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そんなことはよくあることだ。 それに、遠い将来、“家”をずっと存続させるためにも有効な手立てであることは、充分に分かっている。 だから多くの者が受け入れるのだ。 ゆきもそれを受け入れなければならないと、自分でもよく分かっているつもりだ。 だからこそ、見合いという名の、事実上の対面式に出席するのだ。 相手は藩どころか、この日の本でも、かなりの重鎮だと聞く。 だから、表面上の夫婦関係と、恋は別なのだ。 だから、妾を作ったりするのだと、ゆきは思っていた。 よくある恋草紙を読んでも、そんなことが書いてあった。 共に白髪が生えるまで、ずっと仲睦まじくいることは、夢物語なのだろうかと、ゆきは思った。 ずっと一緒にいたいひとと、結ばれたい。 それは頑固としてある。 だが、それが夢であることは、こうして見合いの席に向かっていると、ひしひしと感じていた。 駕籠で趣のある屋敷に向かう。 そこは藩の重鎮の邸宅と聞く。 ゆきは緊張しながら、邸宅へと足を踏み入れた。 駕籠を出て、直ぐに案内されたのは、庭が美しい部屋だった。 そこにいる者が、緊張でピリピリしているのが分かる。 ゆきも緊張はしていたが、ここで神経質になってもしょうがないと思い、のんびりとした気持ちで、庭を散策することにした。 じっとしていても時間が勿体無いと思っていたし、何よりも、じっとしていることが出来ない程に、庭が立派だった。 綺麗な庭を愛でながら、ゆきは気分転換をはかりたいということもあった。 ゆきは好奇心旺盛な気持ちで、庭に出た。 余りにも見事な庭だ。 ここならば、春夏秋冬、楽しめるだろう。 庭には海に見立てた立派な海があるうえに小さな人工の川と滝まである。 山も作られている。 ここにいるだけで、いつまでも楽しむことが出来る。 ゆきはついはしゃいだ気持ちになりながら、庭を歩き回る。 池には恋もいるし、その上、立派な春夏秋冬の木がある。 見合い時間まではしっかりと堪能しようとゆきは思っていた。 不意に、子猫の鳴き声が聴こえる。明らかに怯えているかのような鳴き声だった。 ゆきは子猫の哀愁満ちた鳴き声がとても気になってしまい、鳴き声のありかを探す。鳴き声は木の上から聞こえており、ゆきはそこを眺めた。 すると真っ白な子猫が、木登りをしたものの、下りれなくなって鳴いているようだった。 白い短い毛を震わせて、小さな身体を震わせている。 ゆきは可愛そうになり、助けてやりたくなった。 だが、今日はいつもとは違い、かなり重い着物を身に付けている。 飾り立てられている。 だが、格好なんて関係ない。 今は子猫を助けることが大切だ。 幸いここには誰もいない。 見られる心配もない。 ゆきは深呼吸をすると、着物のまま、木登りを始めた。 木登りぐらいなら出来る。 ゆきは、猫を助けるために、木を登り始めた。 少しずつ、少しずつ、登っていく。 すると子猫が怯えるようにゆきを見つめていた。 子猫には、可愛い鈴と桃色の紐が首につけられている。 この屋敷で飼われている猫なのだろう。 ゆきはついくすりと笑ってしまった。 育ちが良いため、木登りが不得意なのかもしれない。 ゆきはゆっくりと猫に近づいてゆく。 「おいで、おいで」 ゆきはそっと猫に手を伸ばす。 子猫はペロリと舌で指先を舐めると、ゆきにようやく近づいてくれた。 「そう、そうだよ、良い子だね……」 ゆきは子猫に言い聞かせるように声をかけた。 ようやく子猫がゆきの腕のなかに入ってくる。 「はい、捕まえた」 ゆきは、柔らかくてほわほわとした子猫を捕まえると、腕のなかで抱き締めた。 「はい、良い子だね」 ゆきはそのまま猫を抱いて、木をするすると降りていく。 「君、何をしているの!?」 青空のように透明感があるのに、何処か清流のような冷たさがある声が、鋭く響き渡る。 人がいるとは思わなくて、ゆきは驚いて、バランスを崩す。 「あ、あの、うわっ!」 そのままゆきは木から落下する。 ゆきは猫を必死になって守るように抱いた。 もうダメだと、思いきり目を瞑った瞬間、逞しい力を背中に感じた。 落ちていない。 だが、身体は浮き上がったままだ。 しっかりと身体が支えられているのが分かった。 猫がご機嫌にひと鳴きする。 ゆきは恐る恐る目をゆっくりと開く。 視界に入ってきたのは、冷たいほどに整った容貌の男だった。 切れるように冷たく、鋭い眼差しをゆきに真っ直ぐ向けてくる。 完璧な美貌過ぎて、ゆきは目を見張った。 「君は何をしたいの、お姫様」 透明な美声で呆れたように男は呟くと、ゆきを厳しく見た。 「……猫が……木の上で怖がっていたので……」 男の視線が怖くて、ゆきは思わず目を伏せる。 視線だけで、ひとを殺めることが出来るのではないかと思わせる眼差しだ。 「猫が木から下りられなくなっているんだったら、直ぐに誰かを呼べば良いでしょ?」 男は溜め息を吐いた。 「それに平田殿も下りられなくなるんだったら、木の上なんて登らない」 男は咎めるように言いながら、ゆきの腕のなかにいる猫を見た。 平田殿。 それは一瞬誰かと思ったが、直ぐに猫だということが分かった。 猫はすっかり男に対してしゅんとしている。 男はもう一度盛大な溜め息を吐くと、ゆきを静かに地面に下ろした。 「姫様も余り無茶はされませんように」 男は、ゆきに言い聞かせるように、もう一度厳しく言った。 厳しい言葉を投げられて、ゆきはしゅんとなる。 つい、眉を一文字にしてしまう。 「平田殿を助けて下さったことは礼を言います。有り難う。ですが、このように着飾った時に、あまり得策ではないように思えますが」 男はピシャリと言い放ち、ゆきを見た。 「平田殿は部屋に連れて行きます」 「はい、じゃあ、平田さん、またね」 ゆきは腕のなかにいる子猫を男に渡す。 この猫は、恐らくはこの家で飼われている猫なのだろう。 「さ、平田殿。猫殿にご飯を貰いにいくよ」 男は馴れた手つきで猫を丁寧に可愛がる。 ゆきはほっとした。 「あ、あの、有り難うございました!」 ゆきが挨拶をすると、男は僅かに微笑んだだけだった。 「お名前を教えて頂けませんか?」 あとできちんとお礼がしたい。 ゆきは思わず声をかけた。 「小松、小松清廉帯刀」 男の鋭い声に、ゆきは息を飲む。 小松清廉帯刀。 まさにゆきのお見合い相手その人だった。 |