後編
香穂子は波打ち際で波と戯れながら、歓声を上げる。 吉羅ならば、きっとこんな子供染みたことに、閉口するだろう。 あくまで落ち着いた大人の女性が好みだろうから。 だが、どう頑張ったとしても、これが香穂子なのだからしょうがないのだ。 背伸びをして、一生懸命似合わない大人のふりをしてもやがてボロが出るのだから。 ふらふらと波打ち際で遊んでいると、不意に足を取られてしまった。 「きゃっ!」 このまま間抜けにも砂だらけになるのだと覚悟をしていると、逞しい腕に軽々と抱き留められる。 甘く危険な香りがする吉羅の香りを間近に感じて、香穂子はドキドキしなた。 「…吉…羅…さん…」 「全く、君は、危なっかしいね。見ているこちらがヒヤヒヤしてしょうがないよ」 吉羅は香穂子を抱き留めたまま、呆れ返ったように呟く。 「…すみません…」 香穂子はしょんぼりとすると、吉羅から離れようとした。 「吉羅さん、…もう、大丈夫ですから…」 「大丈夫なようには、私にはとうてい見えないけれどね」 吉羅の腕が香穂子の華奢な躰に食い込んで、息が出来なくなった。 「…あっ…」 グッと吉羅の腕のなかで抱き寄せられる。その強さに、香穂子は酔い痴れてしまう。 「余り燥がないように。君は…。怪我をしてしまったらどうする気だね?」 吉羅の腕は香穂子を更に抱き締めて、動けないようにしてしまう。 心臓が激しく高鳴って、息も満足に出来ないというのに、何故だか幸せな気分になる。 「…おしおきが必要なのかもしれないね…」 吉羅の低い官能的な声が、香穂子の恋心を熱く刺激してくる。 息苦しくて、香穂子は何度も喘いだ。 鼻腔をくすぐる、スパイシーで濃密な吉羅のコロンは、とても似合っていて、余計に香穂子を呼吸困難に陥らせる。 息が途切れているのに、何だか甘く響いていた。 「…ごめんなさい…理事長…。おしおきって、何ですか?」 香穂子が息を熱くさせながら呟くと、吉羅はフッと瞳に艶色を浮かべる。 「無邪気で無自覚だね、君は。大人の男を無意識に誘惑している」 「ゆ、誘惑しているわけでは、な、ないですっ」 「充分しているよ…。君はね…」 まるで香穂子を愛撫するかのようなまなざしを向けてくると、吉羅は綺麗で大きな手で、香穂子の頬を捉える。 瞳が熱で潤み、哀しくもないのに涙が零れ落ちてきてしまいそうだ。 「…その瞳も…、私を狂わせるんだよ…」 吉羅の整った顔がゆっくりとアップになってくる。香穂子が息を呑もうとしたところで、唇を重ねられた。 甘いのに、濃密なワインのようなキス。 大人の男のものだと、香穂子は思わずにはいられなかった。 しっとりと唇を吸うように重ねられ、香穂子の唇を優しく味わう。 幸せな瞬間であるはずなのに、躰が気持ち良いと言って震えている。 息が出来ない程に唇を塞がれているというのに、もっとキスが欲しいと思ってしまう。 吉羅の舌が唇の輪郭をなぞってきた。 背筋がゾクりとして、腰から下が力を入れることが出来なくなっていた。 吉羅に抱き締められていなければ、上手く立てなかっただろう。 香穂子の唇が開かれると、吉羅は舌を入れ込んできた。 香穂子の舌を捕まえると、絡ませくる。 口角から唾液が流れ落ちるのを、吉羅は吸い上げてくれた。 キスは唇と唇を重ねるものだと、ずっと香穂子は思っていた。 よもやこんなにも濃密なものであったなんて、知るよしもない。 香穂子は頭のなかがグチャグチャになりながらも、ただ気持ちが良くて、もっと吉羅にキスをして欲しいという気持ちだけは、理解することが出来た。 