*無垢*


 天海と袂を別ってから、初めての二条城だった。

 天海はゆきを二条城の小さな間に連れて行く。

 本当はしっかり手を握って、連れていって欲しい。

 だが、それは見果てぬ夢でしかない。

 いつか。

 天海の手をしっかりと取る事が出来たら良いのに。

 それはいつまで経っても叶うことがない夢なのだろうか。

 それは哀しすぎる。

 ゆきは胸が苦しくてしょうがなくなる。

 こうして近くにいたとしても、天海との距離感を感じる。

 いや、近くにいるからこそ、余計に天海との距離感を覚えてしまうのかもしれない。

 遠くにいても、そばにいても、触れることが出来ないぐらいに遠いなんて、ゆきは心が引きちぎられているような苦しさを感じた。

 遠いひと。

 決して、こころの中に入り込むことが難しいひと。

 本当は誰よりも、優しくて慈悲深いひと。

 なのに今は、何かに縛られているようだ。

「ゆき、ここで待っていて下さい。君の希望を叶えましょう」

 天海は静かに呟くと、部屋から出ようとする。

「天海、私がここから逃げたら?」

 ゆきは天海を挑発するように言うと、強い眼差しで見つめた。

 だが、天海は落ち着いてフッと笑うだけだ。

「……君が逃げるとは、思いませんが……」

 天海は静かに確信に満ちて呟くと、部屋から出ていってしまった。

 なんて確信犯なのだろうか。

 ゆきの行動なんてお見通しということなのだろう。

 ゆきは大きな溜め息を吐くと、部屋の回りを見渡した。

 静かな部屋で、とても落ち着いた趣がある。

 ゆきは、かつて、天海に保護をされていた時のことを思い出して、懐かしく思った。

 あの頃は、天海を完全に味方だと思っていた。

 だから、どんなことをしても信じられた。

 だが、あのような形で裏切られて、ゆきは天海を信じられなくなったかといえば、そうではなかった。

 恐らくは、誰よりも天海のことを今でも信じている。

 天海が裏切らなければならなかったことについては、何か理由があるはずだ。

 ゆきは今でもそう思っている。根本的な理由があるはずだ。

 ゆきが大人しくしていると、随分と賑やかな音が聴こえてきて、ゆきは何事かと思った。

 すると、襖が大きく開かれて、その先には沢山の荷物を持った二条城の使用人たちが大挙してやってきた。

「お待たせ致しました、白龍の神子様!」

 仰々しく呼ばれてゆきが驚いていると、使用人たちが次々と荷物を運び入れた。

「宰相様より、神子様のに白無垢のお支度をするように、申しつかりました」

 恭しく言うと、いきなりゆきは責任者と思われる女性に手を握られてしまった。

 これにはゆきも流石に驚いてしまった。

「では、お支度しましょう。神子様」

 ゆきが驚いているのも構わずに、女性たちがゆきを囲んで、一気に下着姿にしてしまった。

 何だか逆らえない雰囲気があり、ゆきはただ従うことしか出来なかった。

 直ぐに襦袢を着せられて、ゆきは白無垢を着付けられる。

 その手早さに、ゆきは驚くことしか出来なかった。

 ゆきは、ついその手際の良さに見とれてしまう。

 見事なぐらいに器用だからか、ゆきはしっかりと美しく、かつ素早く白無垢姿になってゆく。

 これがもし、天海のためだけの支度だったら、こんなにも嬉しいことはないというのに。

 神様の花嫁といえば、ギリシャ神話を思い出す。

 だが、天海はギリシャ神話の神様のような神様ではない。

 そんなことをいくら夢を見ても叶わない。

 解っているのに、夢を見てしまう自分がいる。

 本当に夢を見すぎているのではないかと、思ってしまうぐらいだ。

 白無垢の着付けが終わると、丁寧に化粧がされる。

