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まさに夢見た瞬間だ。 吉羅にプロポーズされている。 婚約者のふりをすることから始まった出会い。 一方的に愛してしまったのではないかと思っていた切ない日々。 それらが総て光の粒となって香穂子に降り注いだ。 吉羅は、改めてジュエリーボックスを取り出すと、そこから指環を取り出す。 「…君を迎えにはいけないと言った時に、ウェディングプランナーと一緒に選んだものだ。これが本当のエンゲージリングだね」 あの時だと、香穂子は思った。 車から吉羅と女性を見掛けたあの日だ。 あの時は、まさか香穂子のためのエンゲージリングを選んでいるとは、思ってもみなかった。 吉羅は、大切な儀式とばかりに、丁寧に指環を左手薬指に滑らせていく。 「…有り難うございます…。あのリングで良かったんですよ」 「いや…。あれを渡すわけにはいかないよ。エンゲージリングとしてはね。君にあのリングを渡した時は、本気だったんだよ。君を偽者ではなく本物の婚約者だと思ってリングを送った」 「…だったらあれで良かったんです…。私も…本物のリングとして、受け取ったんですから…」 香穂子は、エンゲージリングを見つめながら、フッと微笑む。 「…大切にします…。ずっと…」 「ああ」 吉羅は香穂子の手を握り締めると、その手にキスをしてくれた。 「…香穂子、ここを出ないか? 私は君に飢えているからね。こんなところでグズグズしてはいられないほどに、飢えているんだよ…」 吉羅の艶やかなまなざしを向けられたら、香穂子もまた愛するひとが欲しくてたまらなくなる。 「暁彦さん、私もあなたを抱き締めたいです」 香穂子がはにかんだ笑みを浮かべると、吉羅もまたこころごと包み込んでくれるような笑みを浮かべた。 「では、私たちの利害は一致したようだね。出ようか」 「はい」 ふたりはテーブル席から立ち上がると、手を繋いで店を出る。 この店に来た時は、こんなにも幸せな時間がくるとは思わなかった。 幸せ過ぎる時間に、香穂子は何度も吉羅に微笑みかけた。 吉羅の車で、吉羅の自宅へと向かう。 この車に乗って、こんなに幸せなのは初めてではなかろうか。 香穂子はうっとりとした幸せに酔い痴れながら、吉羅に寄り添うようにして車に揺られていた。 一瞬、気持ちが悪くなったことがあったが、それはただの車酔いだと思っていた。 吉羅の家に入るなり、ふたりは抱き合って情熱的なキスを交わす。 こんなに熱いキスは初めてかもしれない。 お互いに離れていた時間を埋めるように、何度もキスを交わす。 キスをしてもキスをしても、本当に足りない。 こんなにも熱いキスをしても、完全に吉羅をチャージすることなんて出来なかった。 息遣いが激しくなるほどのキスを交わした後で、吉羅は香穂子を強く抱きすくめる。 「…君が欲しい…」 「私も…暁彦さんが凄く欲しい…」 お互いにくぐもった声に、欲望の強さが感じられる。 ふたりは微笑みあうと、そのまま力強く抱きあって、フローリングの上で激しく愛し合った。 フローリングで愛し合った後も、ベッドで再び愛し合う。 シャワーをようやく浴びる余裕になった後も、飢えを凌ぐように愛し合った。 ようやくふたりは落ち着いて、ベッドで静かに抱き合う。 「済まなかったね。かなり無理をさせてしまったようだ」 「大丈夫です。私は物凄く暁彦さんが欲しかったんですから。欲しくて欲しくてしょうがなかったんですよ」 香穂子が真っ赤になりながら正直に告白をすると、吉羅もまた頷く。 「私も同感だよ」 吉羅は香穂子の華奢な背中をそっと撫で付けてくれた。 