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愛し合った後、ふたりはベッドのなかでしっかりと抱き締め合う。 「嬉しいです…」 「私もとても嬉しいよ。…君という生涯のパートナーを得て、こんなにも幸せなことはない…」 吉羅は香穂子を腕のなかに閉じ込めると、もう二度と離さないとばかりに、力を込めてくる。 「暁彦さん…。私も…あなたとこうなれて嬉しいです…」 「これからもずっと一緒にいよう。君とならば、どんなことでも乗り越えていけるだろうから」 「私もそう思っています…」 こうして吉羅としっかりと抱き合って、お互いの存在や愛情を確かめ合うことは、究極に幸せなことなのではないかと思う。 「…香穂子、これからも宜しく頼む」 「私こそ宜しくお願いします」 ふたりは顔を見合わせて微笑むと、再びキスを交わして愛を確かめあう。 こんなにも熱くて貴い愛はないのではないかと思う。 「…愛している…」 「わたしも愛しています…」 ふたりで愛し合えば、どんな愁いも幸せ色に染まる。 香穂子は幸せを感じながら、吉羅をしっかりと抱き締めていた。 翌朝、気怠い幸せな気分で、ホテルのテラスで食事をしている時だった。 吉羅の携帯電話が鳴り響き、直ぐさま発信者を確認して出る。 「…吉羅です。おはようございます。…え? 入院された? 解りました。直ぐに参ります。はい、病院は、解りました。直ぐにふたりで参ります」 吉羅の会話を聞いている間、香穂子は背筋に冷たいものが流れ出すのを感じる。 こんなにも不安で苦しい感情に襲われるのは久し振りだ。 「…香穂子、夫人が入院されたそうだ。直ぐに病院に向かおう」 「はい。解りました」 言いながらも脚の震えが止まらない。 切なくて苦しい余りに、香穂子は思わず吉羅の顔を見上げた。 「…大丈夫だから。心配はするな」 「はい。解りました」 香穂子は静かに頷くと、吉羅に支えられるようにして立ち上がった。 「行こう。大丈夫だから」 「…はい」 吉羅は、香穂子を慰めるように優しく言うと、額にキスをくれる。 吉羅は、香穂子の手を握り締めると、そのまま部屋へと連れていってくれた。 直ぐにチェックアウトの手続きをして、ふたりは病院へと向かう。 香穂子が震えているのに気付いたからか、吉羅は時折手を握り締めてくれた。 病院に着くと、直ぐにふたりは教えられた病室に直行する。 特別室と呼ばれる個室だった。 病室に入ると、意外なまでに元気な夫人に、ふたりはホッとすると同時に驚いてしまう。 「…あ、あの、大丈夫ですか…?」 香穂子が声を詰まらせながら言うと、夫人はにっこりと微笑んだ。 「大丈夫ですよ。まだまだ元気ですから。そんなにも心配しなくて良いんですよ。香穂子ちゃんは本当にナイーブで優しい子ですね…」 夫人に抱き締められて、背中を何度も撫でられる。 その柔らかな優しさに、香穂子はまた涙を滲ませていた。 「…これからお母さんになるんですから、そんなにも泣き虫では、赤ちゃんに笑われますよ、香穂子ちゃん。あなたは暁彦くんの可愛い赤ちゃんを産んで、これから育てていくんですからね…」 「…はい、はい…」 洟を啜りながら頷くと、夫人は柔らかく微笑む。 「香穂子ちゃん、元気な赤ちゃんを産んで、私に見せに来て下さいね。あなたたちの赤ちゃんだから、どちらに似ても可愛いでしょうからね」 「…はい、必ず見せに来ます…」 香穂子が泣きながらも精一杯微笑むと、夫人はゆっくりと頷いてくれた。 「有り難う…。楽しみにしているわね。あなたの赤ちゃんのお出かけ服は是非編ませてね。レースで頑張って作るから」 「はい、有り難うございます。着せたところをお見せしますね」 「…ええ。