*君さえいれば*

後編


 小松の家に入ると、落ち着いた和室に通された。

 この部屋が一番落ち着くからだろうと、ゆきは思う。

 和室には、小松が飼っている、雑種の茶とら猫がのんびりと体を伸ばして、眠っていた。

 ゆきはいつも以上に緊張しながら小松を待つ。すると、和菓子を持って小松がやってきてくれた。

 美味しそうなお茶も一緒に出される。

 小松ならではの配慮なのだろう。

 ゆきは嬉しいとは思ったが、まるで追い詰められているような気分にもなった。

「……ゆき、どうして私と別れたくないのに、別れたいと思ったの?恐らくは、私にも原因があると想うけれど……」

 小松は低い声で定量的に呟く。そこにはゆきを責めているような雰囲気はなく、本当に優しい響きだった。

 ゆきは我慢していた涙が、瞳の奥から滲んでくるのを感じる。

 胸が切ないぐらいに痛いのに、何処かホッとするような安堵感もあった。

「……小松さんは、本当にお仕事が好きで、いつも輝いているなって思っています。お仕事をしている小松さんを見るのが、本当に楽しみで、大好きです。きらきらしているから……。だけど、私の存在が小松さんが大好きなお仕事の邪魔になっていたら、やっぱり嫌だなって思っていたんです……。やっぱり、大好きなひとにはずっと輝いていて欲しいから……」

 ゆきはいったん言葉を切ると、深呼吸をゆっくりとして、小松を見る。

 小松は静かに、ゆきの言葉を聞いていてくれて、ゆきはそれがとても幸せだと感じた。

 有り難い。

 小松は、人の意見を無視することなく、きちんと聴いてくれる。それがゆきには好ましくて、幸せなことだった。

「……私の存在が、小松さんのお仕事の邪魔になるなら、私は、離れようって思いました。小松さんが何よりも愛するお仕事の邪魔をしたくない……」

 ゆきは最後が涙声になるのを感じながら、きちんと小松に伝えることにした。

 小松をちらりと見る。

 すると怒っているように見える。

 その眼差しがこわくて、ゆきは上手く見つめることが出来ない。

 小松はしばらく黙っていたが、大きな溜め息を吐いた。

「ゆき、何か勘違いをしていない?」

 小松はうんざりとしたように呟いた。

「え……?」

「……君は、私が何よりも大切なのは仕事だと思っているの!?」

 小松の声は珍しく乱れて、ゆきは驚いて目を見開く。

「……お仕事は大事ですよね……」

「……大事だけれど、一番じゃない……」

 小松は苦しげに呟くと、ゆきを息が出来ないぐらいに抱きすくめてきた。

 苦しい。

 だが、その苦しさはどこかで幸せな気持ちになる苦しさだ。

 ゆきは真っ直ぐ小松を見上げる。

 すると、更に抱きすくめられた。

「……君以上に大事なものなんて、ないでしょ……」

 小松はゆきにすがるように、その額をゆきの肩につけた。

「……ゆき、離したくない……。私から離れたい……?」

 まるで迷子にでもなったかのように、小松の声は心許なかった。

「……離れたくない……。一生……」

「……だったら、離れなくて良いよ……」

「……そうですね……」

 ゆきは小松をギュッと抱き締めて、そのまま放れないようにする。

 お互いに離れたくないから、しっかりと抱き合う。

 こうして抱き締めあうと、お互いに恋をしている、愛しているのを感じられる。

 きっとこうして抱き合ったりしていなかったから、お互いの気持ちが分からなくて、不安になっていたのだ。

 抱き締めあうだけで、そう思えた。

「もっともっと、逢わなければならないね、ゆき……。私達は逢わなさすぎたね。これも私の仕事がかなり忙しいからなんだけれど……」

「……小松さん……」

 ゆきは幸せで満たされて、泣いてしまう。

「どんな隙間時間でも良いから、時間を作るようにするよ……。君に逢って、こうしてお互いを抱き締めあうことが価値あることなんだから……」

「……小松さん……」

 小松も同じように愛してくれている。ゆきにはそれが嬉しい。

 こうして言葉にして貰えることが、ゆきには幸せだ。

 やはり言葉にしてもらえないと、不安になってしまうのだ。

 切ないぐらいに重い感情だ。

 小松はゆきをしっかりと抱き締めて、言葉以上の感情を、伝えてくれている。

 言葉があるからこそ、その想いを見つけることが出来る。

 ゆきは、言葉によるコミュニケーションはやはり大事だと、深く感じた。

「……ゆき、やはりたまには言葉できちんと伝えたほうが、善いのかもしれないね……。君にとっても、私にとっても……」

 言葉できちんと伝えてもらえたら、ゆきも愛されていると実感できる。

「……あくまで、“たまに”だけれどね……。いつも愛を語っていたら、それこそ、深い意味を失ってしまう……。そうしたら、言葉の安売りになって、愛されているのかどうかが、また、解らなくなってしまうからね……。ね、そうは思わない?」

 確かにそうかもしれない。

 年ごろの女の子としては、もっともっと愛の言葉が欲しいと思うが、余りにしょっちゅう囁かれたら、ただの輕口にしか思えないだろう。

「……だからと言って、小松さんは言わなさすぎです。だから私、不安になってしまうんです……」

 愛を確かめるために伝えるためには、抱き合ったり、キスをしたり、大切なことはいっぱいあるけれど、それに甘い言葉のスパイスが欲しいのは確かだ。

「……こうして、小松さんの腕の温かさも、恋をしてくれているという言葉も、総て、私には必要なんですよ」

「……ね、ゆき、私も同じものが必要だってことは、気付かない?」

 小松は甘くて艶のある声で囁いてくる。

 胸がキュンと音を立てるぐらいにときめいてしまう声に、全身がとろとろになってしまうかと思った。

 なんて甘美な感覚なのだろうか。

 ゆきは息が詰まりそうになるぐらいに甘くなる。

 小松の視線に捕らえられて、甘い震えで動けなくなった。

「……君は、私に対して受け身で、愛の言葉も行動も少ないと思うけれど、どう思っているの?」

 小松に甘いお仕置きをするように指摘をされて、ゆきは思わず唇を震わせてしまう。

 小松の言う通りだ。

 小松にはなかなか愛の言葉を伝えられていない。

 ゆきは今更ながら気がついて、恥ずかしいと思いながらも、愛するひとをしっかりと抱き締めた。

「……小松さんのことが、大好き……」

「ゆき、それだけ?」

 小松の艶やかな声で耳許で囁かれて、このまま飛んでしまいそうになる。

「……ほら、私は待っているよ?」

「は、はいっ」

 ゆきは勇気をかき集めて、小松に震えながらキスをする。

 だが、すぐに主導権は握られてしまい、ゆきは震えた。

 深いキスになり、息ができなくなる。

 このまま蕩けてしまいそうになる。

 ゆきがげんかいになるところまで追い詰められたところで、小松は唇を離した。

「……これからは君もきちんと言葉で伝えられるようにしなくちゃいけないね」

 小松はくすりと笑うと、ゆきを愛し始める。

 甘くて、濃密な時間が始まる。





マエ モドル