*夫婦しぐれ*


「さてと、君のご両親にきちんと御挨拶をしなければならないね」

 小松は冷たい声で呟くと、ゆきの手をとる

「今日から君を私の妻にすると、お伝えするだけだよ。本当にそれだけだ」

 小松はさらりと言うと、ゆきの手を引いて、先程、対面した部屋へと向かった。

 ゆきは戸惑いながら、小松に着いてゆく。

 ゆきの同意など計らないまま、小松は結婚の決断をする。

 人生を左右することだというのに、小松は有無を言わせないように、独断する。

 確かに、ゆきには選択肢はない。

 小松が結婚すると決めたのならば、それに従うしかないのだ。

 ゆきは自分自身に納得させるしかないと想う。

 不安だ。

 心配だ。

 だが、小松に手を握り締められるのは、決して嫌なことではなかった。

 部屋に入ると、両親が心配するように見つめてきた。

「ご両親、ゆき殿を私の妻にします。今日から、ゆき殿には、奥向で生活をして貰います」

 小松はピシャリと両親に宣言すると、ゆきを見た。

 両親は、この婚礼を望んでいる。

 少なくとも、政治的には。

 だが、本当に望んでいるかと言われたら、そうではないかもしれない。

 奥底に見える不安そうな眼差しを見ていると、ゆきはそう感じずにはいられなかった。

 だが、ここは受けいなければならない。

「お父さん、お母さん、小松帯刀さんの妻になります」

 ゆきは真っ直ぐ両親を見ると、深々と頭を下げた。

「家財道具などはこちらで用意します。嫁入り仕度は結構です。今日から、ゆきは、こちらで暮らしますから、そのつもりでいらして下さい」

 小松はキッパリと言うと、ゆきの腰をしっかりと抱いた。

 これで決まった。

 ゆきは、小松帯刀の妻になるのだ。

 いや、もう既に妻なのだ。

 そう考えると、ゆきは心が不安定に揺れるのを感じた。

 これで良いのだろうか。

 いや、これで良いのかもしれない。

 そんな気持ちのせめぎあいに、ゆきは胸が苦しくなる。

 ゆきは、両親に挨拶をしながらも、不安すぎて心が揺れる。

「ゆきさま、本日からゆきさま付になります。よろしくお願いいたします」

 落ち着いた女性が、ゆきの目の前に現れる。ゆきのつく、女房になるのだろう。

 突然のことにも関わらず、女性はかなり冷静だった。

「こちらこそ、よろしくお願い致します」

 ゆきは困惑しながらも、きちんと挨拶をした。

 

 一通りの挨拶を終えると、ゆきの両親は、帰り支度をする。

 ゆきも一瞬、帰り支度をしようとしたが、それか叶わぬことであることに、ようやく気づいた。

 小松の妻になったのだ。

 今日から、この場所が、ゆきの暮らす場所になるのだ。

 そう考えると、ゆきは寂しくて堪らなかった。

 泣きそうになる。

 いずれこうなることは理解出来たものの、それを今、上手く理解することは出来なかった。

 非常に胸が苦しくて、しょうがなかった、

 両親を見送る。

 それがこんなにも苦しいことだなんて、思ってもみないことだった。

 今朝までは、こんなにも早く両親と離れることになるとは、思ってもみないことだった。

 準備も覚悟も出来ていなかったのだ。

 別れ間際になって、それを改めて感じると、ゆきは泣きそうになった。

 もう、両親と自由に会うことは叶わなくなるのだ。

 それをゆきが覚った時には、両親は既に駕籠に入っていた。

「ゆき、息災でな」

「ゆき、身体に気を付けて」

 母親は泣きそうな表情でゆきに挨拶をする。

 ゆきも、魂の底からのの別離の哀しみが滲んで、涙が溢れる。

 ゆきの気持ちに気付いてくれたのか、小松がそっと手を握り締めてくれる。

 その力強さに、ゆきは涙を半分止めた。

「お父さん、お母さん、お元気で」

 ゆきはやっとのことで言うと、両親を見送った。

 両親の姿を見つめながら、ゆきは胸が張り裂けそうになる。

 だが、小松がゆきの手をしっかりと握りしめてくれていたから、ホッとしたのも事実だった。

 手を握って貰うだけで、信じられないぐらいに安心する。

 ゆきは小松にすがるような眼差しを向けた。

「行ってしまいました」

「そうだね……。本当に行ってしまいました」

 ゆきは胸の痛みを覚えながら、小松を見た。

「今日からは、私と平田殿が君に一番近い家族だから……」

「はい」

 小松の言葉に、ゆきはただ頷くことしか出来ない。

 今日は嵐のような日だった。

 本当に人生というのは、一瞬で、変わってしまうのだろうと実感する。

「今日からは、私が君を守るから、そのつもりで」

「有り難うございます」

 本当の意味で守ってくれるひとが出来たのだと、ゆきは実感せずにはいられなかった。

 だが、今まで、ゆきを守ってくれた両親はもういないのだ。

 目の前にいる、小松帯刀が、今日からゆきを守るのだ。

 だが、自分は誰を守るというのだろうか。

 そう考えると、ゆきは暗い気持ちになる。

 今までは、ずっと守られる立場にいた。

 だが、もう守られる子供ではなくなるのだ。

 ゆきは、小松を見上げる。

 夫婦になるのであれば、小松を守っても、おかしくはないのだろうと、ゆきは思う。

 小松を守る。

 そう考えるだけで、力がみなぎってきた。

「小松さん、私があなたを守りますから、心配されないで下さい!」

 ゆきは堂々と笑顔で言う。

 すると小松は、驚くことなく、フッと甘い笑みを浮かべる。甘くて魅力的な笑みに、ゆきはドキリとする。

「君らしいね。勿論、それも期待できる君だから、妻に選んだ。私の妻として、私が守らなければならないことを、君も守らなければならない。私はずっとそれを守れるひとを探していたんだよ」

 小松は、優しい口調ながら、確信に満ちた口調で言う。

「そんな出逢っただけで解るんですか?」

 ゆきは、とても不思議に思う。

 出逢っただけで解るなんて、そんな不思議なことがあるのだろうか。

 ゆきは、そう思わずにはいられない。

「どうしてそんなことが、解るんですか?」

 ゆきは素直に訊いてみた。

 ゆきの疑問に、小松は静かに笑みを浮かべる。

「直感……というのかもしれないね。君なら大丈夫だと思った。まあ、平田殿を助ける様子を見て、そう思った」

 小松は艶のある声で呟くと、ゆきの手を更に強く握り締めた。

 こうしていると、小松からの信頼が身体のなかに注ぎ込まれる。

「世継ぎがいるからだとか、そんな気持ちで君を選んだわけではないから、そのつもりで。君は様々な意味で、私を支えてくれる存在になる。そう感じたからね」

 小松の言葉に、ゆきは沸々と熱いものが沸き上がってくる。

 このひとのそばにいる。

 このひとのそばにいれば、きっとこの先も歩いて行ける。

 自分のやらなければならない使命を果たせる気がする。

 それを感じずにはいられなかった。


ウシロ モドル ツギ