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「…これは…」 「私のスタジオは吉羅さんに頼まれた、あなたの公式カメラマンなのよ」 女性はにっこりと笑うと、香穂子を真直ぐ見た。 その瞳には優しさが溢れている。 「結婚式はもちろんだけれども、あなたは度々写真を撮られていたでしょう?」 「…そう言えば…そうですね…。暁彦さんと一緒にパーティに行く時にドレスアップした時は特に…」 香穂子は過去のことを思い出す度に、確信する。 本当に女性の言う通りだ。 いつも吉羅は、香穂子の写真を撮らせていた。 香穂子の表情を見て、女性は頷きながら微笑む。 「ね? 解ったでしょう? あなたの写真を沢山撮らせて貰ったのは、うちのスタジオなの。ただ、あなたの写真を、うちのスタジオの仕事をクライアントに見せるために使わせて欲しいと言ったら、暁彦さんに思い切りいやがられたから出来なかったのが残念だけれどね」 女性はまるで甘くからかうように香穂子を見た。 「あなたはかなり愛されているのよ。本当に羨ましいぐらいにね。現に暁彦さんはあなた以外の女性には目移りしないんじゃないかしら? 本当にそれぐらいにあなた一筋なのよ」 女性に羨ましそうに言われて、香穂子は切なく甘い気分になる。 胸が苦しい。 けれどもそれは清々しい苦しさだ。 こんなにも愛されているというのに、逆にそれを信じずに受け入れようとしなかったのは、自分自身なのではないかと、香穂子は思った。 香穂子は吉羅に悪いことをしてしまったと、心から思う。 吉羅は、香穂子の想いが落ち着くまで待ってくれていたのだと、感じずにはいられなかった。 香穂子は女性を真直ぐ見る。 「お話をして下さって有り難うございます。暁彦さんにもっと素直にぶつかってみます。暁彦さんに自分の気持ちを伝えます」 「ええ、それは良いことよ。頑張ってね。あ、それとあなたにどうしても見て欲しい部屋が…」 女性はそこまで言ったところで今日に口を接ぐんだ。 吉羅が冷たい表情でこちらを見ている。 「そこまでだ。ここからは私と妻で話をする」 吉羅はいつものようにピシャリと言うが、心から怒っていないことはその雰囲気で感じられた。 「じゃあまた香穂子さん。頑張って」 「はい、有り難うございます」 香穂子は先ほどとは違い、とても清々しい気分で女性を見送った。 「では帰ろうか」 「はい」 香穂子はとても優しい気分で返事をする。 「悪阻はもう大丈夫なのかね?」 「はい。今のところは」 「そうか…。車に乗っている間に気分が悪くなったりしたら、遠慮することなく言いたまえ」 「はい。有り難うございます」 香穂子は、吉羅のさり気ない心遣いを嬉しく思いながら、笑顔で頷いた。 車はいつもとは違ったルートを走っているのに気付いたのは、随分走ってからだった。 「暁彦さん、…あの…、うちではない方向に走っているんじゃないですか?」 「ああ。社に向かっている」 「お仕事がまだ残っているんですか!?」 香穂子は、吉羅は本当の意味でのワーカーホリックだと思いながら呟く。 「余り無理はされないで下さいね、暁彦さん」 「有り難う。仕事ではないよ。君にそろそろ見せなければならないと思ってね…」 「見せる?」 「来れば解るよ」 吉羅は意味深に言うと、車を駐車場に入れる。 「さあ、行こうか」 「はい」 吉羅に手を引かれて、香穂子は一緒に吉羅のオフィスに向かう。 吉羅のオフィスには何度も行ったことはあるが、その度に緊張ばかりしていた。 そのせいか今日もいささかではあるが緊張してしまう。 「緊張しているのかね?」 吉羅が苦笑いを浮かべながら呟く。 