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その夜、母親とふたりで香穂子は語り合った。 「あなたたちふたりを見た時に、これはもう引き離せないと思ったのよ。あなたたちふたりを誰も引き離せないし、引き離す理由もないもの。だから、あなたを暁彦に預けるのが一番だと思ったわ。あなたたちふたりが壊れることはないと、確信していたしね」 母親はフッと笑うと、香穂子を見守るように見つめる。 「…お母さん…」 本当に嬉しくて泣きそうだ。 こんなに素敵な日は他にはない。 「香穂子、反対すると思っていた?」 「…少しは…。だって、私はまだ高校三年だし…」 香穂子は素直に思っていたことを打ち明ける。 「…そうね。確かにあなたはまだまだ若いわ…。だから…、結婚なんて早いかもしれない。だけどね…、ほんの若い時に、本物の相手に出会うことってあるのよ…」 「お母さん…」 「暁彦は、あなたにとっては最高の本物の相手よ。あれ以上の相手は見当たらないでしょうね。暁彦の相手もあなた以外は考えられないわよ。暁彦があなた以上に愛せる相手を見つけることは、出来ないでしょうからね」 母親はにっこりと笑うと、香穂子を抱き寄せてくれる。 母親の温かな愛情に泣きそうになった。 「結婚は大学に入った時点で認めます。ヴァイオリンと両立をしながら頑張りなさい」 「…はい。有り難う。お母さん…」 「後、明日、暁彦が空港まで送ってくれるそうよ。あなたと少しでも一緒にいたいのね」 「…私もだよ…」 「解っているわよ」 母親に甘えるように抱き着くと、香穂子は微笑む。 母親とこうして過ごすことが出来るのも後少しかもしれない。 それは香穂子がひとりの人間として新しい道を歩き始めることを意味している。 寂しいが、嬉しいことだと、香穂子は思った。 翌日、朝食を食べた後、吉羅が迎えに来てくれた。 今日が祝日で本当に助かった。 こうして吉羅と両親を見送ることが出来るのだから。 香穂子は気兼ねなく助手席に乗り込み、空港までのドライブを楽しむ。 吉羅と一緒にいられることが、本当に嬉しくてしょうがない。 空港までのドライブを終えた後、ふたりで両親を見送る。 「本当にお世話になったね、暁彦君。これからも香穂子のことを頼むよ」 父親は半ば泣きそうな顔をしている。 「はい。香穂子を幸せなヴァイオリニストにしますから」 「有り難う」 吉羅はフッと微笑むと、父親としっかりと握手をしてくれた。 「暁彦、香穂子を本当に頼みます。あなたなら安心して香穂子を預けることが出来るわ。宜しくね」 「解りました」 吉羅はしっかり頷き、改めて約束をしてくれた。 「…お父さん、お母さん、色々と有り難う。本当に有り難う」 胸が苦しくて辛くて、香穂子は泣きそうになった。 こんなに切ない両親との別れはないかもしれない。 香穂子はいつもとは違う万感の想いを感じていた。 「香穂子…」 吉羅が慰めるように手をしっかりと握り締めてくれる。 その強さが嬉しかった。 「では、行きます。ふたりとも元気で! 来年にはこちらに戻って来られるかもしれないから」 「解った! お母さん、お父さんも元気で! また、お母さんたちに会えるのを楽しみにしているよ!」 香穂子は、両親が見えなくなるまで、何度もしっかりと手を振り続けた。 「…さあ、行こうか、香穂子」 「はい…」 吉羅としっかりと手を繋ぎあうと、駐車場へと歩いていく。 「今夜は久し振りに、レストランに行くか。夜景と音楽が素晴らしいレストランだ」 「はい。楽しみにしています」 香穂子は切なさが滲んだ笑顔を吉羅に向けると、ただ素直に頷いた。 