有り難う…」 夫人は疲れた様子だったので、香穂子はそっと離れる。 「少し休みますね」 「はい」 香穂子は夫人の背中に手を置くと、そっと気遣うように寝かせてあげた。 「有り難う、香穂子ちゃん…」 「…はい」 香穂子は声を震わせると、洟を啜りながらそっと頷いた。 「ふたりとも有り難う。また見舞いに来てくれたら嬉しいよ」 「はい。必ず参ります」 香穂子が力強く言うと、主人も約束だとばかりに頷いてくれた。 吉羅とふたりで軽井沢を後にする。 こんなにも胸が痛い旅路は他にないのではないかと思う。 「香穂子、この子が無事産まれたら、また、ここに来よう」 「…はい。暁彦さん…」 香穂子が頷くと、吉羅は頭ごと抱き締めてくれた。 夫人の病状は一進一退で、安定期に入った七か月のところで、ふたりは夫人の見舞いに行った。 その時はかなり元気そうで、香穂子はホッとした。 そこで渡されたのは、レースで編まれた赤ん坊のお出かけ服一式。ケープ、帽子、靴下、可愛いワンピース型の服。 綺麗に編まれていて、香穂子と吉羅は感心と感激のなかで受け取った。 この服を着せて子どもと共に逢いにいく。 ふたりはそれをこころから楽しみにしていた。 そして。 月日は流れて、香穂子は無事に男の子を出産した。 可愛いレースの一揃えを着せて、夫妻に逢いに行く。 だが、ふたりのまなざしは決して明るいものではなかった。 夫人が持って後数日っいう知らせを受けたのだ。 せめて子供を見て貰いたい。 夫人の手作り服を着た息子を。 香穂子は子どもの様子を見ながら、祈るような気持ちで軽井沢へと向かった。 病院に到着すると、ふたりは直ぐに病室へと向かう。 夫人の躰には多くの医療器具が付けられており、痛々しかった。 子どもは吉羅が抱いて、そっとベッドに近付く。 「…もう…殆ど反応しないんだよ…」 震える主人の声を聞きながら、香穂子は命の重さや残酷さを考える。人間、産まれたら必ず死に向かって歩かなければならない。 それを避けることが出来る人間は、誰ひとりとしていやしない。 生と死。 対比するようでいて、本当は同じものなのかもしれない。 産まれたばかりの我が子と、死の床に付いている恩人を対比して見つめながら、香穂子は苦しくて辛くて堪らなくなった。 だが同時に何処か神秘的な気分にもなる。 「…暁彦です。来ましたよ、香穂子と息子と三人で…」 吉羅がそっと話し掛けると、夫人の瞳が一瞬、透明に輝き、赤ん坊を捕らえる。 震える手が、柔らかな子どもの頬へと伸ばされていく。 吉羅は息子を近付けて触れられるようにする。 命の対面。 夫人が息子に触れた瞬間に、一瞬、苦しそうにしていた表情に笑みが滲んだ。 その姿はまるで命のリレーが行なわれたようだった。 役割を終えようとしている夫人の命が、産まれたばかりの息子に、役割をバトンタッチしている。 その姿は、神々しくすらある。 煌めく余りに、深く見つめずにはいられない。 「…有り難う…」 小さな声が聞こえた後、夫人の手から力が抜ける。 今、命が今引き継がれた。 夫人の葬儀が終わり、吉羅たちは横浜へと戻る。 命のリレーについて考える。 夫人から引き継いだ命を大切に育てていかなければならないと、香穂子は思う。 大切な子供と共に引き継いだ命を大切にしよう。そしていつか誰かにこの命が引き継がれるように。 「…命のリレーって本当にあるんだね。命をリレーすることが、本当は無限の命なんだね…」 香穂子が愁いを秘めた声で言うと、吉羅もまた頷く。 「そうだね…。私もそう思うよ。私たちは命を引き継いでそれを育てていくんだ。これこそが永遠の命なんだろうな」 「…はい」 ふたりは顔を見合わせると頷きあう。 これこそが命の本質だと思いながら。 |