*色づく秋恋*

前編


 秋が熟す時を迎えた時だった。
 愛しい人と過ごすひとときの幸せを吉羅は噛み締めながら、とっておきの計画を口にする。
「香穂子、今度の連休に温泉でも行かないか? 久し振りに二日連続の休みが取れてね、君とゆっくりしようと思ってね」
「良いんですかっ!? 凄く嬉しいですっ! だって暁彦さんと一緒に旅行が出来るなんて、こんなに嬉しいことはないですよっ!」
 香穂子が本当に嬉しそうに笑い、子供のように無邪気に喜ぶのが嬉しくて、吉羅の唇にも笑みが浮かぶ。
 普段は冷静沈着な理事長。冷酷な投資家。そんなイメージを持たれがちの吉羅ではあるが、プライベートでは、とにかく恋人には甘い。
 甘いと言っても、ベタベタと甘やかせているわけではなく、素直で明るい恋人のために、とっておきのプレゼントをたまに用意してやるという感じだ。
 元々、恋人の香穂子は我が儘を言うタイプではなく、吉羅の忙しさをきちんと理解してくれている。
 だからこそのご褒美だ。
 だがそれは香穂子へのご褒美と言うよりは、その喜ぶ笑顔こそが、吉羅自身へのご褒美と言えた。
 理事長として厳しく香穂子に接することはあるが、それをきちんと受け止めて切磋琢磨してくれるからこそ、とっておきの甘えのチャンスをあげるのだ。
「温泉、凄く楽しみです! お肌とかつるつるになるでしょう? それにゆっくり出来るし、暁彦さんとずっと一緒にいられるし…」
 香穂子は素直に喜びながら、吉羅の肩に頭を凭せ掛けた。
「紅葉が綺麗なシーズンだからね。富士山と紅葉が見える宿があるんだ。そこは部屋ごとに露天風呂があるから、気兼なく入れるしね」
「それは楽しみっ!」
 手を叩いて喜んだところで、香穂子はぴたりと止まってしまった。
「あ、あの、そ、それって、一緒に入るとか…考えていませんよ…ね?」
 香穂子が耳たぶまで真っ赤にさせながら、上目遣いで吉羅を見ている。
「ああ、そうだね。そこまでは考えてはいなかったよ」
 墓穴を掘ってしまったとばかりに焦る香穂子を尻目に、吉羅は官能的な笑みを浮かべる。
「誰も見てはいないから、ふたりで入っても平気だろう? たまには、ね?」
「あ、あのっ!」
 もう何度となく肌を重ねているというのに、ぎこちなさが残る香穂子が愛しくてしょうがない。
 吉羅は香穂子を腕のなかに閉じ込めると、背中を宥めるように撫でた。
「楽しみにしているよ。きっと君と過ごしたら、とても愉快な時間を過ごせるだろうからね」
「…はい」
 いつまで経ってもはにかむ香穂子が愛しくてしょうがなかった。

 温泉旅行の当日、吉羅は車で香穂子の家まで迎えに来てくれた。
 いつもよりも長いドライブに少しだけ緊張してしまう。
 甘い感覚に翻弄されてしまいそうだ。
「お待たせしたね」
 吉羅はいつものように助手席側を開けてくれると、香穂子は期待と緊張のなかで乗り込んだ。
「有り難うございます」
「今日のドライブはいつもよりも少し長めだからね」
「はい。それが嬉しいんです。私、暁彦さんが運転する姿を見るのが大好きだから」
 香穂子は素直にいつも思っていることを言うと、吉羅を見た。
 助手席を座るのが大好きだ。
 吉羅が運転する姿をじっと観察することが出来るのだから。
「ここは私の特等席なんです。誰にも譲れないですけどね」
 香穂子が幸せなふわふわとした気分で言うと、吉羅はスッと目を細めて笑う。
「そんなに沢山嬉しいことを言って貰えると、後で沢山のサービスをしたくなるね」
 ちらりと意味深に艶やかな瞳で見つめられて、香穂子の躰は甘く潤んだ。
「沢山美味しいものを期待していますっ!」
 わざと意味を取り違えて香穂子は言うと、吉羅は目線で僅かに官能的なラインを描く。
 視線だけで愛撫されているような気分になり、香穂子ははにかんで俯くことしか出来なかった。