うちに帰ると、正直、ホッとした。 香穂子にとっては、吉羅と暮らすこの場所が、我が家となったのだ。 「…久し振りに君を遠慮なく抱き締められるね…」 吉羅はフッと笑うと、香穂子を抱き締めて、唇を重ねてくれる。 久し振りの甘えるキス。 香穂子は吉羅とのキスに酔い痴れながら、甘い甘い時間を堪能していた。 夕方から出掛けて、レストランへと向かう。 ふたりきりのお祝いをするのだ。 「日本音楽コンクールの第1位と、私たちの婚約祝いだ」 「有り難うございます」 まさかこんなにもおめでたいことが続くとは、香穂子は思ってもみなかった。 沢山の幸せが溢れている日だ。 「有り難う」以上に、言葉はないのではないかと思った。 食事と夜景、そして音楽を楽しんだ後、吉羅がジュエリーケースをふたつ目の前に差し出してくれた。 「こちらは日本音楽コンクール第1位のお祝いだ」 吉羅はジュエリーケースを開けて、気品の溢れる真珠のネックレスを見せてくれた。 「有り難うございます」 「これからもずっと使うことが出来るだろうからね」 「はい…」 吉羅はジュエリーケースを閉じた後、指環のケースを開ける。 「…婚約指環だ…。改めて言う。私と結婚して欲しい」 吉羅からの正式なプロポーズに、香穂子は目頭が熱くなる。 「喜んで…!」 香穂子が笑顔で吉羅に答えると、左手をそっと取られる。 「…香穂子…。君を幸せにするから」 「有り難う。私もあなたを幸せにします」 左手薬指に、約束の印がはめられる。 香穂子は、約束のリングに、泣きそうになりながら笑顔を向けた。 「暁彦さん、本当に有り難うございます」 「私も嬉しいよ」 吉羅と新しい一本踏み出す。 それが香穂子には幸せでしょうがないことだった。 ふたりで愛を交わした後、しっかりと抱き合う。 「幸せです。暁彦さん、本当に愛しています」 「私も幸せだ。君をもう一生、離すことがないのだからね…。愛している」 これからも様々なことがあるかもしれない。だが、吉羅とふたりきりならば乗り越えていける。 香穂子は強くそう思った。 やがて季節が巡り、高校を卒業した春の盛りに、香穂子は吉羅と結婚式を挙げた。 友人たちを中心にした温かな式だった。 早いと言われたが、ふたりにとっては充分に待った結果だ。 香穂子は百合と聖母をイメージしたヴェールとウェディングドレスを身に纏う。 桜が満開の美しい時期に、ふたりは結ばれた。 教会での式を挙げた後、吉羅に桜の木の下で抱き上げられる。 「愛している。これからもふたりで歩いて行こう」 「はい。私も愛しています」 出会った桜の木の下で、ふたりは誓いのキスを交わす。 「おめでとうなのだ!」 ふたりを引き合わせた妖精が、楽しそうに声を上げてながら出てきた。 「あっ!」 「アルジェントリリ…。またお前か…」 吉羅はうんざりしながら言うが、満更でもなさそうだった。 「お前たちの子孫もこれから見守るのだー!」 「お手柔らかにね」 香穂子の言葉に、吉羅も妖精も微笑んだ。 時が流れて次の春。 香穂子はわが子をおくるみに包んで抱き、吉羅と共に花見に来ていた。 ヴァイオリンの勉強をしながら産んだわが子は、生まれたばかりなのに音楽に敏感だ。 「生まれて初めてのお花見は、ここの桜が良かったんですよ」 「そうだな」 三人でのんびりと桜を眺めていると、不意に妖精がやってくる。 「めでたいのだ! お前たちの子供に祝福を!」 妖精は幸せそうに祝福の魔法をくれる。 香穂子は、苦笑いをする吉羅と共に笑顔で見守っていた。 祝福をされた子供。 これほど幸せなことはないだろう。 これぞ春の奇蹟。 これからも永遠に続く輝かしい奇蹟だ。 |