*愛の願い*

36


 ずっとこのペンダントを大切にしたい。
 香穂子はその想いを強くして、何度もペンダントトップを撫でた。
 寝る支度をした後も、ペンダントをかける。
 香穂子は幸せな眠りになるとこころから予感をしながら、微笑みながら眠りに落ちた。

 翌日は軽い食事をして、クリスマスの朝恒例の礼拝に参加をする。
 吉羅と一緒に参加するクリスマス礼拝は、とても神秘的でロマンティックだった。
 白い朝。
 ワイナリーがある地域に寒波が訪れて、かなりしんしんと冷え込んでいる。
 回りはクリスマスケーキにかかった粉砂糖のようにパウダースノウが麗しく景色を化粧していた。
 なんてロマンティック。
 クリスマス礼拝の朝にはもってこいだ。
 礼拝の後、香穂子はこころが澄んだ気分になりながら幸せに教会を出る。
「本当にとても素敵なクリスマスです」
 香穂子が頬を紅潮させながら笑顔で言うと、吉羅も頷いてくれる。
 夢見るようなクリスマスだ。
 神様が沢山の贈り物を下さったような気がした。
 ふとヴァージンスノウを踏み締めたくなり、香穂子は小さな子どものように無邪気に踏み締めていく。
 それをワイナリー夫妻や、吉羅が見守ってくれていた。
「きゃ!」
 思わず足を滑らせてしまい、香穂子は転びそうになる。
 だがお約束にも吉羅がきちんと受け止めてくれた。
「…まったく君は…」
「ごめんなさい…」
 小さな子どものような真似をしたからか、吉羅は全く呆れ果てているようだった。
 吉羅は香穂子の手をギュッと握り締めると、そのまま引っ張っていく。
 吉羅の手がとても大きくて温かくて、香穂子は胸が熱くなるのを感じる。
 この恋心を吉羅は知らない筈だ。
 だからこそこのように保護者めいたことをしてくれるのだろう。
 吉羅にとって香穂子は3歳児の子どもなのだろう。
 だが、こうして手をしっかりと繋いでくれるのが嬉しかった。
 手を繋いだままで、ワイナリーまでゆっくり帰る。
 まるで心地良いロマンティックな散歩をしているような気分だ。
 それをワイナリーの夫妻が優しいまなざしで見守ってくれていた。
 ワイナリーまで着くと、吉羅の手はそっと外される。
 何かを喪失した気分。
 香穂子は痛い気分になりながら、吉羅を見上げた。
 何かを感じたのか、吉羅は深みのある視線を向けてきた。
「どうしたのかね? お嬢さん」
「何でもありません…」
 まさか吉羅に手を離されたから寂しいだなんて言える筈もない。
 香穂子が押し黙っていると、吉羅はそっと手を取った。
「少し散歩でもしようか? 日野君」
「有り難うございます」
 吉羅と手を繋いで散歩をする。
 こうしていると吉羅に愛されているのではないかと、香穂子は勘違いをしてしまう。
 少しだけでも期待を持っても構わないだろうか? そんなことを思ってしまう。
 吉羅の首には、香穂子がプレゼントをしたマフラーが揺れている。
 いつも上質なものを使っている吉羅だから、香穂子がプレゼントをしたマフラーは釣り合いが取れないのかもしれない。だが、こうして使っていることが、純粋に嬉しかった。
 今なら言えるだろうか。
 本当に伝えたいことを。
 吉羅とこうしてしっかりと手を繋いでいる間ならば、勇気が溢れて来るような気がした。
「吉羅さん…あの…」
 声を掛けるだけで、香穂子は震えるのを感じる。
 吉羅は子どもの戯言だと思って、軽くあしらってしまうのだろうか。
 それはそれで辛くてしょうがない。
「…日野君…どうしたのかね?」
 香穂子の表情を見て、思い詰めていることに気付いたのだろう。吉羅はその顔を覗きこんでくる。
「…私…吉羅さんが…好きです…」
とうとう言ってしまった。
 本当に好きなのだからしょうがない。
 好きで好きでしょうがないのだから。
 香穂子は胸がひとりでに飛び出して何処かへ走って行ってしまうのを感じながら、吉羅を見上げた。
 吉羅の表情は冷たいぐらいになかった。
 香穂子は不安になる。
 やはり、吉羅は何とも思ってはいないのだろう。
 そう思うだけで嗚咽が込み上げてきてしまいそうだ。
 吉羅の冷徹な瞳が、何を勘違いしているのだと、攻め立てているような気がした。
「…君はまだ高校生だ…。今為すべきことをやりなさい」
 吉羅の深い声とそのまなざしに、香穂子はもう堪えられなくなる。
 吉羅はやはり香穂子のことを子どもとしてしか思えないようだ。
「…それは…私のことを妹のようにしか思えないということ…ですよね?」
 香穂子が震えた声で言うと、吉羅は冷たくスッと目を細めた。
「君はこれからヴァイオリンで頑張っていかなければならない。色恋沙汰を気にしている暇など君にはなかろう」
 吉羅の言葉が矢になって香穂子の胸にしっかりと突き刺さってくる。
「…そう…ですよね…。そうでした…。私はやるべきことをやらなければならないんですよね…」
 香穂子は胸がひどく痛く震えるのを感じながら、吉羅から手をするりと離す。
 この男性のなかでは、香穂子は恋愛対象ではなかったのだ。
 まるで妹のように思っていただけだったのだ。
「失礼…しました…」
 香穂子は手をするりと離した後で、深々と頭を下げると、吉羅に背を向けた。
 真直ぐ歩けるかどうか自信がない。だが何とか背筋を伸ばして、香穂子は歩いた。

