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「…そうか。今日は“エイプリルフール”だったか…。…忘れていたな」 吉羅は甘い声で呟くと、香穂子を見つめる。 「ヴァイオリンを奏でる君が、嘘みたいに綺麗だった。ただ、それだけだ…。だからエイプリルフールなのかもしれないね…。私は君の美しさに、惑わされたといったところか…」 吉羅はフッと自嘲気味に笑うと、香穂子を見た。その艶のある瞳に、香穂子は捕らえられて動けなくなる。 「…さて、折角の料理が冷めてしまうよ。食べようか」 「はい」 吉羅が箸を持ったので、香穂子も箸を手に取る。 目で見るととても綺麗で美味しそうに見えた。 「美味しそうですね。頂きます」 香穂子は手を合わせると、料理に箸をつけ始めた。 「あ! 美味しい!」 「ここは知るひとぞ知る隠れ家的な店だからね。とても美味しく食事も出来る上に、目でも楽しめるからね」 「有り難うございます。こんな素敵な場所に連れてきて下さって、とても嬉しいですよ」 香穂子は遠慮なく食べる。 吉羅はその様子を楽しそうに見てくれていたのが、嬉しかった。 次の料理が運ばれてきて、香穂子は本当に幸せな気分で食事をすることが出来た。 「本当に幸せです。エイプリルフールだから、嘘のようだと言いたいぐらいですよ」 「そうだね…」 料理の仕上げに抹茶と品が良い和菓子が運ばれてくる。 香穂子はそれをよろこんで食べた。本当に幸せな気分になれるのが嬉しい。 「…日野君、今日はこれから時間はあるかね?」 「ありますよ」 「明日は?」 「はい、大丈夫です。春休みですから」 香穂子が言うと、吉羅は頷いた。 「だったら、もう少しだけ足を伸ばして、桜を見に行かないかね? ドライブがてらに」 「それはとっても嬉しいです」 「だったら食事が終わったら行こうか」 吉羅はそう言うと、和菓子を品良く口に含んだ。 食事が終わり、ふたりは再び車に乗り込む。 「どこに行くんですか?」 「そんなに遠くはないけれどね」 吉羅は優雅に言いながらも車を走らせて、東名高速に乗せる。 「静岡あたりまで行くんですか!?」 確かに静岡はとても美しい桜を見るには良い場所だ。 「まあそんなには時間はかからないよ。ゆっくりとドライブを楽しみたまえ」 「はい」 確かに吉羅の運転は、香穂子にとっては相当心地が良い。 吉羅が運転している姿を見るのも嬉しい。 「少し休憩しようか。ここから眺める富士山は格別だと聞いているからね」 「はい」 吉羅は車をドライブインにいれると、助手席のドアを開けてくれた。 「飲み物でも買って行こう」 「はい、有り難うございます。あ、あんなところに美味しそうなアイスクリームがありますよ!」 「じゃあ、それも買おうか」 香穂子の無邪気過ぎるリクエストに応えるように、吉羅はアイスクリームを買ってくれた。 暫く春の富士山の優しい風景を堪能した後で、再び吉羅は車に乗り込んだ。 この富士山を見ただけでも、香穂子にとっては非常に有意義なものだった。 吉羅は再び高速に戻ると、車をひたすら西へと進めていく。 静岡をかなり西よりに来ると、香穂子は吉羅を見つめた。 「吉羅さん、どちらに行くんですか?」 「最高のさくらを君に見せたいんだよ。後少しで着くから頑張ってくれたまえ」 「はい」 吉羅は何処に行くのか、香穂子は益々わくわくしてくるのを感じていた。 東名高速を抜けて、名神高速に入ってくる。ここまで来ると、香穂子はハッと気が付く。 「吉羅さん、ひょっとして京都に向かっていますか!?」 「…さあね。