*妻になる日*


 ずっと恋をしていたから、あのひとの幸せが一番だと思っている。

 自分のことは後で構わない。

 ただ、小松が幸せであればそれで構わないと、ゆきは思っている。

 薩摩藩の家老が、とうとう年貢を納めて、結婚をすると聞いた。

 小松がそれで幸せならば、ゆきは構わないと思う。

 だが、それが、具体的に感じられるたびに、ゆきは切なくて苦しい気持ちを抱いてしまう。

 今日も、薩摩藩邸につい顔を出す。

 止めれば良いのに。

 いくら追いかけても、小松はもう自分のものにはならないというのに。

 それに、小松はこの世界にはなくてはならないひとであることは確かだ。

 ゆきには分かる。

 小松のようなひとが、導いていかなければならないのだ。

 それに自分は帰らなければならない身なのだ。

 相容れぬ筈がない。

 ゆきは溜め息を吐きそうになった。

「これは、神子殿!」

 慌ただしくしている、小松の側用人がゆきに声をかけてくれる。

「御忙しそうですね」

「ええ、それはもう!ご家老が、結婚なさることになって、それはもうバタバタしています」

 側用人は本当に忙しそうにしているが、何処か嬉しそうで、充実しているようだ。

 やはり事実なのだ。

 小松が結婚することは。

 ゆきは涙が出そうになる。

 別に八葉は、未婚の男がするとは決まってはいない。

 結婚しても出来るのだ。

 ゆきは奈落の底まで突き落とされて、そのまま消えてしまいそうになる。

 息が出来ない。

 ゆきは気持ちを上手く切り替えることが出来なくて、溜め息を吐くしかなかった。

 こんなにも苦しくて切ない気持ちは他にない。

 倒れそうになってしまう。

「取り込み中で、大変なようですね。また、改めて出直します……」

 ゆきはもうここにはいられなくて、切ない気分を弄ぶ。

 泣きそうだったから、ゆきはなるべく顔を上げないようにした。

「ゆきくん」

 いきなり声を掛けられて、ゆきは思わず顔を上げた。

 すると、そこには小松がいた。

「待っていたよ、君を。時間はある!?」

 小松は間髪入れずにてきぱきと訊いてくる。まるで、ゆきに時間がないとは言わせないようにだ。

「……時間なら、ありますが……」

 ゆきが小松の目を見ないまま呟くと、いきなり手を取られてしまった。

 これにはゆきも驚いてしまう。

「……あ、あの、こ、小松さんっ!?」

 ゆきが困惑をしていると、小松はゆきの手を取ったままで、スタスタと歩いてゆく。

 ただゆきはそれについて行くだけだ。

「あ、あのっ!こ、小松さん、本当に何をなされたいのですか?」

「君に用がある」

「今、取り込み中では?」

「確かに取り込み中だけれど、それが何か?それには、どうしても君が必要なんだけれど」

 小松はクールに淡々と呟く。

 とても冷たくて何処か事務的なのに、照れも入っているような気がした。

「ゆき、君には事後承諾なんだけれどね……」

 小松の口ぶりで、結婚するくにとをゆきに告げるのだということは、直ぐに解った。

 ゆきは龍神の神子だ。

 八葉として、報告をしなければならないのだと、小松は思っているのだろう。

 律儀な小松らしいとゆきは思う。

 だが、ゆきは小松の口からは聴きたくはないと思った。 

 大好きなひとから聞く事実としては、これ以上に残酷なことはないと、思わずにはいられなかった、

「……あ、あの、小松さんのご結婚のことでしょうか……。そのことなら……」

「そうだよ。私の婚礼のこと」

 小松ははっきりと認めている。

 ゆきは崖から突き落とされたような気持ちになった。

「君には手を貸して欲しいことがあるからね。少しお願いしたいことがあるんだよ」

 ゆきは胸が引き裂かれるような気持ちになる。神子として、祝って欲しいと言われたら、ゆきは笑顔でいられる自信は、正直言ってなかった。

 ゆきは胸が苦しくなる。

 あれほどまでに、愛するひとの幸せを祈ろうとしていたのに、それが出来ないだなんて。

 望んだことが出来ないだなんて、ゆきにとっては苦しかった。

「……神子としてですか?」

「いいや、私は八葉としては頼んでいないよ。小松清簾帯刀として、頼んでいる。それだけだよ。私、個人のことだよ。薩摩だとか、八葉だとかは関係ない」

 小松はピシャリと言い切ると、ゆきを部屋に招き入れた。

 小松の部屋に入ると、ゆきは驚いてしまう。

 目を見開いて、ただただ見つめた。

 心臓が飛び出してしまうぐらいに、切なくて苦しい。

 本当に堪らない。

 ゆきは息苦しくて、どうして良いのかが分からない。

 胸が痛い。

 本当に苦しくて、このまま卒倒してしまうような、そんな気分だった。

 綺麗な花嫁衣装であろう、色打ち掛けと、白無垢が立派に掲げられている。

 これを着るのは、ゆきではない。

 それだけで苦しかった。

「……花嫁衣装は、小松さんの花嫁さんのためですね」

「普通はそうでしょ?」

「どちらが良いか、参考にされるために、私の意見を訊いていらっしゃるのですか?」

 それなら残酷だ。

 小松の花嫁のために、衣裳を撰なんて。

 このひとは何て切ないことをするのだろうかと、ゆきは思った。

「ゆきくん、君ならどちらを着たいの?」

「私なら……?」

 何故、ゆきの視点を求めるのだろうか。

「他の誰でもない、君の意見を訊いているの」

「……はい」

 残酷だ。

 華やかな打ち掛けが、小松の愛するひとには似合うのかもしれない。

「……色打ち掛けで……」

「色打ち掛け……ね。解った、直ぐに手配するよ」

 小松は直ぐに側用にを呼んで手配をさせる。

「御忙しそうですよね。私はこれで……」

「待って。君は何処にも行かないの。手伝って欲しいことは、まだ終わっていないからね」

「……え?」

 ゆきは何だか訳が解らなくて、小松を見つめる。

「君の仕事は、あの色打ち掛けを着ること。それを頼みたいの、私は……」

「……え? 小松さんの奥方様の代わりに……ですか?」

 ゆきはますます切ない気持ちになる。

 こんなことならば、来なければ良かったとさえ思ってしまう。

「君は私に奥方なんていないことは、知っているでしょ? 私は、君と婚礼を挙げるつもりでいるよ」

 小松は何でもないことのように、いきなりさらりと云う。これには、ゆきも驚いてしまった。

 どうして良いかが、分からない。

 いきなり手を取られて、唖然と小松を見つめてしまう。

「こ、小松さん!?」

「さ、行くよ。君を私の妻にする。それだけだよ」

 小松の勢いに、ゆきは流されそうになってしまう。

 何が起こるのか。

 ゆきにはまったく分からなかった。




モドル ツギ