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四月馬鹿。 今日は他愛ない可愛い嘘なら吐いて構わない日。 小さな頃は、わくわくしたイベントだったけれども、いつの間にか楽しむことをしなくなってしまった。 こんな日に大好きなひとと久し振りの会食。 いつものように美味しいご飯に連れて行って貰って、いつものようにドライブをしておしまい。 きっとそう。 あのひとには他愛ない罪なき嘘は通じない。 あのひとには大きな嘘も通じない。 総てを見透かしてしまうような瞳には、嘘を吐くことが出来ないのだから。 あのひとにはエイプリルフールが似合わない。 だけど、ロマンティックな嘘は吐いて欲しいと思う。 今日はエイプリルフールなのだから。 嘘でも構わないから、いつもは言ってはくれない台詞を言って欲しい。 綺麗だって。 可愛いって。 あの低くて落ち着いたよく響く声で、言って欲しい。 これは希望的観測。 ほんとうにそう言ってくれたら、嘘でも嬉しいのに。 春らしいデザインのサックスブルーのワンピースを着て、薄く化粧をする。 シャドーは、姉から借りた淡い春色。ルージュは、自分で初めて買ったピンク色の華やいだもの。 髪はアップにして裾だけを柔らかく鏝で巻いた。ここまでお洒落をした後、姉に誕生日プレゼントに買って貰った誕生石のあしらわれたリングをつける。 ヴァイオリニストだから、余りリングは着けないが、たまにはという気分でリングを着けてみた。 バッグを持って、吉羅との待ち合わせ場所である教会前へと向かった。 歩いているとほんとうに気持ちが良くて、背伸びをうんとしたくなる。 その心地好さに、香穂子は笑みを零した。視界には麗しき桜が、花びらを陽射に通して輝かせている。 桜色の宝石のように美しくて、香穂子はうっとりと見上げながら歩いた。 散歩には良いシーズンだ。 “さくらさくら”をヴァイオリンで奏でてみたいと思った。 教会までたどり着くと、程なくして吉羅の車のクラクションが聞こえる。 よく響く音に、香穂子は微笑みながら待ち構える。 吉羅はぴったりと香穂子の前に車を停めると、いつものようにわざわざ車から降りて、助手席のドアを開けてくれた。 「お待たせしたね」 「いつもお迎え有り難うございます」 吉羅はフッといつものように笑うと、香穂子をエスコートしてくれる。 何時も通りにスマートな対応に微笑みながら、何処か切ない気分になる。 きっとどの女性にもそつない対応をしているのだろう。 香穂子はほんの少しだけ胸が痛むのを感じた。 「桜が満開だね。花見には良いシーズンだ」 「そうですね。とても綺麗です」 香穂子がにっこりと笑うと、吉羅は静かに頷いてくれる。 「今日は鎌倉に行こうと思っているんだよ。とても綺麗に桜が咲き誇っているからね。桜をゆっくりと静かに見ることが出来る和食レストランがあるから、そこに行こう」 「はい。有り難うございます。鎌倉のような古都の桜は風情がありますから、嬉しいです。京都の桜中継とかを見ると、いつも行きたいなあって、思うんですよ」 吉羅と行くのであれば、本当は何処でも構わない。 吉羅がいれば、どんな風景でも美しく見えるから。 「そうだね。京都の桜は別格だからね。確かにあれには圧巻される。奈良の桜もとても美しいから、古都と桜の組み合わせは相性が良いんだろうね」 吉羅は思い出すように言いながら、鎌倉方面へと車を走らせた。 「吉羅さんは、桜のシーズンに京都や奈良に行かれたことはあるんですか? 羨ましいです」 「非常に綺麗だったね。丁度、関西は七分咲きぐらいにはなっているんじゃないかね」 「いつか桜のシーズンに合わせて行ってみたいです」 香穂子はうっとりとしながら、溜め息を吐く。 