*ホリディ・シーズン*

後編


 吉羅にこんなにも熱いまなざしで見つめられて、香穂子は動けなくなっていた。

 胸が幸せで満たされてゆく。

「…まあ、まあだね。点灯式には相応しいだろう…」

 吉羅はいつものようにクールに呟くが、香穂子は解っている。

 それは吉羅流の褒め言葉だということは。

「…では、点灯式はそれで出席してくれたまえ。後は君のヴァイオリン次第だが…」

 さり気なくヴァイオリニストの香穂子に、プレッシャーをかけてくる。

 それが吉羅らしいと言えばそうなのだが。

「では本番はこれで行くことにしよう。着替えたまえ」

「はい」

 香穂子はドレスを脱ぐのを名残惜しいとすら思いながらも、フィッティングルームへと向かった。

 いつものワンピースに着替えた後、吉羅の待つロビーに行くと、ひとり、夕暮れの華やいだ喧騒がロマンスを呼ぶ銀座の街を見つめていた。

 何かを考えているようで、本当は何も考えていないような気がした。

 吉羅暁彦の世界にただひとりでいるように見える。

「お待たせしました」

「…ああ」

 香穂子がそばに来たことに気付いていなかったのか、吉羅は一瞬、怯んでいた。

「…吉羅理事長?」

「ああ、済まなかったね。食事に行こうか」

「はい」

 吉羅はさり気なく香穂子の手を取って店を出る。

 一歩、銀座の街に繰り出すと、本当にロマンティックな気分に浸ることが出来る。

 まるで映画の中に入り込んだようだ。

 ロマンティックな夜が始まり、香穂子は更に良い曲を奏でることが出来るような気がした。

 

 いよいよ点灯式だ。

 点灯式を担当するヴァイオリニストは、有名なソリストになれるというジンクスがある。

 それを壊すことがないように、香穂子は頑張るしかないと思う。

 楽屋に用意された部屋で、吉羅が用意してくれた、純白のドレスに着替える。

 余りに清楚で綺麗なドレスだから、ときめくのと同時に、緊張すらしてしまう。

 息が出来ないぐらいに甘い気分だ。

 クリスマスはとても厳かなものであると同時に、清らかで、ロマンティックなイメージがあるから、それを感じて貰うには、今のようにときめきながら演奏をするのが一番良いのかもしれない。

