*Love Poolside*

前編


 吉羅の前での定期演奏会。
 高校生の頃からずっと続けている香穂子の優しくも厳しい時間だ。
 今日は「君を愛す」を演奏し、吉羅の評価を待っていた。
 吉羅は音楽に関しては特に嘘を吐かない男だ。シンプルでストレートな言葉を、香穂子にぶつけてくる。
 だからこそ更に切磋琢磨することが出来るのだ。
 香穂子がヴァイオリンを奏でた後、吉羅は静かに目を開ける。
「…理事長、如何ですか…?」
「…音の解釈は悪くはない。だが、技術面では些か不安定要素が残っている。ラスト前の四小節部分だが かなり乱れていた。気をつけるように」
「はい」
 相変わらず吉羅は厳しい。
 だが、自分が苦手な部分をストレートに指摘をしてくれるのが、有り難いと思った。
「理事長、有り難うございます」
 香穂子がヴァイオリンを片付けた後、吉羅はじっと見つめてくる。
 理事長から吉羅暁彦へと変わる瞬間だ。
「香穂子、これから時間が空いたから、ホテルのプールで泳ぎに行こうと思っている。君も一緒に来ないかね?」
 吉羅の申し出に、香穂子は笑顔で頷く。だが、水着がないことに直ぐに気付いた。
「あ、あのっ、水着を持っていません」
「水着はホテルで買えば良い。行くぞ」
 吉羅は素早く立ち上がると、先に理事長室を出て、駐車場へと向かった。
 香穂子は慌てて、その後ろを追いかけていく。
 駐車場で車に乗り込むと、直ぐに発車した。
 本当にいつもながら素早い。
 プールに行くと宣言をされて、ものの五分で車に乗っている。
 ここからは大学の学生と生徒じゃない。
 甘い男と女なのだ。
 吉羅は車を走らせてホテルへと向かう。
「明日は休みだからね。プールで泳いだり、食事をしたりしようか。ゆっくりしよう」
「はい」
 明日はおやすみ。
 翌朝のことを考えなくても良いから、とても素敵な休日になるのは予想出来た。
 吉羅が会員になっている高級外資系ホテルに入り、車から降りて、先ずは会員限定のプールへと向かう。
 そこでいくつか水着を見る。
「ビキニじゃないほうが良い。ワンピースでパレオが着いているもの。後は水着の上から羽織るパーカーだね」
 吉羅は香穂子に水着を選ぶ条件を細かく言うと、一緒に見てくれる。
「この白い水着にします。とても綺麗だし、気品があるような気がしますから」
「そうか…」
 吉羅は一瞬考えたようだったが、結局は頷いてくれた。
「解った。それにしよう」
 吉羅は香穂子が手にしている水着を係員に手渡し、直ぐに会計をする。
「それぐらいは!」
「私が君を誘ったんだ。これぐらいはさせてくれないか」
「有り難うございます」
 いつも吉羅には、こうしてプレゼントばかりして貰っている。
 それが嬉しい反面、心苦しくもなる。
 会計が終わった水着とパーカーが入った袋を、吉羅はスッと手渡してくれた。
「有り難うございます」
 香穂子が笑顔で礼を言うと、吉羅はフッと笑う。
「では、プールサイドで待っている」
「はい」
 香穂子は吉羅の艶やかな後ろ姿を見送りながら、思わず水着の入った袋をギュッと抱き締めた。

 軽くシャワーを浴びた後、香穂子は水着に着替える。
 パーカーとパレオがあって助かったと思う。
 ボディラインを上手く隠すことが出来たから。
「…綺麗に出来たかな…」
 だけどあの吉羅暁彦と釣り合いが取れるなんて、到底思ってはいない。
 香穂子はなるべくボディラインを隠すようにして、プールサイドに向かった。