願わくば。 吉羅とその桜を見られたら良いのにと、思わずにはいられなかった。 車は静かに鎌倉の趣のある古民家に停まる。 庭には見事な桜で、香穂子は圧巻される。 「ここは美味しい和懐石料理を食べさせてくれるんだ。デザートに出る和菓子と抹茶もなかなかなものだよ」 「楽しみです。本当に!」 香穂子は明るく言うと、車から出ようとして躓いてしまう。 「…足下には充分気をつけたまえ」 「あ、有り難うございます…」 吉羅に上手く抱き留められて香穂子はドキドキしてしまう。 ほんのりと薫る大人の男の深みを表すようなコロンの香りに、香穂子はくらくらしてしまう。 鼓動がおかしくなってしまう。 落ち着かない分、足下がおぼつかなくなった。 香穂子がふらふらと歩いているのを見て、吉羅は苦笑いを浮かべる。 「日野君、そんな状態で歩いて大丈夫なのかね?」 「大丈夫です…」 呆れ返られている顔を見られたくなくて、香穂子が俯いていると、吉羅はいきなり腰を抱いてきた。 「え!?」 戸惑っていると、吉羅はクールに視線を落としてくる。 「何か気になることがあるのかね」 「い、いいえ。そ、その…」 香穂子が戸惑っているのを楽しんでいるかのように吉羅が口角を上げると、そのまま古民家へと向かった。 古民家の主人とは知り合いのようで、女将からも歓迎を受ける。 「暁彦君! 久し振りね! 本当に! あなたが女性を連れて来るのは本当に初めてよね!」 女将の声に、香穂子は驚いたように吉羅を見つめる。 吉羅はただ香穂子を見ただけだった。 離れに通され、縁側に広がる庭の見事さに、香穂子は圧巻される。 「…凄く綺麗です! 桜が満開で! あ、夏に来てもきっと綺麗ですよ! 四季が楽しめる庭ですよ! ここでヴァイオリンを弾けたら、本当に楽しくてロマンティックですね」 「…ヴァイオリンを持って来ているんだろう? 弾かないのかね?」 「弾いても構わないんですか!?」 こんな庭をステージに出来るなんて最高だ。香穂子は思わず春の陽射のような笑みを零した。 香穂子は裸足のままで中庭に降り立つと、ヴァイオリンを奏でる。 こんなにもご機嫌なステージは他にないように思う。 桜吹雪と柔らかな陽光。 最高のスポットライトだ。 香穂子はこの庭に一番相応しいであろう“さくらさくら”を奏で始めた。 香穂子が“さくらさくら”を奏でた後、吉羅と先ほどの女将が拍手をしてくれた。 「本当にお上手でとても良かったですよ! 綺麗なあなたにはぴったりの曲ですね」 女将が絶賛してくれるのが嬉しい。 だが、吉羅は拍手をくれたもののその顔に笑みはなかった。 「暁彦君がこちらに連れて来たのも判るわ。本当に綺麗で類いまれな方ですね」 「有り難うございます」 女将が微笑みながら頷くと、食事の準備をしてくれた。 「日野君、早く来たまえ」 「はい」 香穂子は縁側に上がると、いそいそと正座をした。 女将が行ってしまった後で、吉羅は溜め息を吐いた。 きっと裸足でヴァイオリンを弾いたことを呆れているのだろう。 そう思うと少しだけ切なかった。 「…すみませんでした」 「何が?」 「裸足でヴァイオリンを弾いてしまって」 「構わない。そんなことを気にしているわけじゃない」 吉羅の意外な言葉に、香穂子は驚いたように見つめる。 「吉羅さん…、じゃあどうして怒ったような顔をされているんですか?」 香穂子が唇を噛み締めると、吉羅はスッと指を伸ばして頬に触れる。 「君がどうしてこんなにも綺麗なのかと思ってね…」 吉羅の言葉に香穂子は更に驚いてしまう。 「…エイプリルフールだからじゃないですよね…」 香穂子の言葉に、吉羅は苦笑いを浮かべた。 |