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小松と結婚し、彼の世界で一生生きて行くと決めてからの初めての春を迎えようとしていた。 流石に、小松の庭は見事で、春の訪れを感じられる木々が植えられている。 まだまだ外は寒くて、余り長時間外にはいられない。 だが、木々には確実に蕾が膨らみ始めている。 もうすぐ、この蕾が素晴らしい花を、ゆきに見せてくれる。 春が待ち遠しい。 ゆきは、花が咲くのを楽しみにしていた。 縁で庭の様子を見ていると、平田殿がやってきた。そばにいるだけで、平田殿は、暖かい。 「平田さん、もうすぐ、春がやって来るよ。春は暖かいからね、平田さん。日向ぼっこができるようになるよ」 ゆきのそばにすりよる平田殿に目を細めながら、つい笑顔になった。 温かな気持ちにすらなる。 やはり、猫はとっておきの温もりを感じさせてくれる。 「ゆき、こんなところにいたの?風邪を引くから、部屋の中から見れば良いのに」 小松が、部屋にそっと入ってきてくれる。 温かくて、同時にふわふわとした幸せに満ちてくる。 小松がそばにいると、ゆきは全く寒さを感じない。それが不思議でならない。 きっと小松のそばにいると幸せだからかもしれない。 「春を感じていたんですよ。こうして木を見ていると、確実に春は近いんだと思います。蕾も随分と大きくなっていますから」 「たしかにね。だけど、まだまだ寒いよ。空を見ると雪雲が居座っているからね。ひょっとすると、雪が降ってくるかもしれないね。この冬最後の雪なのだろうけど……」 「確かにそうかもしれません」 春の足音は確実に近づいている。 小松の妻になり、ようやく周りを見つめられるようになった。 今まで、季節の移ろいなど、全く感じない、いや感じられないぐらいに、余裕がなかったのだろうと、ゆきはつくづく思った。 今は、少しずつ、心にゆとりが生まれているのだろう。 「平田殿も君も、風流だということなんだろうね」 「だったら嬉しいですよ。風流な方には憧れますから」 ふと、ゆきは、梅の木に、白くて可憐な花が優しく咲いているのを見つけた。 とても可愛いくて、清々しい花だ。 「帯刀さん!梅の花が咲いていますよ」 ゆきがはしゃぎながら指差すと、小松はくすりと笑いながら、頷いた。 「本当だ。綺麗だね。やはり梅の花は……」 「はい」 ゆきは小松と一緒に花を愛でると、嬉しくなってしまう。同時に楽しくて堪らなくなる。 「我が家にはかけがえのない咲くやこの花姫がいるからね。だから、咲いたのだろうね」 「咲くやこの花姫?」 「梅と桜の姫様だよ。古事記にある」 古事記は名前だけは聞いたことがあるが、ちゃんと読んだことはなかった。 「この庭には、そのような姫様が宿っているんですね」 西洋に『緑の指』の話があるように、日本にもそれに似た話があるのだろう。桜と梅の花の聖霊の姫。想像するだけで、ロマンティックだ。 小松は微笑を浮かべながら、ゆきをじっと見ている。 「君は本当に良い子だね」 「有り難うございます」 「咲くやこの花姫。それは君のことだけど? ゆき」 小松の言葉に、ゆきは真っ赤になってしまう。 「そ、そんなこと」 ゆきは恥ずかしさと嬉しさで、ついしどろもどろしてしまう。 「だって、私に春を連れてきてくれたのは、君だよ、ゆき」 小松こそ、春の日溜まりのような笑みでゆきを見つめる。 「君は私に春を運んで来てくれたからね。だから、君は、私にとっては本当の意味で、咲くやこの花姫なのかもしれないね」 小松の温かな愛が溢れる微笑みに、ゆきはこのまま溺れてしまっても良いと思う。 それほどまでに甘くて素敵な感情が溢れ出してきた。 小松こそ、ゆきにとっては、最高の春を呼ぶ使者だと言うのに。 「帯刀さんこそ、私にとっては、最高の春を呼ぶ人なんですよ」 ゆきが微笑みながら言うと、小松は驚いたように少しだけ目を見開いた。 だが直ぐに、クールな微笑みに変わる。 「君こそ、春の姫だよ。ずっと私を日溜まりのように温めてくれるのだから」 小松に称賛されると、甘い表情をドキドキが強くなり、どうして良いか分からなくなる。 いつもは合理的で冷たい視線でひとや物事をみるひとだから、ついついドキドキし過ぎてしまうのだ。 「有り難うございます」 恥ずかしくて消え入るような声で呟くと、小松を見た。 ゆきとふたりきりの時は、優しくて甘い表情を浮かべてくれる。 胸が切迫するほどに鼓動が高まった。 「君がこちらに戻って来てくれて、花だとか季節だとかを、私も気づくようになったよ。君が私にそのような余裕を持たせてくれたのだと、思っているよ」 「帯刀さんと一緒にこうしているから、季節の移ろいを幸せに感じられるのだと思います」 ゆきは心からそう思う。 小松がいるから、いつも甘い幸せを感じられるのだと。そう実感せずにはいられない。 幸せで充ち溢れる気分だ。 ふいに白いものがふわりふわりと、宙に舞い上がってゆく。 雪だ。 まだまだ雪花の季節なのだ。 今は、冬と春が交差している季節なのだろう。 まるで綿の花ようにふわりふわりと、舞い落ちる雪と、それに溶け合うように咲く梅の花を、ゆきはじっと見つめる。 目にも麗しく、そして優しい風景。 「ゆき……」 小松は、ゆきをそっと引き寄せる。 ふわり。 良い香りがして、とても暖かい。 梅と雪が素敵な風景を見せてくれている。 それをこうしてじっと見つめることが出来るのが、ゆきは幸せでしょうがなかった。 愛するひとと寄り添う。 これ以上の幸福が果たしてあるのだろうかと、ゆきは思う。 それは否だ。 こんなにも素敵な時間はない。 ゆきは、小松と小松の世界を選んだことを、決して後悔しないと思った。 後悔なんてあるはずがない。 それは誰よりも、ゆきは解っているつもりだった。 こんなに幸福なことはない。 逆を選んでいたら、後悔に苛まれて生きたことだろう。 それだけは、自信があった。 逆にそれ以上の自信はなかった。 側には平田殿が眠っている。 その寝顔を見つめていると、ふわふわとした幸せに充ちてくる。 「これからもずっと、こうして春を迎えていこう」 「はい」 ゆきは小松に心を寄り添わせるために、甘えるように密着する。 春はすでに一足早く心にやって来た。
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