*背伸びの恋をしても*


「……有り難うございます……」

 ゆきがたどたどしく礼を言うと、小松は切れるような眼差しを向けてきた。

「ゆき、今すぐこれに着替えて。そして、先日、買っていたニットのカチューシャがあったでしょ?あれをして」

 小松はストレートに命令してくる。有無は言えない。そんな雰囲気すら、感じられる。

「これを、着て、どうするんですか?」

「先日の約束が果たせなかったでしょ?だから、それを果たすために来たんだよ。それだけ」

 小松はクールにきっぱりと言うと、ゆきを冷たい眼差しで見つめた。

「さあ、着替えなさい」

「……はい」

 従うしかない。ゆきは本能で感じながら、ただ頷いた。

「下で待っているよ」

 小松はドアを閉めると、下に行ってしまう。

 ゆきは溜め息を吐くと、ニットワンピースに着替える。

 何だか緊張してドキドキしてしまう。

 それは決して不快なものではなく、華やかな甘い緊張だった。

 小松を長時間待たせるわけにはいかないが、それでもほんの少しで良いので、お洒落をしたい。

 ほんのりとシャボンの香りが漂うコロンをつけて、ほんのりと色つきのリップをつけた。

 時間がないから、それぐらいしか出来ない。

 後は、ニットのカチューシャを髪につけて完成だ。

 本当にそれぐらいのお洒落しか出来なかった。

 きちんとニットワンピースが似合っているかを確認した後、ゆきはバッグだけを持って、部屋の外に出た。

 下に下りると、小松が待ってくれていた。

 ゆきは、ほんのりとドキドキしてしまう。

「さ、行くよ。ゆき」

「は、はい。小松さん」

 小松はゆきの手をしっかりと握り締める。

 その手は大きくて、とても温かくて頼りがいがあるものだった。

 心地が良い。

「今度は誰が来ても逃げないで。私は君と食事がしたいんだから。それだけだよ。この間もそうだったんだからね。だから、今回は逃げないで」

「……はい」

 家の外には、小松のハイブリットカーが停まっており、

 小松はチラリとゆきの姿を見つめ、助手席のドアが開ける。

「どうぞ」

「有り難うございます」

 ゆきは若干の緊張を感じながら、車に乗り込んだ。

 ゆきの後、小松も車に乗り込んで、発車させた。

 緊張の余り、ゆきはつい固くなってしまう。

 甘いドキドキに、身体は石になったままなのに、心は蕩けてしまいそうだ。

「何、固くなっているの。嫌なの?」

 小松は氷よりも冷たい声で呟きながら、冷徹な横顔を見せた。

「……嫌じゃありません……。ただ、緊張するだけで……」

 ゆきは正直に伝える。

 すると小松はクールな表情を浮かべてくる。

「そうなの? 緊張するなんて、今更でしょ?……それとも、君は私が怖いの?」

「怖くなんてないです。ただ、ドキドキして……」

 小松に追い詰められていると感じながら、ゆきは辿々しい声で言う。

「そう……。だったら、どうしてそんなにドキドキするの?」

「……え?」

「どうしてそんなにドキドキしているのか……。君なら誰よりも答えを分かっている筈じゃない?」

 分かっている。

 本当は。

 だが、それを上手く伝えられない。

 いや、伝えてしまうと、小松に本当のことがわかってしまう。

 切ないから嫌なのだ。

 こんなにも苦しい感情は、他にはないのではないかと思う。

 大好きで、大好きで堪らないひとだけれど、ゆきにとっては、知られたくはない感情。

 それは、恋心を知られて、小松に振られて、二度と会えなくなるだとか、よそよそしい態度をされるとか、そんなことが嫌だったのだ。

 一番は、傷付きたくない。

 これしかなかった。

 本当にこれしかないのだ。

 だから恋に臆病になってしまうのだ。

 大好きなひとはずっと大人で、ゆきなんて恋愛対象にすらしないことぐらいは、分かっていたからだ。

「……言えないの?」

 小松が厳しい声で訊いてくる。

「小松さんが大人だから、なかなか言えません……」

「……そう」

 ゆきの言葉に、小松が一瞬、黙り込むのが解った。

 それがゆきには重い沈黙のように思えた。

「……ゆき、君は子供だから、余り考え込まなくても良いの」

「……小松さん……」

 また子供扱いをされる。

 小松にとっては、いつまでも子供なのだ。

 その事実が痛い。

 ゆきは、自分はもう子供ではないと。

 大人の女性になりたいと、心から思っているというのに。

「……小松さん、私は、小松さんが思っているほどに、子供ではありません……」

 ゆきは小松に反発をするように言うと、小松は一瞬、目をスッと神経質に細める。

 同時に、車が信号待ちで静かに止まる。

「……そんなこと……分かっているよ……」

 小松には珍しく、もどかしそうに呟くと、髪をかきあげた。

「え……?」

 ゆきがその顔を見たが、直ぐにいつもの小松に戻ってしまった。

 ただのクールな小松に。

「もうすぐイタリアンレストランだよ」

「はい」

 ゆきはほんのりと緊張してしまう。こんなにも、苦しくて切ない感情は、他にはないのではないかと、つい思ってしまう。

 車は静かにイタリアンレストランの駐車場に停まった。

「停まったよ。さ、降りなさい」

「はい、有り難うございます」

 ゆきはシートベルトを外して、外へと出る。

 すると小松に直ぐに手を握り締められてしまった。

 いきなりのことで、ゆきは飛び上がってしまいそうになるぐらいに、びっくりしてしまった。

「大丈夫だよ。君が迷子にならないようにしているだけだからね」

「私はそんなにも小さな子供ではないです」

 ゆきはドキドキしながらも、そのことを知られたくはなくて、わざと冷たい態度を取らずにはいられなかった。

「……こうしておかないと、君は、この間のように逃げるでしょ?」

 小松の言葉に、ゆきは返せない。

「……逃げないです……」

「分からないよ、そんなことはね」

 小松はしらっと言うと、更にゆきの手をギュッと握り締めてきた。

 この強い手に、ゆきはドキリとせずには、いられない。

 頬を真っ赤に染め上げながら小松を見つめると、相変わらずの冷たい横顔しか見えない

 小松の考えていることは、ゆきには全くといって良いほどに分からなかった。

 レストランに入ると、一番ステキな眺めの席に案内された。

 恋人動詞に相応しい席にゆきは、ときめきと戸惑いのどちらも感じずにはいられなくなる。

 小松と向かい合うと、ときめきが競り上がってきて、どうしようもなかった。





マエ モドル ツギ