 香穂子はそんなことを思いながら、いつもよりはしっかりとメイクをして、美しくなれるようにする。

 理事長のためにもロマンティックな点灯式を成功させたかった。

 今日はそのような気持ちを誰にでも持って貰えるようにと、香穂子は選曲も気遣った。

 アヴェ・マリアや、クリスマス・ソング、カノン、ジョイ、もろびとこぞりて、きよしこの夜、ハッピークリスマス、ホワイト・クリスマス、オー・ホーリーナイト…。

 様々な曲を演奏するつもりだ。

 香穂子が準備を終えて、クリスマスツリーの前に向かうと、既に多くの人々がやってきていた。

 学院卒業生の親子連れや、中にはロマンティックを求めた恋人同士もいる。

 ここにいる総ての人々が素敵な気分に浸れるようにと、香穂子は精一杯の演奏をすることにした。

 演奏までの間は、ドレスを着た上にコートを着ている。

「日野君」

 理事長である吉羅に声を掛けられて、香穂子は振り返る。

 相変わらず隙のないスーツ姿だ。

 それがずっと憧れで、ロマンティックな大人の男性の象徴だと思い続けた。

 今もそれは変わらない。

「皆さんに楽しんで頂けるように頑張って演奏をします」

「ああ、頼んだよ。君なら充分に出来る筈だからね」

「有り難うございます」

 吉羅は僅かに優しい笑みを浮かべてくれる。

 それがどれほどまでの力を香穂子に与えることを、きっと本人は知らないだろう。

「そろそろだね」

「はい」

 香穂子は点灯式コンサートに向けてスタンバイをする。

 神父も呼んだ本格的な点灯式なのだ。

 それが始まる。

 香穂子は厳かな式典に背筋を伸ばして参加をした。

 今までならば、完全に楽しむ側に入っていたのだが、今回はより引き締まった気分で参加が出来た。

 神父による厳かで引き締まるミサの後、理事長の吉羅、校長と学長、学院の生徒代表が、ツリーの点灯ボタンのスイッチを押す。

 すると、点灯式実行委員会が苦心をして準備をしたクリスマスツリーに、華やかでロマンティックなイルミネーションが点灯される。

 夜空に浮かぶクリスマスツリーは素晴らし過ぎて、香穂子はついうっとりと見つめてしまう。

 だが、いつまでもうっとりとしてはいられないのだ。

 香穂子には、演奏が待ち構えている。

 香穂子は深呼吸をすると、ツリーの下に立って演奏を始めた。

 ここにいる総ての人達が楽しい気分に浸れるように。

 香穂子はそれだけを思ってヴァイオリンを奏でる。

 心が澄み渡る気分だ。

 香穂子はヴァイオリンの音色に温かな愛情を込めて弾いた。

 演奏が終わり、ようやく我にかえる。

 すると、点灯式に参加をしてくれていた誰もが、香穂子の演奏に大いなる拍手をしてくれていた。

 少し誇らしげな気分になった。

 それだけ認められたと思うだけで、香穂子は嬉しくて、笑顔で深々とお辞儀をする。

「お姉ちゃん!」

 小さな男の子の声が聞こえ、香穂子は頭を上げて、視線を下に向けた。

「お姉ちゃん、音楽の妖精さんみたいでとっても綺麗! ヴァイオリンもお上手だよ!」

 男の子の言葉が嬉しくて、香穂子はつい笑顔になった。

「有り難う。嬉しいよ」

「お姉ちゃん」

「なあに?」

「僕のお嫁さんになってよ!」

 いきなり小さな男の子にプロポーズをされて、香穂子は一瞬、驚いてしまう。

 だが余りにも可愛くて、つい笑みを零した。

「有り難う」

「この子ったら、お姉さんが余りに綺麗だから」

 母親がしょうがないとばかりに苦笑いしながら言う。

「お姉ちゃん、お姉ちゃんをお迎えに行くからねー」

「有り難う」

 男の子は何度も香穂子に手を振ってくれる。

 それが嬉しくてしょうがなかった。

「…新たなライバルが登場だな」

 苦笑いを含んだ大人の声に香穂子が振り返ると、そこには吉羅がいた。

「理事長」

「点灯式も無事に終わった。有り難う」

「こちらこそ、有り難うございます」

「神父様に挨拶をした後、出かけようか。着替えなくて良い。六本木のうちに向かうから」

「はい、理事長」

 吉羅は頷くと、神父に挨拶にいく。

 香穂子ままた挨拶をして、温かな時間を過ごした。

 

 点灯式の片付けも済ませて、吉羅の車に乗り込む前に、香穂子はクリスマスツリーの前に立つ。

 本当に美しいツリーだ。

 ついうっとりと見つめてしまう。

LEDを使っているから、エコで事故の心配もないから安心だ」

「随分現実的ですね。理事長は」

「そうかね」

「そうですよ」 

 吉羅は苦笑いを滲ませると、香穂子をそっと抱き寄せる。

「だが、君が音楽の妖精に見えるのは、現実的ではないかと思うがね」

 吉羅は珍しくロマンティックなことを囁いてくれると、甘く唇を重ねてくれる。

 大好きなひとのキスをこうして受けることが出来るなんて、なんてロマンティックで素敵な点灯式なのだろうか。

「さっきの男の子には申し訳がないが、君を妻に出来るのは私だけだからね…。あの子は随分と遅れてきたということかな」

 吉羅は甘く囁くと、香穂子を更にしっかりと抱き寄せると、もう一度キスをしてきた。

「知っているかね? 点灯式でキスをした男女は結ばれることを…。だから私たちは結ばれる…」

「はい」

 点灯式キスが見せてくれる未来は、香穂子にとってはとてつもなく幸せだった。



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