*過去への扉*

12


 吉羅に車で学院まで送って貰う。
 最寄りの駅の少し手前で降ろして貰うとしたが、試験休みであることや、今はセキュリティの関係で学院の中に入ることが出来なかったことを思い出して、結局は、送って貰うことにした。
 吉羅とは駐車場の前で別れる。
「有り難うございました。では、リリに逢いに行きますね」
「ああ」
 香穂子は、車から降りて吉羅を見る。
「もし、このまま帰ることになっても大丈夫なようにご挨拶をしておきますね」
 このまま現代に戻ってもしかたがない。
 香穂子は、吉羅にきちんと大好きであることを伝えられたことを嬉しく思いながらも、泣きたくなるような惜別に駆られる。
「有り難うございました。本当に吉羅理事長に、きちんと伝えられて嬉しかったです」
 香穂子は最後は笑顔で吉羅とはお別れをしたかったから、涙は見せなかった。
 それしか出来ない。
 香穂子はもう一度頭を下げると、リリがいる像の前に向かった。
「リリ、リリ、いるんでしょ?」
 声を掛けてはみたものの、全く反応がない。仕方がなく、香穂子は森の広場に向かう事にした。
 森の広場の奥に行けば、何かが解るような気がした。
 慌てて走りたくはなかったから、香穂子はゆっくりと歩いていく。
 このまま帰ったら、運命は変わっているだろうか。
 それとも変わってはいないだろうか。
 それすらも解らない。
 吉羅との恋はもう終わってしまうのだろうかとさえ思ってしまう。
 森のかなり奥深くへとようやくたどり着き、香穂子は周りを見渡した。
 この時空に来た時と同じだ。
 香穂子は、もう一度リリを呼ぶことにした。
「リリ、リリ」
 名前を呼ぶと、リリが出てきてくれた。
「大人の日野香穂子…!」
「リリ、こんにちは」
 香穂子は笑顔で言うと、リリを見つめた。
「戻ろうと思っておるのか…?」
「うん。どうやって帰ることが出来るのか、リリなら知っていると思って」
「…確かに我輩は…確実だ…とは思うのだが…、多分…という意味で知っておる」
 煮え切らないリリの言葉に、香穂子は苦笑いをしてしまう。
「よく…解ったような…よく解らないような…」
 香穂子がリリを見ると、リリは誤魔化すように笑った。
「リリでも確信が持てないって…ことなのかな…?」
「そうなのだ」
 リリは腕を組んで思案している様子だった。
 眉間に刻まれた皺を見ていると、本当にそうなのだろうと思う。
「…我輩が解っているのは…、月の摩訶不思議な力によって…、…どうも…、この時空移動が起こっているようにしか思えないのだ。実際にお前が大昔に来た時は新月」
「…大昔って、理事長が高校生だった頃じゃない…。…あ、だけど…確かに大昔かも…しれないね…」
 香穂子にとってはだ。
「…今回もお前が来た日は新月だ…。…時空移動が起こった時…戻った夜は満月だと聴いておる。だからお前も満月の夜に帰れるということになるな…」
「満月の夜…。じゃあ…後、一週間ぐらいはあるってことだよね…」
「まあ、そういうことだな…」
 リリは少しだけ不安そうに呟いた。
「…そうか…」
 後少しだけだが、吉羅のそばにいられる。
 だが、戻ったところで、吉羅は笑顔で迎えてくれるだろうか。
「お? あれは吉羅暁彦ではないか?」
「…え?」
 香穂子が振り返ると、吉羅がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
 香穂子はその姿を見ているだけで、涙が出そうになった。
「…間に合った…!」
吉羅は香穂子を見るなり、その手を思い切り握り締めてきた。
「…このまま、君と別れたくはないと思った。二年後にまた逢えるが、このような形では終わらせたくはなかった」
 吉羅は少し息を乱したままで言うと、ストレートに香穂子を見た。
「…吉羅さん…」