「少しだけ…」 「緊張する必要はないよ…」 吉羅は優しく言ってくれたが、吉羅からも緊張が感じられた。 「…暁彦さんもひょっとして…」 「緊張? ああ、少ししているかもしれないね」 珍しく吉羅が認める。 何時もならば、ここまで緊張を認める男性ではないのだが、よほど緊張しているのだろうか。 吉羅は、香穂子を離さないとばかりに、手をしっかりと握り締めてくれる。 香穂子にはその力強さがちょうど良かった。 吉羅に手を握り締められるだけで、本当の意味での幸せを感じる。 香穂子は先ほどよりも強い緊張を感じたが、大丈夫だと思った。 幾つかのセキュリティを通過して、吉羅とふたりでオフィスに入る。 吉羅のオフィスには、相変わらず秩序を感じる。 何処か冷たい秩序だ。 「ここからの眺めはとても綺麗だ。見るかね?」 「はい!」 吉羅に窓際に連れて行かれて、そっと肩を抱かれる。 ブラインドを上げると、そこには夜の星々を思い出させる麗しくもロマンティックな夜景が広がっていた。 香穂子は思わず感嘆の声を上げる。 こんなにも素晴らしい夜景は他にないと思う。 経済界の若き皇帝である吉羅暁彦には相応しい夜景だ。 この若さでは彼以外には手に入れることは出来ないだろう。 「綺麗ですね…」 「そうだね」 吉羅は馴れているのか、それほど感動しているという雰囲気はなかった。 だが、それでもロマンティックには感じているようだった。 香穂子を抱き寄せると、この夜景には相応しい深くてロマンティックが溢れた熱いキスをしてくる。 ここまで熱いキスをされたら、夜景なんてどうでも良くなってしまうのだが。 息が出来なくなるまでお互いに何度も激しくキスをした後、吉羅は香穂子をその胸に抱き締めて、優しく背中を撫でてくれた。 「…香穂子…。君が不安にならないように…。私が不安にならないように、私たちはきちんと話さなければならないね…。子供たちのためにも…」 「はい…」 吉羅はどのような話をしたいのだろうか。 香穂子は少しだけ不安になりながら、愛する男性を見上げる。 「大丈夫だ。そんなまなざしで見つめなくても大丈夫だ」 吉羅は頭ごと香穂子を優しく受け止めてくれた。 「…こちらに行こうか」 吉羅は香穂子の手を引いて、そのままパントリーに向かう。 その奥にある部屋に続くドアに手を掛けた。 そこは香穂子が入ることすら許されなかった吉羅の聖地だ。 「…良いんですか…?」 香穂子は不安と戸惑いが混じった気持ちで吉羅を見上げる。 「ああ…。カメラマンにもどうしても見て欲しい場所があると言われただろう? そこに行くんだよ」 吉羅は落ち着いた声で呟くと、ドアを静かに開けた。 そこは吉羅のプライベートルームで、リラックスが出来るように、様々な工夫がされていた。 眠るスペースや、バスルームがあり、生活が出来るようになっている。 仕事が忙しい時に泊まれるようになっているのだろう。 吉羅は香穂子をチェストの前に連れて行く。 チェストの上に美しく飾られている写真の数々に息を呑んだ。 婚約式、結婚式、コンサート、パーティ…。 様々な香穂子の写真だった。 愛されている。 写真を見ながら香穂子はそれを感じて涙が溢れて来るのを感じた。 これほどまでに愛されていたなんて。 香穂子が泣いていると、吉羅が背後から抱き締めてきた。 「…香穂子…。私はずっと君を愛していた…。君と契約結婚だなんて、とんだ茶番だよ…。そうしてでも一緒になりたいほどに、私は君を愛していたんだよ…。今も愛している…」 クール過ぎる男の甘い告白に、香穂子は瞳から涙が溢れてくる。 「…私もあなただけを愛しています。ずっと…」 ここからは言葉なんて要らなかった。 |