*愛の手紙*

前編


 総ての闘いが終わり、まさに国造りはこれからだと思うのに、柊は行ってしまった。
 何処へ行ったかは解らない。
 ただ、千尋がこの国の女王になることを見届けてから、人知れずに何処かに消えたのだ。
 一番そばにいて支えて欲しい男性なのに、柊は何処を探してもいない。
 何だか泣きそうになる。
 柊がいなくなるなんて、こんな結末は信じられないとすら想う。
 ずっとずっとそばにいて、遠くから近くから見守ってくれると信じていたのに。
「何処に行ってしまったのよ…」
 本当に泣きそうになる。
 だが、そんな感情を皆に見せるわけにはいかない。
 いつも前を見て、明るく真直ぐでいなければならないのだから。
 千尋は溜め息を吐くと、執務に戻る。
 柊がいないと、本当は頑張れないのに。
 柊がいないと、こころから笑うことなんて、本当は出来ないのに。
 柊は何処に行ってしまったのだろうか。
 そして本当に戻ってきてくれるだろうかと、千尋は不安になった。
 信じていないわけじゃない。
 柊なら必ず戻ってきてくれる。
 約束をしたから。
 柊は落ち着いたら、ずっとそばにいてくれると、指きりをしたから。
 なのに。
 今は千尋の前にはいない。
 あの笑顔も、人を食ったような言動も、何処にもないのだから。
「…柊…」
 ポツリと大好きな男性の名前を呼んでも、勿論、返事なんてあるはずもない。
 こんなにも滅入ってしまうなんて、千尋は思ってもみなかった。
 不意にノックが鳴り響き、千尋はハッとして顔を上げる。
「陛下、風早です」
「あ、どうぞ入って!」
 千尋は慌てて自分の表情から暗い影を消し去ると、にっこりと笑って風早を出迎えた。
「書類をお持ちしました。目を通して頂けますか?」
「あ、うんっ」
 千尋は風早から書類を受け取ると、わざとらしい笑みを浮かべた。
「…千尋、大丈夫か?」
「大丈夫だよっ!」
 千尋は早口で誤魔化すように言うと、引きつった笑顔を浮かべる。
 こんな誤魔化し方をしたとしても、風早には何もかもお見通しなのだろう。
「…かなり動揺しているみたいですね…。…勿論、柊がいなくなってしまったことは関係がないとは言えないでしょう?」
「…うん…」
 風早の前では、つい小さな子どものようになってしまう。
 小さな頃から面倒を見て貰っていたから、つい子どものように甘えてしまうのだ。
「…柊もしょうがない男ですね…」
 風早は苦笑いを浮かべると、千尋を真直ぐ見つめてくる。
「相当参っているみたいですね…」
「うん。柊と…約束したんだよ…。ずっと一緒にいようって。だけど柊は何処かに行ってしまったんだよ…。いつ帰ってきてくれるんだろう」
 風早に言うと、少しだけではあるが胸のつかえが取れたような気がした。
 風早は、千尋を慈しむようなまなざしを向けてくれると、フッと微笑んだ。
「…千尋…これを」
 風早は一通の書状を手渡してくれる。
 そこには達筆で“葦原千尋様”と書かれていた。
「…手紙…?」
「俺は預かっただけですから。どうしようとあなたのご自由ですよ。どうぞお読みになって下さい」
「有り難う」
 この綺麗な字は見覚えがある。
 ドキドキする余りに息苦しくなるのを感じながら、千尋は手紙の封を開けた。
「……!」
 やはり柊だ。
 千尋は鼓動が激しくなるのを抑えることが出来ないまま、震える指先で手紙を持つ。
 今まで抱いていた恋ゆえの不安が、一気に霧散するのを感じた。