 プールサイドには洗練された大人ばかりがいるような気がする。
 高級ホテルでしかも会員制のプールということもあり、外国人も多かった。
 自分とは住む世界が違うような気がして、香穂子は気後れしてしまった。
 目線で吉羅を一生懸命探す。
 すると水着の上にパーカーを無造作に羽織った吉羅が、英字新聞を広げて、ゆったりとデッキチェアーに腰をかけていた。
 吉羅の鍛えられた美しい躰がちらりと見えて、香穂子はうっとりと見つめてしまう。
 香穂子がじっと見つめているのに気付いたのか、吉羅が視線を上げた。
 吉羅は立ち上がると、ゆっくりと香穂子に近付いてくる。
「香穂子、こちらに来るんだ」
「はい」
 吉羅はいきなり腰を抱くと、香穂子をデッキチェアーへと連れていく。
「緊張しているのかね?」
「やっぱり緊張しますよ。だって…、セレブリティばかりじゃないですか…。私のように庶民なひとはいないです」
「緊張することはないんだ」
「…吉羅さん…」
 吉羅がかなり密着して腰を抱くものだから、香穂子は緊張してしょうがなかった。
 吉羅に横のデッキチェアーに座るように言われて、香穂子は腰をかける。
「いつもここで泳いでいらっしゃるんですか…?」
「ああ。躰のメンテナンスのためにね。このホテルにはジムもあるから、ちょうど良いんだよ」
 香穂子はなるほどとばかりに頷く。
 吉羅の綺麗でキレのあるボディラインは、さり気ないトレーニングの賜物なのだろう。
 ふたりで一緒にいると、衛藤がゆっくりとこちらに歩いてきた。
「暁彦さん、香穂子さん」
 香穂子も吉羅も笑顔で衛藤を見つめる。
「衛藤君、こんにちは。泳ぎに来たの?」
「そう。俺は少し休憩しようと思って。暁彦さんたちは?」
「私は今から泳ぎに行こうと思っている」
「私も」
 香穂子が立ち上がろうとして、吉羅に制される。
「君は桐也とここにいなさい。すぐに戻ってくる」
 吉羅は冷たい声で言い放つと、プールへと行ってしまった。
 ひとりプールサイドに残されて、香穂子はつまらない。
「吉羅さん、どうして怒ったりするんだろう…」
 香穂子がしょんぼりとすると、衛藤はくすりと笑った。
「どうしたの!?」
「香穂子さんはやっぱり解ってないか…」
「え…?」
 衛藤を見ると、しょうがないとばかりに苦笑いを浮かべている。
「…暁彦さんは誰にも香穂子さんの水着姿を見せたくはなかったからじゃないかな?」
「…え…?」
 香穂子は驚いてしまい、思わず衛藤を見た。
「俺とふたりでいさせるのも嫌だが、他のヤローと一緒にいるよりは随分とマシだと思ったんだろうね」
「…だって…私の水着姿なんて…本当に大したことはないよ。そんなことを思っているとは思えないけれど…」
 逆に吉羅は香穂子の水着姿が気に入らないとすら思っているだろう。
「…だったら試してみる?」
 衛藤はいやに嬉しそうに微笑む。
「試すって…何を…?」
「こういうこと」
 衛藤はいきなり香穂子の手を思い切り握り締めた。
 衛藤は立ち上がると、香穂子をプールへと連れて行く。
 吉羅を見ると、綺麗にフォームでプールを優雅に泳いでいる。
 本当にうっとりとしてしまうほどに綺麗だった。
「ほら、見とれていないで。行くよ」
「う、うんっ」
 衛藤に連れられて、香穂子はプールに入る。
 流石にプールの中は気持ちが良くて、香穂子はにんまりと笑った。
「気持ちが良いね!」
「だったら少しふたりで泳ごうよ」
「そうだね、だけど私は余り早くは泳げないよ」
「自分のペースで構わないよ」
 衛藤に言われて、香穂子は素直に頷いた。
「有り難う」
 衛藤と一緒に緩やかに泳ぎ始めた時。
「鮫がこちらにやってくるね」
「鮫?」
「ほら、やっばり」
 衛藤が指差す方向をじっと見る。
 すると吉羅が素晴らしく美しい泳ぎで、香穂子に近付いてくる。
 その姿に見惚れるというよりは、緊張してしまった。



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