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吉羅は、今直ぐでも、夫婦としてやり直したいと強く思っていた。 このまま仮面夫婦ではいたくない。 愛しているのだから、そんな不毛な状態ではいたくなかった。 吉羅は、香穂子をじっと見つめる。 香穂子と離れてから、他の女性とも付き合ってはみたが駄目だった。 香穂子以外の女性を、熱烈に愛することなんて、出来なかった。 香穂子以上に自分を熱くさせる女性も、またいなかったのだ。 吉羅は、香穂子を見つめながら、今すぐにでも抱き締めたい衝動に駆られた。 幸せで何処か胸が痛い感覚だ。 「吉羅さん…、あの…、まだあきちゃんは私がいないと…」 香穂子はまるで自分自身を守っているかのように言う。 香穂子は怖いのだろう。 恐らくは。 ならば、そうさせないようにするしかない。 誤解から生ずる怖さを、少しずつ取り除いてやらなければならないと、吉羅は思った。 「また、あの頃と同じように生活をするんだ」 吉羅がピシャリと言ったが、香穂子は曖昧に俯いただけだった。 吉羅は不安になる。 香穂子には他に好きな男がいるというのだろうか。 そんなことは認められない。 認めるなんてことは出来ない。 「私と君は夫婦だ。あるべき姿に戻るだけだ」 「法的にはそうかもしれませんが、既に私たちの結婚生活は破綻しているのではないですか…?」 香穂子の言葉に吉羅は唇を歪めた。 「私はそうは思っていない。これからいくらでも私たちはやり直すことが出来るのではないかね」 吉羅はそう出来ると強く信じながら言った。 香穂子とふたりならきっと出来ると信じて疑わない。 本当にそう思っているから当然だ。 吉羅は、切なく信じていた。 懐かしい部屋に荷物を置いて、香穂子は溜め息を吐いた。 懐かしいと思ってしまう。 吉羅の元に何度も戻りたいと思いながらも、そう出来なくて切ない想いをした。 悔しいがここにいるほうが落ち着くと、香穂子は内心思ってしまう。 香穂子は息子の様子を見に行った。 すると吉羅と楽しそうに遊んでいる。 直ぐに打ち解けるところをみると、やはり親子なのだと香穂子は思った。 複雑な気分だ。 吉羅とはずっと離れていたというのに、息子は本能で父親であることが解っている。 香穂子はそれが切なかった。 「ママっ!」 香穂子がじっとこちらを見ているのに気が付いて、息子は駆け寄ってくる。 しっかりと小さな温もりを抱き留めてやった。 「あきちゃん」 「しゅごく楽ちい」 息子は香穂子に甘えながらもにっこりと笑っている。 本当に嬉しそうな微笑みだった。 香穂子は思わず微笑んでしまう。 「あきちゃん」 「ママ、しゅごくしゅごく楽ちいよ。あのおじちゃ、誰っ」 「おじちゃんじゃないよ。君のお父さんだ」 吉羅は一瞬頬を引きつらせる。 “おじちゃん”と呼ばれたことが余程堪えるらしい。 実の息子だからそれはしょうがない。 息子は香穂子を不思議そうに見つめる。 「ママ、とーしゃん?」 「お父さんだよ、暁史」 「じーちゃん?」 息子は不思議そうに目をくるくるとさせている。 父親という存在が不思議でならないようだ。 吉羅は苦笑いを浮かべながら、息子を抱き上げる。 「…お父さんというのは、お母さん…ママと共に君の親だということだよ。おじいちゃんは、ママのお父さんで、おばあちゃんはママのお母さんなんだよ。ママにもお父さんとお母さんがいるように、君にもお父さんとお母さんがいる。君のママが君のお母さん、君のお父さんは私なんだよ」 「……?」 解っているようないないような表情をする。それが可愛いといえば、可愛いのだが。 「今日から君のお父さんもお母さんもちゃんとそろっている。今日からここが君の家だ。お父さんとお母さんがそろって一緒にいるんだよ」 「あい…」 神妙にしながらも、暁史は結局のところはどうなのかが解らないのだろう。 「…もっとあしょぶ」 「そうだね、もっと遊ぼうか」 「あいっ」 暁史はすっかり吉羅を気に入ってしまい、声を上げて笑っていた。 それが香穂子には痛い事実だった。 同時にほんの少しだけ嬉しかった。 食事は子供も大丈夫なレストランで取った。 暁史はかなり嬉しかったらしく、何度もスプーンを揺らすほどに喜んでいた。 暁史が食事の時に、こんなにも興奮するなんて久し振りだと思う。 やはり父親とは一緒にいるほうが良いのだろうと、香穂子は思った。 レストランから帰り、暁史をお風呂に入れて寝かせる。 眠っている時は本当に天使だと思わずにはいられなかった。 香穂子が見ていると、不意に背後に気配を感じる。 官能的な気配。 「可愛いね…天使みたいだ」 「…吉羅さん…。今日は久しぶりに沢山遊んだから、眠たかったみたいです。今夜はよく眠りそうですね」 「そうだね」 「この調子だと、夜中は起きそうにないね」 「そうですね」 朝までぐっすりと眠ってくれるだろう。そんな寝顔だ。 「では、そろそろ行こうか。君が眠たくないのであれば、少し話をしたいからね」 吉羅と話をするなんて、そのような危険なことは出来ない。 だが、しなければならないのは解っている。 「…緊張しなくても良い。私たちは夫婦なのだから」 吉羅に言葉を返せない。 確かに今でも戸籍上は夫婦だ。 そして子供の両親であることに変わりはない。 「緊張するような話はしない。他愛ない話でもしようか…」 「…それなら…」 本当に他愛のない話ならば構わない。 だがそれ以上の話はヘビーだ。 ふたりはダイニングテーブルに着いて、かつてと同じように向かい合った。 以前ならば、ふたりは甘い雰囲気で見つめ合いながら幸せな気分で話をしていた。 だが、今は違う。 一度離婚を前提に話をしたのだから、あの頃とは状況が違っている。 「…君に先ずはきちんとお礼を言わなければならないね。暁史のことについては感謝しているよ。有り難う。あんなに素直に育っている。これからは私もきちんと協力をするよ」 吉羅の誠実な言葉に、香穂子は泣きそうになる。だが、まだ蟠りがあるのは確かだった。 「…有り難うございます…。そうおっしゃってくれたことは、本当に嬉しく思います。あきちゃんは本当に良い子ですから…」 「それは君がきちんと育てていることにほかならないのではないかね?」 吉羅の優しいまなざしに香穂子は微笑む。そう言ってくれるのが、とても嬉しかった。 「またこうして暮らしていくことが出来るのがとても嬉しく思うよ」 「そうですね」 吉羅が愛してくれているのであれば、笑顔で返事が出来るというのに。それが出来ないのがかなり辛い。 「香穂子、私は、暁史を一人っ子にする気はないから、そのつもりで」 「…忘れられましたか…? 私は子供が出来難い躰なんですよ?」 「それは間違だったんじゃないのかね? 君はそれを証明してみせた。あの時、私がもう少し冷静であったなら、セカンドオピニオンを受けることだって出来ただろうね。それは悔やまれる…。だけど、私が怒ったのは別の理由だったから…、冷静であることは難しかったかもしれないがね」 吉羅は懐かしそうにだが少し胸を痛めるように呟いた。 「…別の理由…?」 「…私は、君に隠し事をされたから…、怒ったんだよ…」 吉羅の言葉は、香穂子の心に鋭く突き刺さってきた。 胸が痛い。 ただ吉羅を見ることしか出来なかった。 |