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こんなにも愛して、愛された相手は他にいないのかもしれない。 なのに、きちんとその気持ちに気付くことが出来なくて、結局は離れ離れになってしまった。 胸が潰れそうになるぐらいに苦しくて、夜も眠れない。 両親が元気な姿でいて、瞬や、祟と本当の意味で家族になれたというのに、幸せな気持ちを抱けない。 安心している筈なのに、なのに哀しくて苦しい。 側にあのひとがいないから。 大好きで大好きで堪らない、いつも支えて見守ってくれるひとがいないから。 こうして、両親が何時までも元気でいられること。 瞬や祟が、両親を支えて、これからもかけがえのない家族でいてくれること。 それが確かめられるたから、この世界には、未練はない。 愛するひとの元に行きたい。 愛するひとの側にいられることが、一番幸せなのだと、気付いた。 何もかも遅いのだろうか。 神子でなくなったゆきには、利用価値はないのだと、棄てられるのが恐くて、こちらに戻って来てしまった。 それでも、小松の側にいたかった。 棄てられたなら、この世界に帰ってみてくれば良いぐらいの覚悟を決めれば良かった。 後悔ばかりする。 ゆきは、千鳥ヶ淵に赴き、ゆっくりと回る。 桜が美しい。 あのひとはここで、遠乗りでもしているのだろうか。 あのひとは誰かと、この桜を見つめているのだろうか。 考えるだけで、切なくて泣けてきた。 あのひとと再会した場所には、桜が満開で、柔らかな色の光が桜の花びらに透き通って射し込み、幻想的な美しさを見せてくれている。 本当に綺麗で、ドキドキしてしまう。 この美しさを大好きなあのひとと見られたら良いのに。 桜の向こうに、一瞬、小松の幻想的な優しい笑みが見えた。 ゆきは切ない嬉しさに泣きそうになる。 逢いたい。 逢いたくてたまらない。 小松が愛しくて、愛しくて、しょうがない。 もし、許されるなら、まだ、間に合うならば、小松の所に行きたい。 ゆきは桜の下で、泣き崩れそうになった。 自宅に戻っても、ゆきはついぼんやりとしてしまう。 「ゆき、なにか悩みごとがあるの?」 母親が優しく語りかけてくれる。母親の温かな笑みを見つめていると、涙が溢れてきた。 「……ほら、泣かないの。ゆき、あなたは誰か好きなひとがいるんじゃないの?ね、そのひとにはもう会えないの?」 「ここにいる限りは……」 「だけど逢いたいんでしょ?逢いたくて、逢いたくて、堪らないんでしょ?」 「お母さん……」 母親は優しく話しかけ、総てを解っているとばかりに、にっこりと微笑んだ。 「お母さんたちに遠慮しているんだったら、怒るわよ。やった後悔はやがて消えてゆくけれども、やらなかった後悔は何時までも残るものなの。だから、私はあなたにはそんな後悔をして欲しくないのよ。お母さんたちのことは大丈夫。大切な息子たちがいるから。だけど、あなたには後悔する生き方をして欲しくないのよ」 母親はゆきの目を真っ直ぐ見つめた後、まるでこれが本当の別れのように、しっかりと抱き締めてくれた。 後悔しない。 やらないほうが後悔すると、母親が教えてくれたから。 「有り難う、お母さん……。私、後悔しないよ。今までどうも有り難うございました」 ゆきは深々と頭を下げると、リビングから出ていく。 「お母さんの娘だから、後悔はしない」 ゆきは決意を秘めた笑みでもう一度笑いかけると、深々と一礼した。 後悔しない生き方。 それは、愛するひとのそばに向かうこと。 それしかないから。 「まだ、春は来ないね、平田殿」 小松は、この冬最後の雪になるだろうものをしんみりと見つめていた。 舞い散る雪のように命を散らしていた少女が世界を救い、そして雪が溶けるようにこの世界から姿を消して、三日ほどになる。 今年の春ほど苦しくて切ない時間はないだろうと、小松は思う。 本当に愛した相手だった。 だからこそ、愛するひとを束縛することなんて、出来なかった。 彼女が一番幸せになる方法を取ったのだから、後悔なんてあろう筈もない。 「……一度ぐらいは、ゆきを私のものにしておいても良かったのかもしれない、……なんて、これは私の戯言だね……。抱けないぐらいに、大事だったからね………。そんな、軽い気持ちで踏み込めなかったからね……」 ゆきが本当に可愛がっていた、猫の平田殿を、小松は何度も撫で付ける。 君は君の場所に戻りなさい ゆきが幸せであれば、それで構わない。 とはいえ、しつこいぐらいに恋心が燃え上がる。 もう二度と、こんなに誰かを愛せないだろう。 逢えなければ逢えないほど、ゆきへの思慕は膨らむばかりだ。 こんなことでは、いつも合理的に冷静に動いていた小松帯刀でいられなくなる。 なのに、ゆきを忘れられない。 きっと誰とも結婚しないのではないかと、小松は思う。 不意に、平田殿がそわそわと立ち上がり、キョロキョロと辺りを落ち着きなく見渡す。 それは、ゆきが邸に遊びに来た時と同じだった。 「……もう、ゆきは来ないんだよ、平田殿」 小松が言い聞かせた時だった。 「小松さん、小松さん、いらっしゃいますか?」 胸に響く愛しくて柔らかな甘い声に、小松は思慕の余りに幻聴だと思った。 だが、その声は、よりリアルになり、華やかさを増してゆく。 よく通る声だ。 まさか。 小松が思わず立ち上がると、ゆきが大きな瞳に涙を滲ませて現れた。 「……ゆき……」 まさか。 ずっとずっと抱き締めたかった相手が、目の前にいるなんて思ってもみなかった。 「……小松さんのそばにいたくて、戻って来てしまいました。もう、神子じゃないから、私は、小松さんの役には全く立たないかもしれないけれど、それでも、一緒にいたくて……」 不安そうにこちらを見つめてはいるが、ゆきの眼差しには、小松への深い愛が感じられる。 本当に愛しい。 もう離さない。 小松は感極まりながら、ゆきを思いきり抱き締める。 柔らかくて愛しい温もり。 もう二度と離さない。 「……何を言っているの!?そんなわけがないでしょ。私は蓮水ゆきを愛しているのであって、龍神の神子の地位を好きになったわけではないよ」 小松はゆきを更に強く抱き締める。 「もう一生、君を離さないから」 「はい。私も離れません」 ゆきもまた、小松を抱き締めてくれる。 「小松さんのそばにいるのが、一番幸せです。離れてようやく分かりました。こうしていると、本当に幸せです」 ゆきは泣きながらも笑顔で、キッパリと言う。 「ゆき、私の妻になりなさい」 小松はもう一度、言い慣れた言葉を呟く。 最初は戯れなところもあったが、今は心から望んでいる。 「はい、小松さん」 ゆきも笑顔で清々しく言う。 「後悔はさせないから」 小松は、ゆきが心から自分を望んでくれていることを、幸せに感じながら、唇を重ねた。
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