*ここにいる理由*


 小松が異世界に残ると選択していたら、ゆきは自分が育ったこの世界に、確実にいない。

 今、こうしていても、小松がいるからこの世界にいるのではないかと、思わずにはいられない。

 時折、この世界が恋しくなることもあるかもしれない。

 だが、そんな時も、きっと小松が埋めてくれる。

 ゆきはつい、そんなことを考えてしまう。

 小松がいることが、生きている存在理由にはなる。

 ゆきには、それ以上の理由が、逆に要らないのではないかと思わずにはいられなかった。

 

 小松の家に遊びに行く楽しみは、猫の平田殿に逢えることも大きい。

 痩せ細って、心細げにふらふらと歩いている仔猫を、ゆきと小松が保護をした。

 結局は、小松が飼ってくれることになり、ゆきは小松の家に入り浸っている。

「本当に平田殿は可愛い」

「ね、君は、私に会いに来たの? それとも、平田殿に会いに来たの? どっち?」

 小松は呆れるように呟きながら、何処か拗ねている。

「勿論、帯刀さんですよ」

「そんなにも明るくキッパリと言われてしまうと、私もしょうがないと思うしかないよ」

「だって、私には帯刀さんが一番ですから」

 ゆきは平田殿を抱き上げながら、素直な気持ちを伝える。

「全く君は……、私を骨抜きにする術を、天性で身に付けているようだね」

 小松は溜め息を吐くと、平田殿ごとゆきを抱き締めてくる。

「あ、あ、あのっ、帯刀さんっ!?」

 やはり一番大好きな小松に抱き締められてしまうと、それだけで鼓動がどうしようもないぐらいに高まってゆく。

 ドキドキし過ぎて、一気に体温が上がってしまう。

「あ、あの、その、帯刀さん」

 みょうちきりんになってしまい、ゆきは甘い緊張でどうして良いかが分からない。

「君が平田殿の相手ばかりをするからね。私も相手をしてもらう為に、こうして平田殿ごと抱き締めているだけだよ」

 小松は平然と、いけしゃあしゃあと呟く。

 完全に主導権を握られてしまい、からかわれている。

 甘いからかいは、いつも心臓が壊れてしまうのではないかと思うぐらいに、華やいだ緊張を生んだ。

「ゆき、今日は千鳥ヶ淵に、桜を見に行くんでしょ?」

「そ、ソウデシタ」

「平田殿は連れては行けないよ。逃げてしまうかもしれないからね。それに平田殿を連れて行くと、君は車の中で、平田殿のことばかりを気にするでしょ?だから、駄目」

 小松は意地悪に言うと、ゆきを更に抱き締めてきた。

「平田殿が可哀想ですよ」

 猫を花見に連れて行くのは、余り見たことはないけれども、ゆきは家族同然で可愛がっている平田殿を、どうしても連れて行ってあげたかった。

「ゆき、君の気持ちは確かに分かるけれどね。私たちにとって、平田殿は、子供のようなものだから。

 平田殿が子供。

 確かにそういう側面がある。

 ゆきは、小松とふたりの子供であることが恥ずかしくて、真っ赤になってしまう。

 いずれそうなれば良いと思ってしまう。

 小松とふたりの子供。

 平田殿を囲んで、小松とゆき、そして子供がいたら、なんて幸せな風景だと思ってしまう。

「どうしたの?何をそんなにも照れているの?」

 小松にからかうように甘く笑いながら言われると、益々照れ臭くなってしまった。

「あ、あの、何だか、子供って……」

 ゆきがしどろもどろに言うと、小松はからかうように笑った。

「子供って、私たちの?」

 ゆきは恥ずかし過ぎて、言葉に上手くすることが出来なくて、真っ赤になりながら頷くことしか出来なかった。

「私は、いつ子供が出来ても構わないと思っているけれど。何なら、千鳥ヶ淵に花見に行くのは止めて、今から子供を作ろうか?」

「……!!!!!」

 小松に完全にからかわれているのは、解っている。

 だが、飛び上がるほどに恥ずかしくて、ドキドキしてしまう。

 耳朶まで真っ赤にさせながら、ゆきは小松を上目遣いで睨んだ。

「その睨みは全く効果はないよ。それどころか可愛くて、君をどうかしてしまいそうになるけど。ゆき、今更、恥ずかしがることではないでしょ?だって、私たちは、いつ、子供が出来てもおかしくない状況だと思うけれど」

 小松は何でもないことのように言う。

 確かに、そうなのだ。

 だが、ゆきはいつまで経っても恥ずかしくてしょうがないのだ。

「……そうですけれど、そ、そのっ」

 ゆきは恥ずかしさが突き抜けてしまい、小松をまともに見つめることが出来なかった。

「本当に、君はいつまで経っても初々しい反応をするよね。それがまた可愛くて、からかいがいがあるんだけれどね」

 小松はあくまで楽しげだ。

 それがほんのりと癪に障る。

 だが、そんなところも含めて、ゆきは小松が大好きなのだ。

「さ、千鳥ヶ淵に行くよ。支度をしなさい」

「はい」

 小松に頬を何度か撫でられて、ゆきはドキドキして息が出来ないぐらいだった。

 

 車で千鳥ヶ淵に向かう。

 春のドライブは爽快だ。

 短いドライブの後、駐車場に車を停めて、のんびりと手を繋いで、千鳥ヶ淵を散歩する。

「この世界でも、やはり桜は見事なものだね。私は千鳥ヶ淵が好きで、よく通っていたけれど、この世界も変わらないね」

 小松はふと懐かしそうに、そして何処か寂しそうに呟いた。

 やはり、生まれ育った世界というのはかけがえのないものなのだろう。

 ゆきの為にこの時空にいてくれることを、心から感謝する。

「帯刀さんは、向こうの時空の千鳥ヶ淵では何をされていたんですか?」

「こちらとさして変わりはないよ。千鳥ヶ淵では遠乗りをしていたよ。よく、馬で来ていた」

 小松は懐かしそうに目を細める。

 小松はやはり、元の世界が恋しくなるのだろう。小松のことを考えると、胸が切なく傷んだ。

 小松としっかりと結んだ手に、ゆきは力を込める。

「帯刀さん、元の世界が恋しいですか?」

 ゆきは泣きそうになりながら、小松に訊く。すると小松は、この上なく優しい眼差しをゆきに向けた。

「恋しくないと言えば嘘になるかもしれない。だけどね、ゆき、私は帰りたいと一度も思ったことはないよ」

 小松は穏やかで一片の曇りのない声で呟く。

「この世界で、私は君と家族になって、平田殿や、子供たちと幸せに暮らす。これ以上の幸せはないでしょ?」

 小松の笑顔は幸せに輝き、ゆきを魅了する。

 甘くて、温かで、幸せな笑顔。

 その先に描く未来は、輝かしく、素晴らしい。

「はい。私もそうなりたいです」

 ゆきは感激する余りに泣き笑いの表情で言った後、真っ赤になる。

 恥ずかしくてしょうがない。

「全く、君は忙しいね」

 小松はクスリと笑うと、ゆきの手を更に握りしめる。

 桜の花を通して輝くような、素晴らしい未来が待っていると、ゆきは思わずにはいられなかった。




モクジ