1
親が決めた相手と結婚するなんて、こんなにもナンセンスなことはないと思う。 この現代で、しかも封建社会なんてとうの昔に崩壊しているというのに。 千尋は、自分の運命を溜め息を吐きながら恨んでみた。 姉が恋人と駆け落ちをしてしまったので、お鉢が千尋に回って来てしまった。 相手はかなりの名門らしいが、千尋にはそんなことは関係なかった。 名門だろうが、愛することが出来ない相手なら、それまでだ。受け入れることなんて出来ない。 千尋はその相手との見合いも乗り気ではなく、約束の場所に行く気も失せてしまう。 とにもかくにも言いなりになるのは、嫌だ。 相手が大財閥だろうとそんなことは関係ない。 大好きな男性以外とは、結婚なんてしたくなかった。 千尋はとっておきのワンピースを着替えさせられて、ムスッとした顔を狭井の君に向ける。 「…狭井の君…、このワンピースは嬉しいけれど…、やっぱり、何だか嫌…なんだけれど…」 「葦原家の為ですよ。ここは堪えて下さいまし」 「…だけど…」 この年齢で、自由のない結婚をするなんて、やはり耐え兼ねると千尋は思う。 大好きなひとと結婚することが、千尋にとっては叶えたい夢の一つだというのに。 「…千尋様、お車を用意していますから、乗り込んで下さいましね」 「…解っているよ…」 「お相手はご長男ではありませんが、立派な方です。プレッシャーはそんなには感じないでしょう。…ですが…、次男の方が本妻腹だと伺っていますけれどね…」 話を聞いているだけで何だかドロドロとしているのが解る。 千尋は泣きそうになるのを何とか堪えながら、溜め息を吐いた。 今時こんな結婚があるなんて、クラスメイトが聞いたら驚くに決っている。 葦原の家は女系家族で、駆け落ちを姉がしてしまった以上は、千尋が後を継ぐしかないのだ。 なんて選択肢のない人生。 傍から見れば、大企業の総帥の地位を引き継ぐことが出来るのだから、これほどまでに幸運はないと思うだろう。 だが、当人である千尋は、そこまでは思ってはいない。 むしろ辛いといっても、過言ではなかった。 まだ、明確な夢はないけれども、もっと自由に色々な経験をしてみたいと思う。 決められた相手ではなくて、本当に愛しいと思うひとと結ばれたいというのに、家の状況がそれを赦してはくれなかった。 悔しいし、これほどまでに痛いことはないのではないかと、千尋は思わずにはいられなかった。 素敵なワンピースに、素敵なメイクアップ。 これ以上のものはないとは思う。 だが、そんなものは千尋には究極に要らないものだというのに。 車に乗せられて、千尋は溜め息をまた吐いた。 「千尋様、溜め息ばかりを吐くと、幸せが逃げて行きますよ」 「…はい」 狭井の君に窘められて、千尋は小さくなりながら頷くしかない。 小さな頃から、狭井の君は千尋たち姉妹の教育係として辣腕を振るってきた。 母親よりも怖い存在には違いなかった。 千尋は、車窓を眺めながら、小さく頷く。 そこには絶望しかないのではないかと思った。 車が橿原から大阪に向かって走っていく。 CSで有名な立派なホテルに到着し、車から降りるように促された。 今しかない。 逃げ出すチャンスは今だけだ。 千尋は、狭井の君が降りる準備をしているのを見計らい、慌てて車から降りると、近くの繁華街に向かって走り出した。 「…千尋様…!」 千尋は駆けて、地下街に潜る。 後ろからは直ぐに葦原家のものが追ってくるのが解る。 嫌だ。 掴まりたくない。 千尋は必死になって走り出した。 「きゃっ!」 余りに必死になって走っていたからだろうか。千尋は前をしっかり見てはおらず、誰かに強くぶつかってしまった。 「ご、ごめんなさいっ!」 ぶつかった相手は、相当、胸元がしっかりと鍛えられているのが感触だけで解り、千尋は恐ろしくなる。 誰か拙い相手にぶつかってしまったような、そんな気分になった。 「…ほ、本当に…、申し訳ありません…」 すごすごと反省をしながら顔を上げると、エキゾチックではあるがかなり整った顔が見えた。 危険な魅力を持った男だと、千尋は思わずにはいられなかった。 「追われているのか…?」 低い甘さのある声が響き渡り、千尋は驚きながら頷く。 「こっちへ来るんだ」 強引に肩を抱かれて逃げることがかなわぬまま、柱の陰に隠れる。 暫くして、葦原家からの追っ手がやってきて、千尋を探している。 その間、千尋はかなり緊張していた。 鼓動が不確かなリズムになる。 こんなにも緊張したのは久し振りかもしれない。 一緒に隠れてくれている男を見上げる。 非常に整っていて、違う意味で緊張をする顔だ。 ようやく追っ手が行ってしまい、千尋はホッと胸を撫で下ろした。 「行ってしまったようだな」 男は直ぐに千尋から離れると、フッとあだめいた笑みを浮かべた。 「何で追われていたんだ…なんて、訊いてはダメだよな」 「はい」 千尋が硬い表情で返事をすると、男は意味深な笑みを浮かべる。 「その格好だと、かなり目立つかもな。見つかるのは時間の問題かもしれないな」 男はまるで人ごとのように言うと、千尋の手首を掴んだ。 「…ちょっ…!」 いきなり手首を掴まれてしまい、千尋は拙い相手に掴まってしまったものだと、思わずにはいられなかった。 背筋に冷たいものが流れる。 男は危険過ぎるような気がする。 千尋は警戒をしながら、訝しげに見つめる。 「ほとぼりがさめるまで、少しぶらぶらしてほうが良い。そうだ。そこにカフェがあるから、時間を潰すと良い。俺もお茶を飲む相手が欲しかったからな。少しばかり付き合ってくれ。 「あ、あのっ!」 抵抗したいのに、千尋は上手く抵抗することが出来ない。 何だか男の魔法に捕らわれたような気分だった。 「ほとぼりが冷めるまで待つと良い」 「はい」 男の言葉に、千尋は頷くしかなかった。 男が連れて行ってくれたカフェは、チャイとケーキが有名な店で、千尋も雑誌で見て、いつか行きたいと思っていたところだった。 店の選択の良さに、千尋はほんの少しだけ警戒心を緩める。 千尋はチャイとパンプキンプリンを注文し、少しだけ気分が晴れた。 向かい合わせで座ると、男は独特な帝王のような雰囲気を持っている。 容姿もとても魅力的で、一度見れば忘れられない雰囲気があった。 男は仕草ひとつを取っても、品の良さがある。 こんな男は珍しいと千尋は思った。 パンプキンプリンとチャイが運ばれてきて、それを口に運ぶと、随分と落ち着いてきた。 「美味しい…」 笑みすらこぼれ落ちる。 「随分と落ち着いたみたいだな…」 男は先ほどよりも幾分か柔らかな表情になると、チャイをゆったりと飲む。 ワイルドなのになんて優雅なのだろうかと、千尋は思った。 「パンプキンプリンがとっても美味しいです。チャイとの組み合わせが最高だなって思います」 「それは良かった」 千尋がほんのりとした幸せを堪能しながらプリンを食べ終えると、男はゆっくりと腰を上げる。 スマートにも、請求書をそっと取る。 支払いを終えて男は、千尋の手首をしっかりと握り締める。 「あ、あのっ!?」 「一緒に来て貰いたい。葦原千尋さん…?」 「…!!」 どうして男が名前を知っているのか分からなくて、千尋はただ目を丸くするだけだった。 |