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愛し合った後、ふたりは甘い笑みを浮かべ合う。 「愛しているよ香穂子…」 「…私も暁彦さんを心から愛しています…」 香穂子が甘い言葉を囁くと、吉羅はそっと引き寄せてくれた。 「まさか仮眠用の部屋で君と愛し合うとは思わなかったが、これもまた良いものだね」 吉羅は幸せそうな甘い声で柔らかく囁いてくれる。 香穂子は甘えるように吉羅の胸に頬を寄せた。 「…ずっとこのまましていたいのはやまやまだが、家に帰らなければならないね」 「そうですね」 流石に香穂子も頷く。 気怠い幸せに包まれた躰を起こして、ふたりは身仕度をする。 ドレスを乱暴に脱ぎ捨てたものだから、ふたりとも苦笑いを浮かべずにはいられなかった。 身仕度をした後、セキュリティをしっかりとかけて、ふたりは会社を後にした。 「あの部屋は家族で泊まれるようにしておかなければね」 吉羅は香穂子の手をしっかりと握り締めながら、甘く意味ありげな微笑みを浮かべる。 「あの場所はパラダイスになりそうですね?」 「ある意味そうだね」 吉羅は頷くと、香穂子を抱き寄せた。 家路につくとホッとする。 同時に甘くて幸せな気分に満たされて、香穂子はうっとりとした気分になった。 幸せだ。 本当に幸せでしょうがない。 「お互いに幸せな気分だね」 「はい」 香穂子はのびのびとした幸せな気分に満たされていた。 家に戻ると、ふたりはリビングで向き合った。 「もう誤解はなしだね」 「はい。暁彦さん、何時から私を愛して下さっていたんですか?」 香穂子はストレートに訊いてみる。 ずっとクールな態度を取られ続けていたから、それが気になる。 「君のパトロンになったのは、君のヴァイオリンが素晴らしかったからだが、それと同じぐらいに君にも惹かれていたからだ…。君のように、打算的な考えをせずに、真直ぐ物事を見つめる女性が初めてだったからだよ。新鮮だった…。同時になんて魅力的なのだろうかと思ったよ…。君を見つけた時は、本当に素晴らしいと思った…。夢中だった。だからこそ、理由をつけて結婚を迫ったんだよ…」 「暁彦さん」 吉羅の恋情が深く感じられて、香穂子は胸が痛くなるぐらいの幸せを感じた。 ずっと愛されていた。 その事実が、香穂子を幸せな気持ちにしてくれる。 同時になんて素晴らしい気分なのだろうかと思う。 “…結婚しなければならない。申し訳ないが、私と結婚してくれないか? 私たちの結婚は契約だ。きちんと契約書を交わす。私たちは戸籍上のみの夫婦といいことにするが、受けてくれないかね?” 吉羅の無機質で最悪なプロポーズを思い出す。 香穂子は懐かしいと、優しい気持ちで思った。 あの頃はとても切なくてしょうがなかったが、今となれば良い想い出だ。 「…どうしたのかね?」 「プロポーズされた日のことを思い出していました」 「あれは全くの最低なプロポーズだったね」 吉羅は表情を険しく歪めた。 「本当は結婚しなければならないことなんてなかった。確かに親には早く結婚しろとは言われていたけれどね。親は私に行く遺産のことを考えてだったんだろうけれど、私はそれは全く考えてはいなかった。そんなものはどうでも良かった。ただ…、君を今のうちに引き止めていたいという気持ちは、かなり強かったんだよ…。だからこそ便乗した…。君を誰にも渡したくはなかったし、私は君の性格も解っていた。形だけの結婚であったとしても、君は恐らくは浮気はしないとね…。私は君を縛り付けてしまったんだね…。今思えば、酷い話だね…」 吉羅は苦々しく思っているようだった。 まるで心許無い子供のような瞳になる。 その瞳を見ているだけで、香穂子は吉羅を守ってあげなくなった。 本当は不器用な男性。 そして男としての“やせ我慢”をすることが出来る男性。 だからこそストレートに言えなかったんだろう。 香穂子が不安になっていたことは事実ではあるが、それでも許すことが出来る。 ストレートに愛情を伝えられなかったのは、自分自身も同罪だからだ。 「…暁彦さん…。私も同じです…。あなたがパトロンになって下さってから、あなたしか見ていませんでした…。だから、あなたの提案に飛び付いたんです。私も狡いです。あなたと同じで、ここであなたと契約であったとしても結婚してしまえば、少なくとも戸籍上、あなたは私以外の女性のものにはならない。あなたが結婚をして、苦しくて泣きそうになることもないと、そう思ったんです…。…打算的…ですよね」 香穂子が空元気に笑うと、吉羅は思い切り抱き締めてきた。 「期限を切るのがとても辛かったよ…。そして…、君と暫く離れたのは、一緒にいたら確実に君を抱いてしまう…。君を力づくでも自分のものにしてしまうと思ってしまったからだよ…。あの頃の私は…、君が私がパトロンだから仕方がなく結婚をしたとずっと思っていたから…。だから嫌がる君を抱くことは出来なかった…。本当に君を愛していたから…」 吉羅の切なくて溢れるような恋情が感じられて、香穂子は涙を零してしまう。 こんなにも切なくて甘くて素晴らしい恋情が他にあるのだろうか。 「…暁彦さん…。私はずっと…あなたが、私が都合の良い相手だったので結婚したと思っていました…。面倒臭い相手ではないからだと…」 「…違うよ。愛しているからだ。君に同居をすることを命じたのも、もう私がどうしようもないぐらいに君を愛していたからだよ。本当にどうしようもないぐらいだった…。君が夫婦らしいことをしていないと、半ば嫉妬するように言ってくれた時に、ようやく光が見えたんだよ…。君と心から愛し合える関係になれるかもしれないと…」 「…私も…、あなたと同じように、あの時に希望を持ったんです。そして赤ちゃんが、後押ししてくれました」 「そうだね…。君に子供が出来たと聞いて、本当に嬉しくてしょうがなかったよ」 吉羅は感慨深げに呟くと、香穂子を力強く抱き締めてくれる。 その強さに息が出来ないぐらいだ。 「…愛しているよ、香穂子…。赤ちゃんが驚いてしまうかもしれないが、私は君を愛したくてしょうがないからね…」 苦笑いをする吉羅に、香穂子も微笑む。 「…私もですよ。あなたを愛したくてしょうがないですから…」 「だったら、私たちの利害は一致したということだね?」 「はい」 ふたりはしっかりと抱き合って唇を重ねる。 その後はもう言葉はいらない。 ふたりはしっかりと愛し合った。 香穂子は無事に子供を出産した。 最初の子供は女の子。 吉羅はクールに接しながらも、娘が嫁に行ってしまうことを今から心配している節がある。 それが可愛いと香穂子は思っている。 娘が生まれた後も、吉羅はあくまで香穂子が一番とばかりに扱ってくれる。 それが香穂子には嬉しくてしょうがない。 吉羅は夫としても本当に素晴らしい。 子供を吉羅の両親に見せにいった時も、「次は男の子が良いです」と話をすれば、吉羅は「子供が多いと香穂子が独占されてしまうので、困ったことになります」と、堂々と母親に言っていた。 それはとても嬉しいことでもあり、もっと子供も欲しいとばかりに、香穂子の想いは複雑だった。 吉羅との結婚生活は本当に幸せで、これ以上の幸せはないと思っている。 契約結婚から始まったふたりの恋は、今や幸せで明るい花を見事に咲かせていた。
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