「…先ほどフローリングの上で君を愛してしまったが、大丈夫だったかね? 気遣う余裕がなくて申し訳ないと思っているよ」 「大丈夫ですよ。私も背中の痛みなんて感じないぐらいに夢中だったから…」 「…だったら良いのだがね…」 吉羅は香穂子を強く抱き締めると、もう二度と離さないとばかりに躰を密着させてくる。 「…もう二度と、私の前から姿を消したりはしないでくれ…。切なくて堪らなくなる…。君がいなくなってから、仕事にも没頭出来なかった…。今夜は賭けだったんだよ。自分の気持ちに素直になることで、君の気持ちが戻るかどうかの…」 吉羅は香穂子の唇にキスをすると、その瞳を覗き込んだ。 「…私は…もう二度とあんな想いをしたくはないんだ…。君を失いたくはないんだ…。だから、君も覚悟したまえ。私は何があっても君を離さないから」 吉羅の甘くて力強い言葉に、香穂子は嬉しさの余りに涙がこぼれ落ちた。 「私も絶対に離れませんから…。これだけは、絶対に引きません」 「香穂子…」 吉羅は香穂子の顔にキスの雨を降らせて、甘い甘いプレゼントをくれた。 吉羅を抱き締め、抱き締められていると、不意に気分が悪くなる。 今までの疲れが出てしまったのか、気分が悪くてしょうがない。 香穂子が不意に顔色を悪くしたのに気付いたのか、吉羅は心配そうに顔を覗き込んできた。 「香穂子、大丈夫かね…!?」 「大丈夫…ではないみたいです…。洗面所に行きますね…っ」 香穂子は、自分が裸であることも構わずに、慌てて洗面所へと向かう。 本当に相当気持ちが悪い。 お手洗いで吐くと、洗面所で口を洗った。 「大丈夫か!?」 吉羅は、香穂子の躰にバスローブを掛けてくれると、一生懸命背中を撫で付けてくれた。 「…もう…平気です…。急に胃がムカムカしただけですから…」 「…香穂子」 香穂子はバスローブをきちんと着ると、吉羅に笑みを向ける。 「顔色が少し悪い…」 吉羅は、香穂子を抱き上げると、ベッドへと連れ帰ってくれた。 「…今夜は流石に、ネグリジェがいるね」 吉羅はそう言いながら、リネン入れから香穂子のネグリジェを取り出してくれた。 「有り難うございます」 香穂子はそれに袖を通すと、ホッとしたように横になった。 「…急に気持ちが悪くなって…。でも、もう平気です…何だかおなかが空いて来てしまったぐらいですから」 本当におかしな体調だと思いながら、香穂子は苦笑いをする。 「お腹が空いたのかね?」 「はい。だけど明日食べます」 香穂子がにっこりと笑うと、吉羅はじっと見つめてくる。 「…香穂子、…ちゃんと生理は来ているのか?」 吉羅にストレートに言われて、香穂子はハッとする。 吉羅への想いの切なさが苦しくて、何もかも身に入らなかったのだ。 「…そういえば…ない…です…」 「やっぱりね。子どもが出来ているかもしれないね…。君と私の…」 「暁彦さん…」 吉羅はフッと微笑むと、香穂子のお腹を優しく撫でてくれる。 「…私は…、君が欲しくて堪らなくて、君を守ることなく抱いてしまったんだよ…。それほどまでに君を愛していたんだよ…」 「暁彦さん…」 赤ちゃんが出来ていたら、これほど嬉しいことはない。 愛するひとの子ども。愛し合った愛の証。 これ以上のものはない。 「…だったらとても嬉しいです…。私…」 「もっと強い絆が生まれるはずだ。これからもふたりで歩いて行こう」 「はい…」 ふたりは抱き合って、お互いの想いを確かめるように見つめ合った。 ふたりで病院に行った結果、香穂子は身籠もっていた。その時の吉羅の喜びようはかなりのものだ。 嘘から始まった恋が真実になり、更に深まっていく。 子どもを得て、更に強い絆を深めて、ふたりは前を向いて歩き出した。 |