今日はエイプリルフールだから、黙っておくことにしようか」 「意地悪ですね」 香穂子が拗ねるように言うと、吉羅は悪魔のように魅力的な笑みを浮かべた。 昼過ぎに鎌倉を出たが、やはり京都までのロングドライブとなると、日もどっぷりと暮れてくるのが判る。 「もう少しだ。流石に日も暮れてきたね。京都の桜は幻想的でとても綺麗だからね、そこで君のヴァイオリンを聴きたいと思ったんだよ」 「…はい。私も弾いてみたいって思います」 「君の音色がとてもあっているだろうと、私は思っているからね」 吉羅はようやく高速を下りると、京都市内へと車を走らせる。 「幻想的な風景に逢えるから楽しみにしていたまえ」 「はい」 吉羅は東山に車を走らせて、一件の重厚な趣がある旅館の前に車を停めた。 「これはようこそお越しやす。お久しぶりどすね」 柔らかな都言葉のアクセントに、香穂子の顔も綻ぶ。 「ではこちらの離れをご用意してます。料理も直ぐに運びますから、ごゆるりとほっこりして下さいねぇ」 「有り難うございます」 吉羅とふたりで、無垢板の廊下を踏み締めながら、香穂子は鼓動を激しくさせる。 こんなにも鼓動を激しくさせたのは初めてかもしれない。 部屋に通されて、吉羅は香穂子を静かな大人の男性らしいまなざしを向ける。 「…君次第だ。今夜はここに泊まり午前中だけ京都観光をして帰るか、今から1時間だけここにいて夜通し 車を走らせて帰るか…。私はどちらでも構わない。要は君次第だ…」 香穂子は選択を迫られて、心臓を大きく撥ねあげさせる。 吉羅の瞳を見つめていると、喉がからからになる。 京都に行くとは思ってもみなかったから、驚かされぱなしだ。 本当に吉羅には騙されてしまった。 「…これは…、吉羅さん流の“エイプリルフール”ですか?」 「…そうだね…。私なりに一生懸命頑張ったつもりだがね」 吉羅はニヤリと笑うと、香穂子を見つめる。 「どちらかね?」 「…あ、あの…」 覚悟はいる。 だが答えなんて決まっているのだ。 「…吉羅さん…私…、今夜はここで過ごしたいです…」 「有り難う」 吉羅は低い声で言うと、香穂子を力強く抱き締めてくれた。 「…菜美にアリバイを頼みます…。後、家に連絡をします」 香穂子は携帯電話を手に取ると、直ぐに天羽宛てに掛ける。 天羽は快諾してくれるのと同時に、香穂子に「頑張って」と友達らしいエールを送ってくれた。 その後に緊張しながら家に電話を掛ける。とはいえ、香穂子の家は、門限や外泊に厳しい家というわけではない。きちんと連絡をすれば、それをよく解ってくれる。 家に電話を掛け終わりホッとした後、麗しい京懐石を食べることにした。 「見ているだけでものすごく綺麗だから、食べるのが勿体ないですね」 「…そうだね。だが、味はなかなかだと思うけれどね」 「はい」 障子の向こうが開かれ、こちらの中庭にも見事な桜が咲き誇っている。 ライトアップがされており、まさに幽玄な雰囲気を味あわせてくれる。 香穂子はしばしば食べるのを忘れて、桜を魅入っていた。 「日野君、折角の料理が冷めるよ」 「はい」 香穂子は、上品な味がする懐石料理に舌鼓をうちながら、桜にこころを奪われていた。 デザートまで食べたところで、吉羅が香穂子を見つめてくる。 「日野君、ヴァイオリンを中庭で弾かないかね?」 「あ、有り難うございます! 是非、弾かせて頂きます」 昼間鎌倉で弾いた時とはまた趣が違う雰囲気が味わえそうだ。 香穂子は裸足で中庭に下りると、ヴァイオリンを構えた。 “さくら”という名のポップスを2曲弾くことにする。 この桜にはぴったりだと思えたからだ。 香穂子はヴァイオリンに集中し、2曲を幻想的に弾く。 ヴァイオリンを弾き終わった瞬間、吉羅に抱き寄せられた。 |