*君さえいれば*

前編


 ゆきがいれば、それだけで幸せだった。

 その筈なのに、どうしてカンパニーの仕事を優先することになったのだろうか。

 小松は苦悩せずにはいられない。

 ゆきがいるからこそ、この世界にやってきたのだ。

 ゆきがいなければ、来ることもなかった。

 本当に愛している相手だからこそ、ずっと一緒にいたい、ずっと離したくないと思った。

 今もその愛情は変わってはいないし、ゆきを大切に思う感情は、全く変わってはいない。

 それどころか、好きすぎて狂ってしまうのではないかと、思わずにはいられない。

 なのに、立ち上げたカンパニーが想像以上にうまくいってしまい、忙しさの余りに、ゆきと逢う時間が少なくなってしまっている。

 そのせいか、スレ違いが続いてしまっている。

 本当はスレ違いなどしたくはないというのに。

 小松は、今の状況をどうにかしなければ、最悪の状態になると考えていた。

 ゆきに逢いたい。

 逢って抱き締めたい。

 強く思っているのに、なかなか上手くいかない。

 ゆきに逢いたいと思えば思うほどに、仕事が上手くいかない。

 なのに忙しさはマックスだ。

 小松は溜め息を吐きながら、携帯電話を弄ぶ。

 ほんの少しでも良い。

 隙間時間ででも構わないから、逢いたいと強く願った。

 

 小松は自分よりも仕事を愛しているのではないかと、ゆきは思う。

 ゆきは、自分から解放してあげるほうが、小松にとっては楽なのではないかと、思わずにはいられない。

 最近は、そうしてあげることが、ゆきが示してあげられる愛情なのではないかと、思わずにはいられない。

 ゆきはそう考えながらも、なかなか決断出来ずにいる。

 それが苦しい。

 決断をしてあげられたら、とても楽なのに、それが上手く出来ないから苦しいのだ。

 こうして逢わないでいる間も、小松が恋しくてしょうがない。

 小松が愛しい。

 愛することは止められないかもしれないが、それでも離れて解放してあげなければならないと、ゆきは思っていた。

 

 久々にゆきに逢える。

 一日千秋の思いで待っていたかいがあるというものだ。

 ゆきに逢えるというだけで、小松はとても幸せな気持ちになる。

 こんなにも幸せで、嬉しいことは他にはないかもしれない。

 小松がゆきと待ち合わせをする場所に出向くと、既に愛しいゆきは待っていてくれた。

 ほんのわずか会わなかっただけなのに、とても美しく、大人びてきている。

 ゆきは本当に美しい。

 ただじっと見つめてしまいたくなる。

 透明感があるゆきはなんて美しいのだろうかと、小松はただ見つめずにはいられない。

 小松が到着したことをゆきは気づいたようで、柔らかく微笑みながらやってきた。

 今までのような、子供のような笑顔だったのに、一気に大人びているようだ。

「……お待たせしたね、ゆき」

 小松が声をかけると、ゆきは僅かに笑う。

 間近で見るゆきの笑顔は、儚いと言っても良いぐらいに、落ち着いたものだった。

「こんにちは、小松さん」

 ゆきは挨拶をするものの、何だか他人行儀な雰囲気だ。

 いつもならば子供のような純粋無垢な愛らしさがあるのに、今日のゆきは何処か老成しているような雰囲気すらあった。

 小松は、とても綺麗だとは思ったが、何処か寂しい気持ちにもなった。

 ゆきが離れていってしまうような、小松の手の届かない存在になるような、そんな気持ちになった。

 このまま離してしまったら、二度と自分の元にはやってこないような気がして、小松はゆきの手を思いきり握り締めた。

 このまま離してしまったら、きっとゆきを喪うような気がしたから。

 

 小松に手を強く握り締められて、ゆきは驚いた。

 こんなにもすがるように手を握りしめられたことはなかったから。

 ゆきは驚いて、小松を見つめる。

 だが、小松はクールだ。

 ゆきのことを考えていないとすら見えてしまう。

 なのに手からは切迫した愛情が感じられて、ゆきは目を見開いた。

 離そうと思っても離すことなんて出来ないと思ってしまうぐらいだ。

 ゆきは強く握り締めて貰えるのが嬉しくて、つい笑みを浮かべた。

「……ゆき、離そうとしたらお仕置きだよ?」

「……え……?」

「お仕置きなんて、離さなくて良いなら私……」

 離さなくても良いのならば、本当に離したくはない。

 ゆきはそんな想いを込めて、小松を見た。

「そう、君は私の手をじっと握り締めていたら良いの」

 まるで小松は命令をするように言う。

 ゆきとしても、本当は小松の手を離したくなんてない。

 だが、小松こそいつもゆきの手を離すではないか。

 そしてゆきへの時間がほんの僅かになってしまうのだ。

「……私は離したくはないですけれど、小松さんがいつも手を離してしまう……。お仕事がとても大事なのは解っています。だから、私が小松さんの枷になってしまうんじゃないかって、思います」

 ゆきが冷静に素直に切ない気持ちを小松に告げると、ピタリと歩くのが止まる。

 ゆきの手を握り締める力がかなり強くなる。

 切ない圧迫と痛みに、ゆきは泣きそうになるぐらいに胸を締め付けられた。

「……その枷から、あなたを解放してあげなければならないって、今は思っています」

 ゆきは真っ直ぐ小松を見つめながらも、小松の手を思いきり握り締めていた。

 こんなにも泣きそうになるような素直な恋心は、他にはない。

 小松の切れるように鋭い瞳が、ゆきを捉えた。

「……君は私と別れたいの?」

「別れたくはないです。だけど、小松さんは私がいることで、自由に動けなくなったら……」

 話しているうちに、ゆきの声はひどく震えた。

「そんなこと、あるはずないでしょ?」

 小松の声が厳しくなり、ゆきの手を更にギュッと握り締める。

「別れたいの?それともわかれたくないの?」

 小松はかなり冷たく、鋭くゆきの心に刀を突き付けてきた。

「……別れたくないけれど……」

 ゆきは泣きそうになりながら、小松の手をギュッと握り締めた。

 あからさまに小松は安堵の溜め息を吐く。

「うちに行くよ。君には落ち着いて考える時間が必要なはずだからね」

「……小松さん……」

 小松は、ゆきを離さないとばかりに、かなりきつく手を握り締める。

 こうされると、甘い痛みが心を走り抜けた。

 だが、幸せな痛みには間違いはなかった。

 

 ゆきにいきなりあのようなことを言われて、小松は焦る以上に、絶望を感じた。

 ゆきから離れられたら、この時空に来た意味も、なにもなくなるから。

 だが、今のスレ違いはなんとかしなければならないと、強く感じていた。





モドル ツギ