 こんなまなざしで見つめられると、吉羅のことを余計に好きになってしまうではないか。
「…どうしたら…帰ることが出来るのか、解ったかね?」
「…満月の夜に…、帰れるらしいです…。リリにも訊きました」
「アルジェント?」
 吉羅の視界には、リリの姿は入っていなかった。
「いたのか、アルジェント」
「いたのかじゃないっ! ったく、我輩はお前の赤ん坊の頃から知っているのだっ!」
 リリはすっかりご立腹だが、香穂子はそれが可愛くてしょうがない。
「…後、少しだけ…吉羅さんにお世話になりますが、よろしいですか…?」
「勿論だ。君がそばにいてくれることは、とても嬉しい。満月…。後、一週間ほどだね…」
「…はい。お世話になります。有り難うございます」
「ああ」
 吉羅は香穂子の手をしっかりと繋いでくれると、そのまま森から出て行く。
「リリは良いんですか?」
「アルジェントは好きな場所に行くだろう。私の仕事が終わるまで、理事長室に一緒にいてくれないかね?」
「はい。有り難うございます」
 こうして手をしっかりと繋いでいるだけで、何と幸せなことだろうかと思う。
 理事長室に入ると、香穂子はソファに座って、吉羅の仕事を待つことにした。
「時折、ヴァイオリンを奏でてくれるかね…?」
「はい。喜んで」
 香穂子が笑顔で言うと、吉羅もまた笑顔を返してくれた。
 時おりヴァイオリンを弾きながら、香穂子は吉羅の様子を見る。
 吉羅がゆったりと仕事をしているのを見るだけで、幸せな気分になった。
 吉羅の仕事が一段落したところで、声を掛けてきてくれた。
「日野君、遅くなってしまったが、ランチに行こうか。少しばかり遅くなってしまったからね」
「はい、有り難うございます」
 吉羅とふたりでこうしてランチが取れるのが嬉しい。
 そう言えば、二年前の今頃、吉羅とはランチに行かなかった。
 これはひょっとすると、もうひとりの自分が一緒にいたからかもしれない。
 この頃から、吉羅には恋人がいると噂を聞き始めた。
 吉羅よりは年下の、20代半ばぐらいの雰囲気を持った女性だと聞いていた。
 それは自分なのだろうか。
 いや、そこまでは断定することは出来ない。
 香穂子がぐるぐると頭の中で色々と考えていると、不意に声を掛けられた。
「どうしたのかね?」
「…あ、あの…、吉羅さん、この頃の私のことを思い出していたんですよ。そういえば、この頃は吉羅さんと一緒に食事をすることがなかったなあって、そんなことを考えていたんです…。一時的なことでしたけれど…」
「…それは…満月までの一時的なこと…なのかもしれないね」
「そうですね」
 香穂子は頷きながら、ほんのりと胸が痛むのを感じた。
 吉羅と出掛けられないだけで、苦しくて堪らなかった自分のことを思い出して、そして切なくて重い感情を抱いている自分を思い出して。
 香穂子は胸が苦しくて堪らなかった。
「食べないのかね?」
「あ、いただきます」
 香穂子はランチを味わいながら、笑顔を作る。
 複雑な感情に押し潰されそうになっていた。

 ランチが終わり、吉羅の家に向かう。
 吉羅の家にいると不思議と落ち着くのだ。
「夕方の散歩を楽しまないかね?」
「是非、喜んで!」
 香穂子の言葉に、吉羅は笑みをくれた。
「夕方の夕涼みをするだけで、かなり気持ちが良いね。やはり人間は自然な風が一番だ」
「そうですね」
 吉羅と手をしっかりと繋いで、緑の多い場所でこうして吉羅と一緒に散歩をする。
 これこそオアシスだ。
「日野君」
「何ですか?」
 さり気なく吉羅に呼ばれて、香穂子は顔をあげた。
「…私はずっと君を待っていたんだよ…」
 吉羅の言葉に、香穂子は吉羅を見上げた。



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