのに。 だけど気付かなかったからこそ、本当に幸せな驚きを経験することが出来ました。 これからもずっと一緒にいられるのが嬉しいです。 これからもどうぞよろしくという想いをこめて。 日野香穂子 |