 天海のために誰よりも綺麗になりたいだなんて、そんなことをぼんやりと考えてしまう。

 天海に綺麗だと思って貰いたい。

 ゆきはそれだけを強く思った。

 こんなにも、願ったことはほかにはないと、ゆきは思った。

「……神子様は本当に清らかな美しさを持っていらっしゃいますね……。あの宰相様に愛される理由が分かるような気が致します……」

「有難うございます」

 ゆきは嬉しさと恥ずかしさに、ついはにかんだ笑みを浮かべた。

「間もなくお支度が終わりますよ。本当におきれいですわ。こんなにも美しい花嫁様なら、宰相様も、さぞかし喜ばれると思いますわ」

 すっかりゆきは、天海の花嫁だと思い込まれてしまった。

 本当にそうなれたら良いのに、ゆきは思わずにはいられない。

 ゆきは希望的観測を抱きながら、麗しい花嫁姿となる。

 ただ、天海に認められたら、ゆきはそれで良かった。

「本当にお美しいですわ……。宰相様がどのような美しい姫にも靡かれなかった理由が、分かるような気が致しますわ……」

 しみじみと女性は呟くと、ゆきを優しい笑顔で見つめてくれた。

 絶賛してくれるのは嬉しい。

 だが、美しい姫たちが、天海に言い寄っていたと言う事実は、ゆきを凹ませた。

 ゆきは、天海に誰よりも綺麗だと、愛していると言わせるには、些か、自信がなくなっていた。

 しょんぼりとしているゆきを、女性は柔らかい微笑みで包み込んでくれる。

「こうして、憂いのある表情もお綺麗ですけれど、やはり笑顔でいらっしゃるほうが、あなた様にはお似合いですわ」

「有難うございます」

 ゆきはほんの少しだけ勇気を持てたような気持ちになり、笑顔になれた。

「宰相様をお呼びして」

「はい」

 いよいよ天海がやってくる。

 それだけでひどく意識をしてしまう。

 ゆきはドキドキしながら、天海がこちらにやって来るのを待つ。

 天海は綺麗だと思ってくれるだろうか。

 ゆきにはただそれしかなかった。

 

 天海は静かにゆきのいる部屋に向かう。

 ゆきが幸せな気分でいられるのなら、それで構わない。

 天海が部屋に入ると、ゆきの白無垢姿が視界に飛び込んで来た。

 あまりにもの清らかさと、美しさに、天海は息を呑む。

 本当に綺麗で、この世界に、これ程までに眩い美しさがあったのかと、思ってしまうぐらいに。

 美しすぎて、天海は暫し、見惚れてしまった。

 こんなにも綺麗な女性は他にはいないとすら、思った。

 いや、この世界で一番美しいとすら思う。

 綺麗だ。

 天海が余りにもじっと見つめているからか、ゆきが上目遣いで不安げにこちらを見つめた。

「……美しいですよ、ゆき……」

「有難う、天海……」

 ゆきをこのまま抱き締めて、この腕に閉じ込められたら良いのにと、天海は思わずにはいられない。

 だが、それは出来ない。

 重苦しくて切なかった。

「白き龍の神子、折角ですから、散歩でもしましょうか……」

 触れてやることが出来ない。

 天海はその苦しさを背中に滲ませていた。

 

 天海と庭に出る。

 こうしていると本物の結婚式を行えるのではないかと、勘違いをしてしまう。

 だが、実際には触れて貰えない。

 それがどんなに苦しいかは、ゆきよりも天海がよく知っているのかもしれない。

「……美しいですね君は……」

「……有難う……」

 静かに微笑む天海と寄り添って、心を重ねて、京の空を見上げる。

 手を取って欲しい。

 抱き締めて欲しい。

 その想いが届くことを、ゆきはただ祈るしかない。

 こうして、もう一度、本当の意味で天海の花嫁となりたいと思う。

 ゆきは強く願うしか、今は出来なかった。

 





マエ モドル