 我が君へ。
 こんな風に書いたら、あなたは嫌がるでしょうね。
 ふたりの時は、“葦原千尋”でいたいあなただから。
 私もふたりの時は、女王ではないあなた自身と一緒にいたいと思っていますよ。
 あなたがこの手紙を受け取って下さることを嬉しく思います。
 きっとかなり寂しいと思っていらっしゃるでしょう。
 だから気分転換をされませんか?
 今夜、月を眺めてみて下さい。
 私も遠くではありますが同じ月を見上げています。
 あなたを何時までも見守っています。
 またお手紙します。
 手紙を出す度に、あなたに近付いています。
 あなたに再び逢えるのを楽しみにしています。
 柊

 千尋は手紙を読み終わり、ほんの少しだけ寂しい気持ちが昇華されるのを感じる。
 柊の手紙をこれから何通受け取れば、心を寄せることが出来るのだろうか。
 千尋は考えるだけで胸が熱くなるのを感じた。
「有り難う風早」
「いいえ。俺はただの郵便配達人ですから」
 風早は微笑むと、そのままゆっくりと執務室から出て行く。
 ひとりになった後、千尋は手紙をもう一度読んで、ギュッと抱き締めた。

 同じ月を見ているのならば、月を見上げるだけで繋がっているように感じる。
 千尋はひとり中庭に出ると、柊を想って月を見上げる。
 今宵が満月であったことを、すっかり忘れてしまっていた。
 こうして見つめていると、胸が切なく痛むのを感じた。
 息苦しいほどに月は美しい。
 月はひとを恋しいことを色濃く思い出させる。
 それがほんのりと苦しかった。
 今、大好きな男性と繋がった空の同じ月を見ているというのが、とても嬉しい。
 だが寂しくもある。
「…柊…、早く帰って来てよ…」
 千尋が掠れる声で呟いても、誰も返事はしてくれない。
 ただ、さめざめとした月の光が、厳かに輝きを増しただけだった。

 今日も執務だ。
 昨日よりも明らかに柊と繋がっていることを感じる。
 ほんの近くに大好きなひとがいるのを感じた。
 だが、本当はその温もりをつい近くに感じたくなる。
 手を繋ぎたい。
 抱き締められたい。
 そんな気持ちが支配していた。
 執務をしながら溜め息を吐くと、今日もノックが響き渡る。
「…千尋…僕だ」
 ぶっきらぼうの声は那岐だ。
「今、開けるよ」
 千尋が慌ててドアを開けると、那岐が静かに入ってきた。
「頼まれ物」
 シンプルに言うと、那岐は一通の書状を千尋に手渡す。
 昨日と同じだ。
 封筒には葦原千尋様と書かれている。
 柊だ。
 柊に違いない。
 千尋は慌てて手紙の封を開けた。
「…じゃあ僕はこれで。ちゃんと渡したからな」
「うん、有り難う」
 千尋が笑顔で頷くと、那岐は執務室から出て行く。
 ひとりになり、千尋は深々と深呼吸をした後で、ゆっくりと手紙を取り出した。
「…柊…」
 手紙は達筆で書かれている。

 葦原千尋様
 昨日は月を眺めて下さいましたか。
 私は月を眺めました。
 本当に美しい満月でした。
 あなたと同じ月を見上げられるのが、とても嬉しく思います。
 空が繋がり、同じ月を見る。
 それだけで私は一人でないことを感じます。
 あなたの近くにいるのだということが感じられて、とても嬉しいです。
 今宵もまた月を眺めようと思います。
 美しい月です。
 満月から少し欠けた月を見るのも風情があって良いものだと思います。
 今宵も同じ月を見ましょう。
 今夜、同じ月を見れば、私たちの距離は縮むように思います。
 今宵もまた同じ月を見ましょう。
 私たちは繋がっていますから、お互いの気持ちがまた近付くと思います。
 また手紙を書きます。
 受け取って下さい。
 柊

 千尋は手紙を読み終わると、ギュッと手紙を抱き締めた。
 今夜も柊を近くに感じていられる。
 それが嬉しくてしょうがなかった。

 夜が更けて千尋はひとりで月を眺める。
 今宵の月はとても趣があり、こころが揺らぐ。
 柊と同じ月を見ている。
 ただそれだけで嬉しくて、千尋は笑顔で月を見上げる。
 柊が少しだけ近付いたような気がした。


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