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彼女と出会ったのは、秋の入り口にさしかかった頃。 教会でヴァイオリンを奏でていた。 その美しい姿に、一目で魂を奪われた。 その音色と姿は、聖なるヴェールに覆われていて、曇りがない。 これほどまでに愛しいと思った相手は始めてだった。 チャリティコンサートが終わると、白のドレスに身を纏った赤毛の清らかな雰囲気の少女が、教会の敷地を 小さな子どもたちと一緒に歩いているのが見えた。 先ほどの演奏者。 吉羅のこころを鷲掴みにした少女だ。 小さな子どもたちと、そのまま慈善バザーに参加するようだった。 売っていたのは、ヴァイオリンの形をした手作りクッキーだ。 らしくはないと思いながらも、クッキーの入った袋を手に取っていた。 「…これを頼む」 「はい、有り難うございます!」 嬉しそうに言ったかと思うと、少女は笑顔で商品を手渡してくれた。 「お子さんにですか?」 少女の言葉に、吉羅は甘く苦いカラメルのような気分になる。 「子どもはいないのだがね。秘書はいるがね。秘書に渡そうと思っている」 「失礼しました。だったらおまけしますね」 笑顔はとても明るくて澄んだ太陽のようなのに、何処か官能性も秘めている。 とても魅力的な少女だ。 暫く、見惚れてしまい、我をなくす。 こんなことは今までなかったというのに。 吉羅は、目の前の少女にこころ奪われるのを感じながら、一挙手一投足が気になってしょうがなかった。 「おまけをつけておきます。とても美味しいですから、是非秘書の方と召し上がって下さいね。 「有り難う」 吉羅は笑顔にホッとするような温かさを見出しながら、いつものようなクールな表情で軽く頷く。 「有り難うございました」 伸びやかな声がバザー会場に響き渡り、吉羅は心地好い気分で駐車場へと向かう。 何時までもここにいて、彼女の顔をじっくりと見つめたいたいが、そうはいかない。 一目ぼれなのだろうか。 いや、この年齢になってそれは恥ずかし過ぎる。 吉羅は自分に苦笑いをしながら、フェラーリのステアリングを握り締める。 爽やかな夢を見たような気分だった。 それが日野香穂子との出会いだった。 恋に総てをさらわれて、何のコントロールも出来ずに高みへと連れて行かれる経験は、これが初めてだった。 吉羅は、改めて教会の慈善コンサートに出演していたメンバーを調べた。 直ぐにあの少女の名前は確認することが出来た。 日野香穂子。星奏学院大学音楽学部2年生。 二十歳の女性だ。 少女と女の危うい境界線を感じさせる少女だ。 吉羅は偶然に感謝する。 星奏学院は、吉羅が理事を務める学校法人だ。 直ぐに日野香穂子のデータを取り寄せることが出来た。 「…なかなかの戦歴だね…」 学内コンクール、日本学生音楽コンクール大学生の部優勝、日本音楽コンクール第1位…。 将来を嘱望されているヴァイオリニストの一人なのだろう。 彼女にならば、パトロンとして出資をしたとしても、何らおかしなことはない。 有望な芸術家に、経済人が援助をする。よくあることだ。誰も不審には思わない。 それにまさか、あの吉羅暁彦が、少女にひとめぼれをして出資を決めるなんて、誰もが夢にも思わないだろうから。 自分のイメージを隠れ蓑にすれば良い。 吉羅が、香穂子に援助するために様々に画策していると、内線が鳴り響く。 有能なドラゴン…。いや、秘書からの電話だ。 吉羅とは親子程離れているが、よくやってくれるベテランの秘書だ。 「もうすぐパーティの時間ですから、東都銀行の頭取様のお嬢様をお迎えに行く時間です」 「解った」 吉羅は電話を切ると溜め息を吐く。 周りに薦められている、結婚相手としては最も相応しい相手。 美しく、聡明で、しかも地位もある女性。 ここまで様々な条件が揃っている女性も珍しい。 本当に誰もが申し分ないと思う女性だ。 付き合っているが、これほどまでに完璧過ぎると、かえって人工的だと感じてしまう。 それは自分のわがままな嗜好なのだろうか。 女性を完璧に思いながらも、婚約といった枷を背負うまでには踏切ることは出来なかった。 あのまなざしが気になっていたからかもしれない。 吉羅は溜め息を吐くと、デスクから立ち上がり、駐車場へと向かう。 誰もが婚約は確実だと思っている。 自分でも、これからのことを考えると、そうしなければならないのは解ってはいる。 だが、どうしても踏切ることは出来なかった。 こんなにも重い枷はないような気がしていたからだ。 吉羅はフェラーリで女性を迎えに行く。 一緒にいても全くこころが温まらない。 こんな相手とは、一緒にいられないのは、本能で解っているはずなのに、なかなかそれを踏み切られなかった。 いつものようにお互いにスマートで退屈な会話を交わしながら、パーティ会場へと向かう。 彼女はパーティ会場での花だ。 しかも誰も手を出すことが出来ない高値の花。 何処か見下しているような視線が、吉羅には気になってしょうがなかった。 パーティ会場に行くと、前半は学生のアンサンブルが入っての生演奏が流されるとのことだった。 後半は、プロのアンサンブルが入ると聞き、吉羅はほんの少しだけ嬉しくなる。 かつてヴァイオリンを弾いていたこともあり、クラシック音楽は趣味のひとつになっている。 吉羅は、学生アンサンブルのメンバーを見て、息を呑む。 そこには日野香穂子がヴァイオリン担当で入っていたのだ。 一生懸命準備をしている姿に、とても好感が持てる。 本日のパートナーである女性を置き去りにして、吉羅は香穂子に近付いた。 今までは女性にこんなにも積極的にアプローチをしたことなどなかった。 今までパートナーに選んできた女性は誰もが美しく大人の女だった。 だがそんな反面、男に依存しなくては生きていけないような女ばかりだった。 日野香穂子は初だ。そして子どもにしか見えない。 なのに強く惹かれてしまう。 しなやかに凜とした輝きが、吉羅をひきつけて止まない。 清楚な魅力と共に、今すぐ抱き締めたいと思わずにはいられない官能を秘めていた。 「こんばんは」 吉羅が声を掛けると、香穂子はハッとしたのか顔を上げた。 直ぐに驚いた表情は、向日葵のような笑顔になる。 「…あ、あなたは慈善バザーの時の…。こんばんは」 香穂子は嬉しそうに笑うと頷く。 「こんばんは。今夜は演奏をするのかね?」 「はい。アンサンブルで一曲だけ。それが終われば御役御免です」 「そうか。教会での演奏、あれは良かった…。今夜の演奏も楽しみにするとしよう」 「有り難うございます。ご期待に添えるように、頑張りますね」 「ああ。そうだ、名乗ってはいなかったね…。私は…」 吉羅が名刺を差し出そうとすると、香穂子はにっこりと笑う。 「吉羅…暁彦さんですよね? 星奏学院大学の理事の…」 「そうだが…」 吉羅は内心嬉しく思いながら、驚いたふりをする。 「キャンパスで何度かお見掛けしたことがあるんです。私、星奏学院の音楽学部なんです」 にっこりと微笑む香穂子に、吉羅のこころは揺さぶられる。 明るい陽の光のような笑顔。 そして、胸やヒップは豊かなのに、ウェストや手足はすんなりとした、完璧なまでの女らしい柔らかくまろやかな躰つき。 総てが吉羅を魅了して止まない。 吉羅はこのまま抱き締めてさらいたくなる衝動を感じていた。 |