後編
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香穂子は朝からそわそわしてしまい、全く落ち着くことが出来なかった。 吉羅によく思われたい。 ただそれだけに意識を集中させる。 吉羅に綺麗だと思って貰いたくて、香穂子はおしゃれに集中することにした。 いつもよりは丁寧に化粧をし、髪は丁寧に巻く。そして、春色のワンピースに身を包んだ。 いつもよりも何度も鏡を見て、姿を確認する。 それぐらいにしても足りないぐらいの、大切なデートだから。 吉羅と一緒に歩いても、バランスが取れるように。それだけに気遣った。 吉羅はセレブリティでスマートが似合う男だから、香穂子はかなり慎重になる。 昔から、吉羅と釣り合うように見て貰いたい。それが、香穂子の願いだった。 背伸びをしているところもあるかもしれない。 だが、誰よりも吉羅と釣り合いたかった。 どんな美女にも負けないように。 吉羅との待ち合わせ場所である、学院の理事長室へと向かう。 待ち合わせ前に、大学のパウダールームで、念入りに化粧を直した。 吉羅の前では綺麗でいたい。 それが香穂子の願いだった。 理事長室の前に立つと、ゆきは緊張の余りカチカチになる。 吉羅とは、お付き合いをしてもうずいぶんとなるのに、まるで初めてデートをするような気持ちになる。 初々しいときめきを、ずっと忘れないでいられるのが、香穂子には貴重だった。 香穂子は理事長室のドアをノックする。 「理事長、日野です」 「入りたまえ」 吉羅は、香穂子が高校生だった頃と全く変わらずに、答えてくる。 香穂子もつい、高校生に戻ったような気分になった。 理事長室に入ると、吉羅は仕事を終えて、帰る支度をしているところだった。 「さあ、行こうか。香穂子」 「はい、暁彦さん」 さりげなく手を繋いで、エスコートされる。 こうして手を握り締めて貰えるのが嬉しくて、香穂子はついにんまりと微笑んだ。 「今日は、銀座に向かおう」 「はい」 銀座。 懐かしい。 吉羅と過ごした二度目のホワイトデイは、銀座だった。 キャンディフラワーと、バタフライのとても美しいかんざしを贈って貰った。 そして今日も、香穂子はそれを身に付けている。 吉羅はそれに気づいてくれる。 「君は随分と懐かしいものを身に付けているね」 「気付かれましたか?嬉しいです」 「ああ。とても懐かしいね」 吉羅は、フッと甘く笑うと、香穂子の髪を柔らかく撫で付けてくれた。 吉羅に髪を撫でられるだけで、心が身体が甘く震える。 香穂子は、あの時のキャンディフラワーよりも、甘いと感じた。 吉羅の車に乗って銀座へと向かう。 とっておきのホワイトデイのデートが始まる。 横浜から東京へのドライブは、とても好きだ。 景色も好きだが、この瞬間は、吉羅に相応しい女性になれたような気分になれるからだ。 「暁彦さん、今日は有り難うございます。色々と心を配って頂いて」 「礼を言うのは、まだ早いよ」 吉羅はフッと蜜のように甘い笑みを浮かべる。 走る先に、どのような甘くて素敵なサプライズが待っているのだろうか。 香穂子は楽しみで、楽しみでしょうがなかった。 吉羅は、洗練と味の良さで有名なレストランにエスコートしてくれた。 この空間は、最早、非日常で、夢や映画の世界に足を踏み入れたような気分にさせてくれる。 ヒロインにでもなった気分だ。 吉羅と一緒にいるだけで、最上級の気分になれる。 食事はフルコースで、味も美味しい。 吉羅と音楽の話や色々な話をしていると、とても楽しかった。 吉羅と一緒だからこそ、食事も美味しく感じるのだ。 こうしているだけで、ほわほわとした幸せに浸ることが出来た。 「ずっと連絡もろくにしなくて申し訳なかったね」 「暁彦さんがこの時期に忙しいのは、当然だと思っていますから、気になさらないで下さい」 香穂子が笑顔で言うと、吉羅は複雑な表情を浮かべた。 「君と連絡出来なかったことが、寂しかったけれどね」 吉羅に寂しそうに言われると、胸がきゅんとして高まる。 甘酸っぱい気持ちになった。 「私も寂しかったです。だけど、暁彦さんに直ぐに会えるのは分かっていましたから、我慢が出来ました」 「君は本当に可愛いことばかりを言うね」 吉羅はフッとデザートよりも甘い笑みを浮かべた。 「今日はホワイトデイだからね。君にプレゼントを持ってきたよ」 「私もですよ」 お互いに微笑みあうと、ふたりは互いに見つめあった。 「君からどうぞ。レディファーストだ」 「はい」 香穂子は、吉羅のために選んだ、ビターチョコレートと珈琲を手渡す。 「また、珈琲を淹れに行きますね。その時にビターチョコレートも一緒に召し上がって下さい」 「有り難う」 吉羅は嬉しそうに微笑むと、香穂子からのプレゼントを幸せそうに受け取ってくれた。 「毎日でも君に珈琲を淹れて貰いたいと、私は思うけれどね」 「暁彦さん……」 吉羅は、いつも以上に真摯で誠実な眼差しを見つめてきた。 真っ直ぐ見つめられて、香穂子は縫い止められる。 吉羅は香穂子の手を取ると、強く握り締める。それがとても強くて、香穂子は思わず吉羅の目を見た。 「暁彦さん?」 「毎日、私のそばにいて、珈琲を淹れて貰えないかな」 「……それは……」 吉羅が重要なことを言ってくれているのは、分かる。鼓動が激しくなり、香穂子はどうして良いかが分からない。 「香穂子、結婚してくれないか? 私からのホワイトデイプレゼントは、エンゲージリングだ」 香穂子は息を飲む。 付き合ってけっこう経つから、プロポーズを期待していなかったわけではない。 だが、こんなにも突然だとは、思ってもみなかった。 吉羅は香穂子の左手を取ると、その手にそっと指環をはめてくれる。 しっかりと指環を填められて、香穂子は嬉しさに、涙を滲ませた。 「……はい」 「有り難う」 吉羅はホッとしたように香穂子を見つめると、更に手を強く握り締めた。 「君を幸せにする」 「毎日でも、珈琲を淹れて、暁彦さんを幸せにします」 「有り難う」 香穂子は微笑みながら、吉羅に頷いてみせた。 しあわせな、しあわせな、日。 最良のホワイトデイ。 きれいなハッピーエンド。 だが、おとぎ話の始まりはこれから。 |