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「…暁彦…」 「吉羅さん…」 香穂子も、吉羅の母親も、吉羅の登場は想定外で息を呑む。 「香穂子を返して頂きます」 吉羅は香穂子の手首をギュッと握り締めて、そのまま立たせる。 「…あ、あの…っ」 「私も君に話があるからね。一緒に来てくれ」 吉羅は厳しい声で言うと、香穂子の手を引いてリビングから出て行く。 香穂子が戸惑うままに、屋敷の外に出て、車に乗り込んだ。 車に乗せられたものの、緊張の余りに香穂子は上手くシートベルトをすることが出来ない。 すると吉羅がスマートにシートベルトをしてくれた。 密着するだけでドキドキしてしまう。 それ以上のことをやっているのにも拘らずだ。 「うちに来て貰う」 「…はい…」 婚約破棄をされてしまうのだろうか。 もしそうならこれ以上に切ないことはないと、香穂子は思う。 香穂子は黙ってそっと吉羅の横顔を盗み見る。 完璧な程に整った顔は、冷たく見えた。 香穂子は何も語らず、ただ目を伏せる。 婚約破棄という、香穂子には最悪な結果が起こらないようにと、祈るしかなかった。 都内にある吉羅の高級アパートに連れていかれ、リビングのソファに座るように促される。 「何か飲み物はいるかね?」 「あ、あの…、出来たらお水を」 「解った」 心を落ち着けるにはやはり水が一番だと香穂子は思う。 水を飲み干した後、香穂子は吉羅を見上げた。 「吉羅さん…、お話は…」 香穂子は震える声で言うと、吉羅を見上げる。 「…香穂子…」 吉羅は跪くといきなり香穂子の手を握り締めてきた。 思わずドキドキしてしまい、息苦しくてしょうがなくなる。 「…母や家政婦長さんが色々と話していたようだが、何を話していたんだ?」 「あ、あの…、皆さん、私が…吉羅さんに夢中なのを知っているから、吉羅さんが私に夢中…だとか言って慰めて下さったんです…。皆さん、私を励まそうとしてくれていたんです」 香穂子は心臓がこのまま飛び出してしまうのではないかと思いながら、呼吸をおかしくさせる。 息苦しくてしょうがなくて、香穂子は目眩を覚えた。 「…吉羅さん…」 香穂子の話を聞いている間、吉羅は厳しい表情を崩そうとはしなかった。 「…そんなこと…有り得ないですよね…。吉羅さんが、私に夢中だなんて…。皆さんはとってもお優しいから…」 吉羅は相変わらずクールな表情のままだ。 「…お話することはこのことですよね。だったらもうお話することはないかと…」 香穂子はもうこれ以上話す事は出来ないと思いながら、立ち上がろうとした。 すると吉羅にソファに引き戻されて、いきなり抱き締められてしまう。 「…あっ…!」 吉羅は香穂子に唇を近付けてくると、そのまま甘く唇を奪った。 「…吉羅さん…っ!」 激しいキスを何度もされて、躰が熱くなる。 お互いに何を求めているかは、直ぐに解った。 だが、ここで欲望に流されてはならない。 「…吉羅さん…」 香穂子の唇から零れ落ちた唾液を、吉羅は丁寧に舐めとる。 その行為には、たっぷりの愛情が含まれている。 うっとりとした行為に、香穂子は思わず吉羅を見た。 「…香穂子、仰せの通り、私は君に夢中だ…」 「…え…?」 香穂子は心臓が停まってしまうのではないかと思うぐらいに驚き、思わず吉羅を見る。 「…君が成長していくのを見守らなければとずっと思っていたが…、それが苦しくなるほどに君を愛してしまっていた…。君は1日、1日、本当に成長して綺麗になっていった…。もう見守るだけは出来ないほどに君を愛してしまっていた。