*雪の日の*


 

 薩摩は温暖な気候であるから、江戸の寒さは、好ましくなかった。

 京にしても、江戸にしても、雪が降る日は、嫌いだった。

 だが、今は違う。

 雪が降れば、降ったで、好ましく思えるようになったのだ。

 理由はたったひとつ。

 雪と同じ名前の妻をめとったからだ。

 しかも誰よりも愛し、恋い焦がれた相手だ。

 その妻が雪が好きなのだから、当然、雪を好きになってしまうのが通りだろう。と、自分自身で妙に納得をしてしまう。

 妻はといえば。まだまだ無邪気で、雪が降ったとたんに、猫の平田殿を庭に連れて、楽しそうに遊んでいる。

 平田殿は、猫で、寒いのが苦手であるから、相当、迷惑そうにしていた。それでもゆきは構わないとばかりに、楽しそうに遊んでいた。

 余りにも賑やかで楽しそうだったから、小松は障子を開けて、縁に立った。

 庭には、ゆきと平田殿の足跡が転々としている。

 それがとても可愛くて、微笑ましい。

 小松はひとりと一匹の様子をのんびりと眺めていた。

「帯刀さん!」

 ゆきが小松の姿を見つけて、まるで子犬のように駈けてくる。直ぐに平田殿も小松を見つけて、かなりの速さで駆けてきた。

 猫と人間の競走なら、当然、平田殿が勝つ。

 平田殿がちゃっかり小松の足に絡み付いてきた。平田殿は、暖かくてとても気持ちが良い。

「平田殿に負けてしまいました」

 あっけらかんとのんびり言うところが、ゆきらしいと、小松は思う。

「悔しくないのかな、私の奥さんは?」

 小松が背後から抱き締めると、ゆきは耳まで真っ赤にさせる。それが可愛くて、小松は益々ゆきを抱き締めたくなる。

「だ、だって、平田殿と比べてもしょうがないです。私のほうが、いっぱい、帯刀さんに抱き締めて貰っていますから……」

 最後は恥ずかしいからか、消え入りそうな声だ。それがまた……。

 本当にどこまでゆきに溺れているのだろうかと、小松は思う。

 どのような仕草も、笑顔も、ついつい“可愛い”と思ってしまうのだから。

 もう重症だと、小松は思う。

 しかも、治ることのない病だと、小松は思わずにはいられない。

「こうしていると、暖かいかな?」

「暖かいです」

「君はもう私の妻なんだからね。身体を冷やしてはいけないよ」

「どうしてですか?」

 ゆきは不思議そうに小松を見上げる。にぶいというか無知というか。そこがまた愛しい。

「決まっているでしょ? 君には私の子供を産んで貰うんだからね。来年の今ごろは、君は育児に忙しいかもしれないよ。私は、君以外に妻をめとる気は全くないから」

「……はい」

 ゆきは、嬉しいような、照れ臭いような、そんな表情を浮かべている。それがまた可愛い。

「だから、余り、身体を冷やさないの。分かった?」

「はい」

 ゆきは素直に返事をする。

 向こう見ずのところもあるが、ゆきは純粋で可愛い。

「お屋敷の皆さんに、奥方様が、雪と戯れるなんてと、よく叱られるんですけれど、身体が冷やしているからですね」

「恐らく、そうだろうね。君には元気な子供を産んで欲しいという気持ちがあるからだろうね。君は、私の子供を産む、唯一の女性だからね」

 小松は包み隠すことなく言うと、ゆきを柔らかく抱き締めた。

「さてと。温かなお茶でも飲もうか。漬け物と一緒にね」

「はい」

 ゆきは頷くと、直ぐに準備に行く。

 まだまだ奥方修行が続くが、少しずつ奥方らしくなってきた。

 必ず素晴らしい妻になる。

 小松はそう思わずにはいられなかった。

 

 いつか子供が欲しいと、ずっと思っていた。

 それを小松に口にされると、照れ臭い。

 昔から、女の子は冷えるといけないと、祖母や母親からよく言われたが、その意味がようやく分かる。

 将来、元気な赤ちゃんを産むためなのだ。

 そう考えると、胸の奥がほわほわと温かくなった。

 小松にお茶と、漬け物を準備する。

 漬け物は自分で漬けたものだ。なかなか上手に出来たと自分でも思っている。

「帯刀さん、お待たせしました」

「有り難う」

 部屋に戻ると、平田殿が小松にくっついている。それがとても可愛い。

 ゆきは思わずくすりと笑った。

「平田殿は可愛いですね」

「私たちの初めての子供のようなものだからね」

 確かにそのようなところはあるかもしれない。

 平田殿を通して、更に愛を育んで来たのだから。

「平田さんはこれからもかけがえのない家族ですね」

「そうだね。平田殿は、私たちと家族をずっと見守ってくれるのは、間違いないよ」

「はい」

 雪を見ながら、平田殿と小松と一緒に過ごす。

 こんなにのんびりとするのは久しぶりだ。

 小松は、新しい世のために、色々と奔走している。

 それが終われば、ゆっくりしたいと言っているが、きっとそれを誰も許してはくれないだろう。

 ゆきは小松とお茶をすすり、漬け物を口にする。

 これだけでも十分贅沢をしているのではないかと思う。

 それぐらいに、のんびりとした時間は貴重だった。

「ゆき、また、忙しくなる。当面は、皆、私の引退を許してくれそうにないね」

 小松は苦笑いを浮かべる。

「帯刀さんが必要な方であるあらですよ。これはもう諦めるしかないですね」

 ゆきが優しい気持ちで笑みを浮かべると、小松はゆきを抱き寄せてきた。

 小松に抱き寄せられると、いつも良い香りがする。香だろう。

「ひっそりと家族で暮らしていたいのだけどね。私は」

「それはもっと後にしなさいと、神様が言っていますから、逆らわないほうが良いですね」

「龍神が言っているのかな」

「はい。龍神が言っていますよ」

くすりとゆきが笑うと、小松はしょうがないと、苦笑いした。

「では、もうひと働きしなければならないね。そろそろ後方支援をと思っていたのに」

「後方支援の方が実力のある方でと、皆さん、安心できますよ。いずれ、そうなさればと思います」

 ゆきが柔らかに微笑むと、小松は僅かに微笑んだ。

「私は先頭に立って、何かをやるひとではないからね」

「軍師的な役割の方がいる国は強いと聞いたことがありますよ」

 ゆきは、以前読んだ本を思い出しながら言う。小松はそのような役割が似合っているのだろう。

「とにかく、君のお陰で頑張ることが出来るよ」

 小松はゆきを更に抱き寄せる。

 こうして抱き締められると、胸が甘く乱れて、ときめく。

 抱き締められるだけで、ゆきは胸がいっぱいになった。

 こうしてふたりで穏やかな時間を重ねてゆく。

 それが出来ることが、何よりも幸せなのだと、ゆきは思った。




  マエ