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とりあえずは必要なものを、スーツケースに詰め込む。 小松の家から戻ってきた時には、スーツケースひとつで帰ってきたが、今回はスーツケースをふたつ持って出る。 それでも、まだ、荷物を取りに来なければならないのだ。 ゆきは慌てて準備をして、車に荷物を積んだ。 小松と愛人契約を結んだ時は、とても重い気持ちで、向かったのを覚えている。 だが、今は違う。 本当に幸せな気分で、小松の家に向かうことが出来るのだ。 これにはゆきもほわほわとした幸せを感じずにはいられなかった。 本当に幸せだと思う。 怒濤のように幸せが雪崩れてくるのが、ゆきには幸せでしょうがなかった。 荷物を運び終えると、ゆきはようやく自宅を出る。 結局、荷物をまとめるのにかなりの時間がかかってしまい、ゆきは、両親と小松との、和気あいあいとした時間を過ごすことが出来なかった。 しょうがないと言われれば、そうなのかもしれないが、ゆきは残念に思っていた。 「また、改めてご挨拶に伺います」 小松は両親にきちんと約束をしてくれる。 また、四人でいられる時間が出来て、とても幸せだった。 車に乗り込み、小松の家に向かう。 車に乗り込むと、小松はいつも以上にクールな表情になる。 気疲れしたのかもしれない。 ゆきは、ほんのりと心配しながら、小松を見つめていた。 何か話したいのだが、話せる雰囲気ではない。 ゆきはただじっと、車を運転している小松の横顔を見つめていた。 家に着くと、小松がゆきの荷物を総て運んでくれる。 さりげない配慮が嬉しい。 「有り難うございます、小松さん」 荷物を家に運び入れるなり、ゆきは笑顔で小松に礼を言った。 その瞬間、抱きすくめられる。 「……小松さんっ!?」 「また、“小松さん”って言った……。おしおき」 小松は低く艶やかな声で囁くと、ゆきの唇を荒々しく奪ってくる。 余りに深い角度に、ゆきはくらくらしてしまう。 ゆきの腰から力が抜けてしまうほどのハードなキスをしたあと、小松はフッと甘く笑った。 「おしおきはおしまい。君を堪能させてもらうよ? 君が欲しくて、欲しくて、堪らなかったから……」 小松は有無言わせないとばかりに、ゆきを抱き上げると、そのままベッドへと向かった。 翌日、ふたりは朝早くに役所に向かった。 婚姻届を出すためだ。 婚姻届を書く際には、流石に緊張してしまい、書く文字が震えた。 ドキドキが止まらなくて、ゆきは幸せすぎて胸が痛んだ。 ゆきの文字は歪んでいるのに、小松の文字は全く歪むことがなかった。 流石だと思う。 なんとか間違えないように文字は書いたが、ゆきは余りにもの字に、目を覆いたくなった。 「ひどい字ですね」 「愛嬌があるから良いよ」 小松がくすりと笑うものだから、ゆきは益々恥ずかしくなった。 「さあ、出そうか」 「はい」 ゆきが返事をすると、小松はその手を強く取ると、窓口に向かった。 「お願いします」 「はい」 小松が書類を提出して、係員が細かく確認する。 「はい、受理します。おめでとうございます」 係員はあくまで事務的に話をする。 これで小松と夫婦になったのだ。 ゆきは嬉しくて、思わず泣いてしまう。 その瞬間、ゆきを小松はそっと優しく眼差しで包み込んでくれた。 「私はこれから、仕事に行かなければならないからね。君は大学だね?」 「はい。では。また今夜」 「今夜はお祝いをしよう。私たちの家で待っていて」 「はい。待っています」 ゆきが笑顔で挨拶をすると、小松は優しく頷いてくれた。 「いってらっしゃい、小松さん」 ゆきが見送ると、小松は笑顔で、仕事へと向かった。 それが、ゆきの最初の妻としての仕事となった。 いよいよ、結婚式の日。 ゆきのウェディングドレスは、デザイナーの計算通りに、ちょうど良くなった。 ボディラインを美しく見せてくれるようなデザインに、ゆきは納得する。 デザイナーには感謝だ。 結婚式は、薩摩グループの力を然り気無く見せつけてしまうような立派なものだが、ゆきは気後れしてしまう気分だった。 流石に小松だと思わずにはいられない立派さだ。 ゆきはシンプルで、良かったのだが、小松の社会的な地位を考えると、仕方がないことなのは、よく分かっていた。 「本当によくお似合いで、綺麗ですよ」 「有り難うございます」 愛人から始まった関係が、このように幸せな形で成就するとは、思ってもみないことだった。 控え室にノックが響き渡る。 「お待ち下さい」 係の女性がドアを開けると、そこにはタキシード姿の小松が立っていた。 「ゆきと少し話がしたいんだけれど構わないかな」 「畏まりました。では、私たちは少し退席致しますね」 「有り難う」 小松が声をかかけた後、係員たちは退出をした。 小松が完璧な姿で入ってくる。 本当にドキドキしてしまうほどだ。 うっとりとゆきが見つめていると、小松また熱い眼差しで見つめてくれた。 それが嬉しい。 「帯刀さん……」 「素晴らしく綺麗だね。結婚式前に、新郎が新婦に逢いに行くのは、無作法だと聞いていたけれど、どうしても話しておきたかったことがあってね」 「はい」 ゆきが頷くと、小松は手をしっかりと取った。 「私はね、君に一目惚れだったんだよ……。だから、愛人契約なんて、君のご両親に持ち掛けた。狡いよね。私は……。これは伝えておかなければならないと、思ってね」 まさかそんなことがあるなんて。 ゆきは驚いて小松を見た。 「いつですか?」 「知りたい?」 ゆきは勿論だとばかりに頷く。 「……君が、ご両親と一緒に、財界のパーティに来ていた時だよ。君はタクシーを待っていたが、私は社に戻らなければならなくて、乗らなければならなかった。それに気付いたのか、君は直ぐに私に順番を譲ってくれたんだよ。直ぐに誰かを調べさせて貰った。あのとき、私は一目惚れをしたんだよ……」 そんなにずっと前から、小松が愛してくれていたなんて思わなかった。 愛しているから、愛人契約を持ちかけたのだ。 真実を知って、ゆきは嬉しくて泣きそうになる。 「小松さん……」 「帯刀さん、でしょ」 「帯刀さん」 ゆきが泣き笑いで名前を呼ぶと、小松は笑顔になった。 「さあ、時間だから、いこうか?」 「はい」 ふたりは手を繋いでチャペルへと向かう。 幸せへの第一歩を踏み出す。 「どうぞ、私は急いでいないですからお先に」 「有り難う、恩に着るよ」
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