君を早く自分のものにしたくて、君が私に好意を示している間に、何とかしようと思ってね…」 吉羅は苦笑いを浮かべると、更に香穂子を抱き締めた。 「あんなにも強引な方法を取ってしまったんだよ…。もう待つのは限界だと思うぐらいに、君が欲しかったし、君を愛していたんだよ」 吉羅の告白が、胸にズンと染み渡ってくる。 こんなにも息苦しくて甘い感情は他にないのではないかと思った。 「…嬉しかったんです…。私…。あなたと婚約したことが…。ずっとずっと思ってきたあなただったから…。あなたしか好きになったことはないんじゃないかって思うぐらいに、あなたが好きでしたから…」 香穂子は瞳に涙をいっぱい貯めると、吉羅を見つめる。 「私が婚約したのは、頭取の娘との縁談を嫌ってや、吉羅家を継がなければならないからではないよ。純粋に君が好きだからだ。君を愛しているからだ…」 吉羅に愛を語られて、香穂子は本当にもう何もいらないと思わずにはいられない。 「…私もあなたを愛しています…」 香穂子が嬉し泣きをしながら顔をクシャクシャにさせると、吉羅は涙を拭ってくれる。 そのまま香穂子を抱き上げると、ベッドへと連れていった。 愛し合っていると解ってからの愛の行為は本当に素晴らしいと香穂子は思う。 吉羅と肌を重ねて、うっとりとした時間を過ごした。 ふたりはベッドの中でしっかりと抱き合いながら、時間を共有する。 「頭取のお嬢さんとの縁談も、今の時代はきちんと断ることが出来るし、名家の娘を妻に娶って相続するなんてことも、うちにはもうないよ。母も名家の出身ではないしね」 吉羅は甘く笑うと、香穂子を抱き寄せた。 「香穂子、付き合ってはいないといつも言っていたが、本当は君を特別なつもりでいつも扱っていたんだよ…」 「…有り難うございます…」 香穂子は吉羅に抱き締められ、最高の幸せを感じる。 このままいつまでも漂っていたいと思っていた。 結納は、ふたりの希望で、吉羅家で行われた。 ふたりの思い出が沢山詰まった場所だからだ。 香穂子は振り袖を着て、吉羅のために精一杯の美しさを演出する。 「本当に嬉しいですね。ふたりが一緒になれば、次はお子さんですね。お世話をするのが本当に楽しみなんですよ」 家政婦長は、吉羅の母親にしみじみと言っている。 勿論、吉羅の母親も同じ気持ちだ。 「本当にふたりの子どもを見たいものですわ」 吉羅の母親に言われて、香穂子はほんのりと頬を赤らめる。 そうなれば良いと思わずにはいられない。 「香穂子、早目に子どもを見せなければならないようだね。あの調子だと」 「そうですね」 香穂子もそうなれば良いと思わずにはいられなかった。 結婚式の準備をバタバタと済ませて、いよいよ本番の日。 香穂子は吉羅のために、純白のドレスを身に着けた。 吉羅とふたりで共に歩むことを、香穂子はとても嬉しく思う。 こんなにも嬉しいことはない。 式の直前、吉羅は香穂子の控室にやってきた。 「香穂子、素晴らしく綺麗だ…」 「有り難うございます。ものすごく嬉しいです」 香穂子は笑顔で答えると、吉羅は抱き締めてきた。 「式の前に花婿は花嫁のところに来てはいけないんですよ?」 香穂子がくすくすと笑いながら言うと、吉羅はほんのりと苦笑いする。 「どうしても綺麗な君に逢いたかったからね。しょうがないと思ってくれないかね?」 吉羅は更に香穂子を抱き寄せて、うっとりとするようなまなざしを向けてきた。 そのまなざしがくすぐったくて嬉しい。 香穂子がほんのりと笑うと、吉羅もまた笑った。 「さてと行こうか。私の花嫁さん?」 「はい。行きましょう」 香穂子が微笑むと、吉羅もまたしっかりとその手を握り締めてくれる。 ふたりで新しい道を歩いて行くのだ。 かけがえのない未来を目指して。 |