夕焼けが美しい。 胸に切なくも綺麗な感情を抱かせる色だ。 姉が好きだった色だ。 車が臨海公園に差し掛かる。 つい美しいシルエットを探してしまう。 香穂子がヴァイオリンの練習をしているのではないだろうかと、そのことをつい考えてしまう。 視線で香穂子を捜すと、見慣れたシルエットを見つけた。 今日も夕方までヴァイオリンの練習をしているのだろう。 吉羅は車から降りると、大きなストライドで真っ直ぐ香穂子に向かって歩いていく。 すると驚いたように、香穂子が顔を上げた。 「…吉羅理事長…」 「練習か…。せいが出るね」 「練習をしっかりしないとみんなに置いてけぼりにされてしまいますから」 香穂子の笑顔を見れば、素直にヴァイオリンを愛していることが解る。その笑顔に、吉羅は心から癒された。 「そうか…。だが、余り無理はしないように」 「はいっ」 ヴァイオリンに対してはいつもひたむきだ。 本当に真っ直ぐで、愛らしいと思う。 ヴァイオリンのように愛されたら…。 吉羅は一瞬ではあるが、そう思った。 香穂子にここまで真っ直ぐ愛されたら、こんなにも素敵なことはないというのに。 「…日野君、よかったら送っていこう」 「有り難うございます。今日は素直にお受けします」 香穂子は可愛いらしい笑顔で茶目っ気たっぷりに言うと、吉羅を見上げた。 「よく頑張っているからね。ご褒美だ」 吉羅は甘い笑みを浮かべると、香穂子を真直ぐ見つめる。 香穂子を見ているだけで、つい笑顔になった。 「車はそこに停めてあるから、乗りたまえ」 「はい」 香穂子はヴァイオリンを片付けて、吉羅の後を着いていく。 いつか、ふたりで肩を並べて歩く日が来るのだろうか。 そうなればこんなに素敵なことはないのにと、吉羅は思わずにはいられない。 「どうぞ」 「有り難うございます」 吉羅は香穂子の為に、エスコートをするようにドアを開ける。 香穂子はほんのりと嬉しそうに笑う。それだけでも吉羅は嬉しくなった。 香穂子を乗せて車をゆっくりと出す。 「綺麗な夕陽ですね。港がとても綺麗です。こうしてドライブをするのも良いですね。ベイブリッジが凄く綺麗です」 香穂子はうっとりと横浜のベイエリアの様子を見つめている。 その横顔がとても綺麗過ぎて、吉羅はもっともっと見つめたくなる。 「日野君、時間はあるかね?」 「…ありますけれど…」 「だったらドライブがてら夕食に付き合わないかね?」 吉羅がさり気なく提案をすると、香穂子は嬉しそうに笑った。 「有り難うございます。嬉しいです」 「とても美味しいイタリアンの店があってね、そこに行こう」 香穂子は本当に機嫌が良さそうに笑う。その笑みに、吉羅はかなり癒される。 いつもの少し反発したりする表情も可愛くはあるが、やはり香穂子は笑顔が可愛くてしょうがないと吉羅は思った。 「あ! みなとみらい! あっちはベイブリッジ! 毎日、見慣れているはずなんですが、こうして見ると、本当に幸せな気分になりますね…」 香穂子は、まるで海の風景に恋をしているようだ。 吉羅にとっては、それがほんのりと苦しくて切ない。 もっと自分を見てくれたら良いのにと思わずにはいられない。 これがエゴであることぐらいは解っている。 香穂子のことが愛しい余りに、このように考えてしまう自分がいることに、苦笑いすらした。 香穂子は吉羅を見つめると、にっこりと笑う。 「有り難うございます。私、理事長とドライブするのが大好きです」 香穂子は何気ない雰囲気で屈託なく言った。 そのような可愛いことばかりを言われてしまうと、香穂子をもっとドライブに連れ出してしまいたくなった。 香穂子が気に入ってくれるようにと、吉羅は魚介がとても美味しいイタリアンレストランへと車を走らせる。 香穂子をもっと喜ばせたかった。 暫く車を走らせた後、駐車場へと車を入れる。 吉羅が先に車から降りドアを開けると、香穂子はすこしばかり戸惑ってしまったようだった。 「…あ、あの…。こちらは高級レストランではありませんか…? 私の今日のスタイルだと、入れないんじゃ…」 確かに今日の香穂子はカジュアルで可愛いスタイルをしている。 花柄のふわりとしたチュニックにレギンスという、今時のスタイルだ。 髪も簡単に結い上げている。 「ここはカジュアルイタリアンだからね。ドレスコードはないから、安心したまえ」 「はい」 ホッとしたのか、香穂子はいつものように元気いっぱいの笑顔になる。 その笑顔を見ながら、吉羅はフッと微笑む。 吉羅が笑ったものだから、香穂子は少しだけ憤慨するような表情をした、 「おとなしいスタイルの君も可愛いと思っただけだよ…」 吉羅が素直にストレートに言ったものだから、香穂子はほんのりと恥ずかしそうな笑みを浮かべる。 「では行こうか」 「はい」 香穂子はホッとしたように笑みを浮かべると、吉羅に頭を下げた。 香穂子と一緒に食事をする。 それだけでも最高に幸せな気分になる。 香穂子と一緒にいれば、それだけでパラダイスがやってきたような気分になった。 イタリアンコースを注文し、ふたりで食事をする。 「本当に美味しいです! このパスタも、メインのお魚料理も!」 香穂子が心から喜んでくれている。 それだけで吉羅は癒された気分になる。 香穂子がそばにいるだけで、こんなにも幸せなのかと、感じずにはいられなかった。 「それは良かった。君にはもっと頑張って貰わなければならないからね」 吉羅はクールさを装って、香穂子に言う。 香穂子は頷くと、勝ち気なまなざしを吉羅に見せた。 それは吉羅への挑戦というよりは、前向きに頑張るという決意が現れていた。 「理事長、私、頑張ります。ヴァイオリンが好きだから頑張れるんです」 香穂子のひたむきな想いに、吉羅は姉を思い出した。 かつて香穂子と同じように、ヴァイオリンにだけ真っ直ぐ情熱を傾けていた姉を。 いつか香穂子が本気で恋をした時に、かなりの情熱を傾けてくるに違いない。その相手に自分がなれたらと、吉羅は思わずにはいられなかった。 食事を終えた後、切ない想いが胸に滲んで来る。 解っている。 香穂子と離れたくはないのだ。 これ以上切なくて心を乱す感情は他にはないのだろうと、香穂子は思った。 香穂子も同じ想いなのだろうか。 切なげに溜め息を吐いている。 同じ想いであれば、こんなに嬉しいことはないのに。 今はそれを確かめることは出来ない。 「行こうか」 「…そうですね…」 吉羅の一声に、香穂子は名残惜しそうに立ち上がった。 車に乗り込み、横浜方面へと走らせる。 「今日は有り難うございます。本当に美味しくて、楽しかったです。明日からまた頑張ります」 「それは良かった。君にはしっかりと頑張って貰わなければならないからね」 吉羅はわざとビジネスライクに言う。 本当は、吉羅こそ沢山のやる気を貰い、ストレスが発散出来たというのに、それを香穂子に伝えるのが照れ臭くて、上手く言えなかった。 「君といると、様々なことが監察出来て悪くない。また誘おう」 素直に逢いたいから、楽しいからとは言えないのは、お互いを縛る枷のせいだ。 「はい。また、お願いします」 香穂子が屈託のない笑みを浮かべると、吉羅もまた頷く。 素直になれるまではもう少し待たなければならない。 |