 爽快なドライブを楽しみながら、途中、幾つかサービスエリアに立ち寄る。こういうスポットを香穂子が大好きだからだ。
 香穂子の好みに合わせてしまうのは、それだけ彼女を愛しくて堪らないと思っているからだ。
付き合い始めて一年半、男女の関係になってからは半年を少し過ぎたぐらい。
 時間が経てば経つほど、抱けば抱くほどに、香穂子への愛情は深まっていっている。
 絶対に離さないし、離したくない相手だからこそ、吉羅は柄に無く甘やかせてしまう。
 今まで付き合った女を甘やかせたことなんてなかった。甘やかせなくて済む相手を選んでいたから。
 ごく自然に香穂子と手を繋ぎ、サービスエリアの店を見て回る。
 こうしてしっかりとお互いを離さないとばかりに手を握り合うのも、吉羅には初めてのことだった。
 今まで付き合った女たちは、みんな、腕を絡ませることはしても、手を繋ぎたがらなかった。
 吉羅自身も汗で熱くなるのは嫌だったし、相手もそのように思っていたようだった。
 しかし、香穂子と付き合うようになって手を繋ぐようになってからというもの、これこそが恋人たちの素晴らしいスキンシップだと気がついた。
 香穂子の温もりをずっと感じているのが、嬉しかった。
 手を繋ぐのは、とっておきの相手にしか出来ないことも、吉羅は初めて知ったのだ。
 香穂子は手をしっかり繋ぎながら、吉羅を何度も嬉しそうに見つめてくる。
 こんなに幸せなこと、こんなにも嬉しいということを、表情で沢山伝えてくれたのも、香穂子が初めてだった。
「暁彦さん、巨峰アイスクリームがありますよっ! 私、買いますね!」
 香穂子は吉羅を引っ張るように歩くと、巨峰アイスクリームを買いに行く。
「下さい、ひとつ」
 香穂子は吉羅と手を繋いだままでアイスクリームを買い求め、幸せな顔をして食べ始める。
 その表情を見ているだけで、美味しい甘さを感じた。
「巨峰とミルクの味が濃厚でとっても美味しいですよ!」
 香穂子が惜し気もなく巨峰アイスクリームを差し出すものだから、吉羅は微苦笑する。
「私は甘いものは苦手だからね。だけど車に戻ってから貰おうかな」
「はい」
 車に戻り、シートに着くと、吉羅は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、香穂子を抱き寄せ、触れるだけのキスを送る。
 突然の甘いキスに、香穂子は目を丸くさせた。
「…あ、あの…」
「ご馳走さま。私が好きな甘いものは君だけだよ」
 吉羅が悪びれることなく言うと、香穂子は照れる余りに頭の天辺から湯気を出していた。

 車は目的地である温泉に、真っ直ぐ向かう。
「暁彦さん! 凄いですよ! 紅葉がキラキラしています!」
 香穂子は半ば興奮しながら、紅葉のトンネルを見つめる。
 これ程までに見事な秋の風景を見せつけられると、やはりヴァイオリンを弾きたくなる。
 見事なまでの風景に、香穂子の感性は刺激された。
 吉羅の車は、有名高級旅館の駐車場に停車し、香穂子の期待を高まらせてくれる。
「ここは富士山を見ながら紅葉を楽しめる露天風呂が自慢らしい。私たちが泊まる部屋は、個別に露天 風呂がついているから、何時でもゆっくりと入れるよ」
「楽しみです!」
 吉羅がチェックインの手続きをしてくれた後、ふたりで部屋に案内される。かなりの高級な旅館であるのは、雰囲気を見れば解った。
 ふたりが案内されたのは、最高級の部屋。
 香穂子は部屋に入るなり、思わず探検してしまう。
 窓からは富士山が眺められる和室に、その奥には大きな畳ベッドがある寝室、その障子戸の向こうには露天風呂があった。
「うわあ!」
 雪を抱いた富士山は、香穂子がいつも見ている小さなものではなく、それは見事で言葉に出来ないほどに美しい。
湖に写る富士山と紅葉のコントラストに、香穂子はしばしば言葉を失ってしまう。
「…凄く…綺麗です…」
「だったら早速入ったらどうかね。私は仕事の電話を幾つかしないといけないから、その間はゆっくりすると良い」
「じゃあ、遠慮なく…」
 香穂子は頷くと、寝室のドアを閉めて、早速、露天風呂に入ることにした。
 寝室の奥にも部屋風呂があったが、敢えて明るいうちにお風呂を楽しみたかった。
 お湯につかると、しっとりとしていて日頃の疲れが抜ける。
 ご機嫌に鼻歌を歌いながら香穂子は温泉を楽しむ。
 吉羅が入ってくるのにも気付かずに。



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