唇を放された後、香穂子は呼吸を乱して、吉羅の腕のなかで、何度も深呼吸をした。 大人の男のキスが、こんなにも激しいだなんて、今まで知らなかった。 香穂子が息を整える間、吉羅はしっとりと抱き締めていてくれる。 その力強さに、香穂子は酔っ払いそうになった。 「…どうかしたのかね? おしおきはキツかったかね?」 いつもと変わらないクールな声が恨めしくて、香穂子は吉羅を見上げる。すると何処か楽しんでいるかのように、良くない笑みを浮かべていた。 これではまるでいじめっ子だと、香穂子は思う。 「…吉羅さんのバカ…」 香穂子が恨み節をぶつけると、吉羅は心外とばかりに眉を上げる。 「その割には、君もキスに応えていたようだが…」 大人の狡い笑顔に、香穂子は益々拗ねてしまう。このまま吉羅と一緒にいたら、本当にひねくれてしまい そうだ。 実際にひねくれていると思う。 「本当に狡いです…」 香穂子が切ないのに甘い気分で呟くと、吉羅はそっと抱き寄せてくれる。 香穂子はホッとしたように、吉羅の鍛えられた胸に顔を埋めた。 「…狡いのは君だとは思わないかね?」 胸ごしに吉羅の声が響き渡る。 「思いません」 「だって狡いだろ? 小悪魔よろしく、私を無邪気に誘惑してくるんだから…」 吉羅の一言に、香穂子は思わず顔を上げる。 「ゆ、誘惑なんてしてませ…んんっ…!」 再び唇を重ねられて、香穂子は反論出来なくされてしまう。 深いキスを二度に渡って受けて、香穂子はとろとろに蕩けてしまいそうになった。 吉羅に支えて貰わなければ、立っていられないほどになる。 香穂子は躰を支えるため、そして吉羅の優しい温もりを得るために、筋肉質で無駄のない躰に抱き付いた。 「…好きです…」 抱き付いて、どさくさに紛れて、そっと告白までしてしまう始末だ。 だが、今の告白は吉羅に聞こえていたはずなのに、何故だか返事が来ない。 このキスは戯れだったのだろうか。 確かに吉羅からは愛情が伝わったような気がしたのに、それは幻だったのだろうか。 そう思うと、ほんの少しだけ切なくなってしまった。 香穂子が泣きそうになっていると、吉羅が口を開く。 「…本当に構わないんだね?」 念を押すように言われて、香穂子は思わず顔を上げる。 「…私との恋は、当分は苦しいことや、しんどいことばかりだよ? それでも君は良いのか?」 吉羅は、まるで香穂子に確認するように呟き、深い影が宿った瞳を向けて来る。 何が起こったとしても覚悟はしている。 香穂子は凜とした真剣なまなざしで、吉羅を見上げた。 「…覚悟は出来ています!」 吉羅のまなざしもまた澄んで真摯な光を帯びてくる。 「一度君を得たら、私は君を絶対に離してはやらない。それでも構わないというのかね?」 「構いません」 香穂子はキッパリと言い切ると、吉羅に迷いのない瞳を向けた。 「その覚悟を受け止めたよ。私も君を愛しているよ…」 吉羅は愛を滲ませたまなざしを香穂子に投げ掛けてくれると、再び唇を重ねてきた。 甘い、けれども上級者のキスは、香穂子をうっとりとさせると同時に、甘く乱していく。 キスの後、吉羅は香穂子を柔らかく見つめると、官能的に笑った。 「…先ずはキスぐらいは上手くなって貰わなければね」 「え、あ、努力します…。せ、先生が上手く教えてくれたら…何とか…」 香穂子が耳朶を真っ赤にさせて俯いていると、吉羅は楽しそうに笑った。 「君を教えるのは楽しみだね? その先は、制服を脱いだ後にでも、じっくりと教えてあげるよ」 吉羅の言葉の艶めいた響きに、香穂子は俯くことしか出来ない。 一途に想っていた恋がようやく叶いました。 |