*君へと続く道*

12


 吉羅と共に暮らす日々が再び始まった。
 以前に比べると、かなり甘い日常だ。
 吉羅は、香穂子が完全に元気を取り戻すまでは、不用意な外出を禁止していた。
 何かあっては困るというのが、吉羅の主張だ。
 香穂子も、早く吉羅と一緒に健康的な生活を送りたくて、それに従っている。
 吉羅の気遣いはかなり有り難かった。
 だが同時に閉じ込められている感覚も否めない。
 吉羅は、香穂子を自分の世界に閉じ込めてしまっている。
 そこから自由になって、早く吉羅を愛したいのにと、香穂子は思わずにはいられなかった。 

 吉羅を見送った後で、香穂子はいつものように自分が出来る限りの家事をする。
 その後は、ヴァイオリンの練習を行なうのだ。
 早くいつも通りの生活を送りたい。
 香穂子は切に願いながら、何気なくテレビをつけた。
 また、くだらないワイドショーがやっており、チャリティーパーティのファッションチェックが行われている。
 何気に見ていると、吉羅が美しい女優を連れて会場に現れたのが映し出されていた。
 様々な意味で注目を浴びている吉羅は、こうしてパパラッチに狙われることも少なくない。
 解っている。
 こうして吉羅が他の女性とパーティに出席するのは、香穂子に無駄な負担をかけないためだ。
 彼女たちとは付き合っていないと言っていたから、そこに恋情がないのは解ってはいる。
 だが切なくてしょうがない。本当に泣きそうになってしまいそうになるぐらいだ。
 割り切ることが出来ない自分が悔しかった。

 吉羅が家に帰ってくると、香穂子はいつものように笑顔で出迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 吉羅は低い優しい声で言うと、香穂子の頬をそっと撫でた。
「顔色が悪い…。また苦しいということはないのかね…?」
「大丈夫です。もう病気は何処かに行ってしまいましたから」
 香穂子が笑顔で精一杯呟くと、吉羅は頭を撫でてくれた。
「切なそうな顔をしているが、何かあったのかね?」
「…いいえ何もないです、何もある筈がありません…」 
 一瞬目を伏せたのに気付かれたのか、吉羅は瞳を覗き込んで来た。
「ちゃんと言いなさい」
「…暁彦さんと綺麗な女優さんがテレビに映っていて、私よりも綺麗でお似合いだなあって思っただけです。それだけ…。こども染みた嫉妬ですよね…」
 本当にそうだ。
 吉羅のこころなどを考えずに、ただ綺麗なひとといるだけで嫉妬してしまうなんて。
 香穂子が苦笑いを浮かべると、吉羅はその頬を両手で包み込んだ。
「…大人になれない自分が切なかった…。ただ、それだけなんですよ…。本当に…」
 香穂子は目を伏せると、吉羅の視線から離れようとした。
「…香穂子、君は誰よりも綺麗だと…私は思う…。だからそんな顔はするな」
「暁彦さん…」
 吉羅の言葉は手厳しいが、その声には愛が滲んでいる。
「…これからは、君を公式の場所に連れて行こうと思ってはいるが…」
「解っています。あなたと一緒に並んでも、私は子どもでまだまだ釣り合いが取れてはいないから…」
 本当のことを口にするというのは、なんて手厳しい行為なのだろうと香穂子は思う。
 こんなに苦しい想いは他にない。
「そんなつもりじゃないんだ…。私は…。私は…君を他の男に晒したくなかったからかもしれない。君は…、私にそう思わせてしまう程に美しいんだよ…」
 吉羅の苦しげな声に、香穂子は驚きを隠せない。
「…私は…、あなたがずっと…私よりももっと綺麗な女性と一緒にいたいんだと…思っていました…」
 香穂子は苦しげに呟くと、吉羅を涙目で見つめる。
「…だって、綺麗なひとと一緒にいる暁彦さんのほうが輝いて見えたから…。幸せそうに見えたから…」
「君以外に、私を幸せにしてくれた女性はいないんだ…。君だけなんだ…。私をいつも世界で一番の男であるように思わせてくれた…。どんな女性も…、君以上に素晴らしい気分にはさせてくれなかったよ…」
「暁彦さん…」
 香穂子は吉羅の躰を抱き寄せると、その広い胸に顔を埋める。
「…ずっと不安でした…。不安で堪らなかったんです…。暁彦さんは公式の場所に連れていって下さったことはなかったし…、そこにはいつも綺麗で輝くような女性がいたから…。だから…私はいつも、自分は都合の良い女なんじゃないかって…、思っていました…。大切にして下さっていることは解っていましたが…、そこに愛があるかが解らなかった…。言葉がないから…解らなかった…」
 香穂子は熱い涙がこぼれ落ちるのも構わずに、吉羅に呟く。
 胸の奥が切なくて堪らなかった。
「…私はこんなに愛しているけれど…、あなたはどうなのかなって…。だって愛の言葉がなかったから…」
 泣きながら一生懸命笑おうとしてもなかなか出来なくて、香穂子は洟を啜った。
「…香穂子…!」
 吉羅は感情が極まるような声で名前を呼んでくれると、息が出来なくなるほどに抱き締めてくれた。
「…ずっと私は…君だけを愛していたんだよ…。香穂子…愛している…」
 吉羅は掠れるような低い声で呟くと、香穂子を抱き締めたまま離さない。
 初めて 愛していると言って貰えた。それが嬉しくて、香穂子は涙で顔をグチャグチャにしながら、吉羅に笑いかける。
 こんなに嬉しいことなんて、他にないと思いながら。
「…暁彦さん…。私も愛しています」
 嬉しくて堪らなくて、どうして良いか解らない。
 吉羅に出会えた奇蹟を本当に嬉しく思う。
 言葉に出来ないぐらいに嬉しかった。
 吉羅は香穂子をそっと抱き上げると、ベッドへと運んでいく。
 そのまま熱く甘く激しい愛の嵐へと、突入していった。

