*夫婦しぐれ*


 まさか。

 先程、助けてくれた男が、ゆきの見合い相手だなんて、思ってもみないことだった。

 同時に、あのひとが相手で良かったとも思う。

 しっかりとした、考え方を持った、大人の男性だという印象が持てたからだ。

 あのひとならば、大丈夫かもしれない。

 ゆきは野性の勘で、そう感じた。

 

 「まあ、ゆき姫、どちらに行っていらっしゃったのですか!」

 ゆきが、控えの間に戻ってくると、お付きの者が慌てるようにしてやって来た。

「姫様、お探し致しましたわよ」

 お付きの者はホッとしたように言うと、ゆきの姿を総点検する。

 きっと相手方に粗相があってはならないと、思っているのだろう。

 それに、相手は有力者でもある。

 ゆきの輿入れが決まれば安泰だということも、働いているのだろう。

 それはゆきもよく分かっていた。

 だが、先程のひとならば、素敵だと思う。

 あれほどまでに、暗い気持ちでこの対面の日を思い浮かべていたというのに、今は、甘い緊張とわくわくのほうが大きかった。

「姫様、落ち着いて下さいませね。お相手は、あの小松さまでいらっしゃるんですから。

「分かっているよ、大丈夫」

 先程の出会ったから大丈夫だ。

 ゆきはゆっくりと背筋を伸ばす。

 本当に大丈夫だ。

「では、そろそろお時間でございます。お支度をお願い致します」

 小松家側が声をかけてきた。

 いよいよなのだ。

 ゆきは背筋を伸ばして、立ち上がる。

 すると、小松家側が、見合い場所まで誘導してくれた。

 しずしずと歩く度にかなり緊張してしまう。

 あの男と正式に対面するのだから、当然だ。

 かちこちになって長い廊下を歩いた後で、ようやく対面する部屋に通された。

 ゆきはただ座って、小松帯刀を待つ。

 先程、偶然の対面を果たしたにも関わらず、かなり緊張してきた。

 緊張が胸にせり上がってくるような、そんな感覚がある。

 ゆきは何とか深呼吸をしながら、小松帯刀がやってくるのを、待ち受けていた。

「殿のおなりでございます」

 恭しく声がかかり、ゆきは背筋を伸ばした。

 真っ直ぐ縁を見つめていると、小松帯刀、そのひとがやって来た。

 さきほどよりもより風格が漂っている。

 ゆきは、その姿をただただ見惚れていた。

 小松が部屋に入ってくる。

 その姿は、民を導く力がわき上がっていた。

「姫様、頭を」

 お付きの者が慌てるようにして、ゆきに頭を下げさせる。

 小松の隙がない魅力に、ゆきは夢中になっていた。

 ただじっと無心で見つめていたから、つい頭を下げるのを忘れていたのだ。

 ゆきは慌てて頭を下げた。

「そんなことは良いよ。頭を上げて」

 透明感のある声に、ゆきは頭を上げる。

 すると目の前に、先程の男が立っていた。

 完璧な佇まいに、ゆきは思わず、見惚れてしまう。

「小松清廉帯刀殿でございます」

 改めて紹介され、ゆきは笑顔になった。

「蓮水ゆきと申します。よろしくお願い致します」

 ゆきは丁寧に頭を下げる。

「頭は下げなくて良いよ」

 冷たいのに何処か温かな声が聞こえる。

 ゆきは思わず顔を素早くあげた。

「この姫に決めた。平田殿が気に入ったようだからね」

 小松は冷静に言うと、いきなりゆきの手を握りしめた。

「……!!!」

 まさかこのようなことをされるとは思わなくて、ゆきは思わず息を飲む。

 小松はただ冷静に微笑むだけだ。

「行くよ、ゆき姫。君は今日から私の妻になりなさい」

 小松はキッパリと言いきると、そのままゆきを連れて、部屋を出ていく。

 まさかこのような展開になるなんて、ゆきは思ってもみなかった。

 目を大きく見開いてしまう。

 小松はゆきの手を引いて、縁を歩いて行く。

「君は今日からこの屋敷の女主だよ」

 きょうは顔合わせだけと聞いていたのに、いきなり結婚することになるなんて、思ってもみないことだった。

 ゆきは小松に腕を引っ張られることに対して、驚きはしたが、決して不快ではなかった。

 恐らくは、小松の印象が悪くはないからだろう。

「庭と屋敷を案内するまえに、平田殿と再会して貰わないといけないね」

 小松はさらりと言うと、先ずは平田殿という名の猫のいる場所に案内してくれた。

 ゆきは嬉しくて、つい笑顔になってしまう。

 温かな気持ちになる。

「ゆき、平田殿は大層、君が気に入ったようだよ。平田殿はひとには余り馴れないんだよ。だが、平田殿が気に入った。君はこの邸の女主に相応しいということだね……。私よりも余程、平田殿のほうが、ひとを見る目はありそうだからね」

 小松は艶のある、何処か意地の悪さが滲む声で艶やかに呟いた。

 かなりの身分で財力もあるにも関わらず、小松帯刀はずっと結婚しなかったと聞く。

 猫がなつかなかった。

 というのは、小松流の詭弁なのだろうと、ゆきは思った。

「こちらだよ」

 小松は襖を開ける。

 その部屋は、化粧台などが豪華に置いてあり、気品さと高貴さが同居したような調度品が置いてある。

 そこの座布団の上で、のうのうと猫が眠っている。

 すると、先程の猫が欠伸をしながら体操をしていた。

 小松を見るなり、愛らしく駆け出してくる。

 その姿を見つめるだけで、ゆきはつい笑顔になった。

 本当に可愛い。

「平田さん、おいで」

 ゆきが声をかけると、猫は尻尾を振りながらやってきた。

「平田さん、可愛いね」

 猫は喉をゴロゴロと鳴らしながら、ゆきにすりよってくる。

「こちらは、平田さんの部屋ですか?」

「厳密に言うと違うよ。まあ、平田殿には、ずっとこの場所を温めていて貰っていたというのが、正しいけれどね」

 小松はくすりと笑うと、ゆきや平田殿と同じ視線の高さになる。

「こちらは奥向だよ。私の正妻が住む場所。つまり、君がこの部屋の主人だということ」

 小松は微笑みながらも、キッパリと言い切る。

 ゆきは驚いて小松を見た。

「今日からこの部屋は君のものだよ。自由に使っても構わないから」

 小松はゆきを部屋に誘う。

 こんなにも素晴らしい部屋を用意されているとは、思わなかった。

 ゆきは驚いてしまう。

「正式な祝言の準備は直ぐに済ませるつもりだ。君は、もう、今日から、私の妻だよ」

 小松はゆきの瞳を覗き込む。

 優しそうにも冷たそうにも見える。

 その奥に潜む光を、ゆきは解らないでいた。

「あ、あの、今日から、こちらに住まなければ、ならないということ、ですか……?」

「そうだよ。私は君を離す気はさらさらないのだからね。君はもう、私からは逃げられやしないよ……」

 小松は独占欲と意地の悪さが交差するような笑みを浮かべると、ゆきを眼差しだけで支配する。

 眼差しを向けられるだけで、ゆきはこの場所に捕らえられたような気持ちになった。


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