 母家に戻り少し暫くしてから、吉羅のフェラーリが出て行くのが見えた。
 もう逢ってはくれないかもしれない。
 それは当然だ。
 ルール違反のような告白をしたのはこちらなのだから。
 香穂子はクッションを抱き締めながら忍び泣く。
 今はもう何も考えられそうになかった。

 参った。
 吉羅は正直そう思った。
 理性が何処かに行ってしまうのを必死になって堪えたのだ。
 あのまま抱き締めてキスをしたくなった。
 それほどに香穂子への想いが爆発しそうになっていた。
 せめて香穂子が高校を卒業するまでは、この想いを暴走させてはならない。
 吉羅はその信念で今までやってきた。
 今もそれは変わらない。
 だからそうしたのだが、結局はそれが仇となってしまったのかもしれない。
 香穂子は完全に誤解をしてしまっている。
 それをとくのはかなり大変だろう。
 だがこのまま告白を受け入れてしまうと、香穂子を完全に離せなくなってしまうのが解っていたのだ。
 後少しだけ。
 香穂子が高校を正式に卒業をするまでは待たなければならない。
 吉羅は胸が痛くなるのを感じながら、東京に向かって車を走らせた。
 後少し。
 後少しだけ待って欲しいと、思わずにはいられなかった。

 そこからの冬休みは静かな日々が続く。
 心は麻痺をしたままで、ただ痛みを感じるだけの日々だ。
 いつもは定期的に書く、“あしながおじさん”への手紙も、ここのところは滞っている。
 明るい手紙を今は書けそうになんかなかった。
 上手く楽しそうに表現することも出来ない。
 香穂子は、便箋を前に溜め息を吐くばかりだった。
 胸が苦しくてどうして良いのかが解らない。
 好きで好きでしょうがないひとからの拒絶は、思った以上に痛かった。
 胸が痛いと何も出来なくなるなんて、香穂子は知らなかった。
 吉羅とは最初から釣り合いなど取れてはいないことを、自分が一番知っていたというのに、どうして夢見てしまったのだろうか。
 それはきっと吉羅が優し過ぎたからだ。
 香穂子はそう思わずにはいられなかった。
 早く恋心を消すためにはどうしたら良いのかばかりを、考えていた。



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