 もう離れないとばかりに、ふたりはしっかりと抱き合いながらベッドに横たわる。
「…愛しているよ、君を…。これからもそれは変わらない…」
「…私もずっと変わることはないです…。きっと…」
 吉羅はフッと微笑むと、香穂子を腕のなかに閉じ込めた。
「君以上に綺麗な女性は他にいないと私は思う。君は顔も躰もこころも仕草も、総てがとても綺麗なんだよ…。だからどんな女も色褪せて見えた…。これは本当だ…」
「…暁彦さん…」
 吉羅は香穂子の唇に軽いキスをすると、左手薬指にはめられた指環を指先で辿った。
「…そろそろ承諾して貰えないかね?」
「承諾…?」
「…私との結婚だよ。君と一緒になりたいと言っているんだよ…。私は…」
「…あ…」
 愛を語られる前にプロポーズをされていたから、あの時は戸惑いもあった。
 だが今はそんなことはなく受け入れられる。
「…勿論です。あなたと結婚したいです…暁彦さん…。あなたと生涯供にいます…」
「香穂子…!」
 吉羅は香穂子の躰を更に強く抱き締めると、唇に誓いの甘いキスをくれる。
「…有り難う…」
「…暁彦さん…。私こそ有り難うございます…」
 吉羅は香穂子にもう一度くちづけると、再び愛し始めた。


 仕事を終えて、吉羅は横浜の山手にある自宅へと車を走らせる。
 子どもの眠る時間に間に合うように。そして愛する妻とのひとときを長く持てるように。
 吉羅が自宅に着くと、愛する妻と子どもが出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 愛する者に出迎えられ、吉羅は幸せを感じる。
 いつでも帰ることが出来る温かな場所。
 それは香穂子がいるから。香穂子がいる場所こそ、吉羅の一番幸せな場所。
 香穂子へと続く道が、吉羅にとっては幸せの道。



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